宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

じいちゃんが死んだ

 

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子ども達にとってのじいちゃん、つまり、私の父が亡くなった。

映画を作れるほどの波瀾万丈な人生を歩んで、それでも何一つ自分の人生を悪く語ったこともなく、いい人生だったとたぶん言って生涯を閉じたように思う。

葬儀では、会場に入りきれないほどの人が来て下さった。

そして、父を古くから知る人は皆言った。

「お父さんは正義の人だった」

 

父は自分の生涯をノートにまとめあげていた。

凄まじい人生、戦争も体験し、戦後も人を助けるため命もいとわず、とうてい真似のできない父の人生が詰まったノートを次男にも見せた。

次男は留学のため葬儀に間に合わず、訃報を受け取って滞在していたホテルのロビーで、一晩泣き明かしたと言っていた。

このほど、無事に四十九日を執り行ったが、その日に次男も駆けつけた。

その時そのノートを手に取り、黙って読んでいた。

敢えて私は何も聞かなかった。次男の中の父が、きっとノートを介して語りかけたに違いない。

 

父は最期の最後まで意識があった。

42度の高熱が続いて、そのための痙攣が立て続けにやってきた。

その度にベッドの手すりを握りしめて絶える父を見るのは辛かった。

一番壮絶だった時間を一番長く一緒に側にいたのは私だった。

だからか、父が亡くなった後、少々脱力感から抜けられなかった。

 

けれど時間は凄いね。

人間を一番癒してくれるのは時間だと思った。

目に見える傷も、目に見えない傷も、時間が経てばちゃんと修復されていくということを知った。

 

ということで、ブログも戻って来ました。今は元気です。

 

さて、父の葬儀ではかなりしっかりしていた私。

気が張っているとはこういうことなんだろう。

そんな中、火葬場で珍事があった。

係員さんがお別れをした後、体のバランスを崩して、棺桶を安置した台の上にあったお鈴に鈴棒を落としたあげく、お鈴も台の上で転がしてしまい、お鈴の音が「かーーーん」と響いた。

しまったと思ったであろう係員さんは、かなり焦った様子で棺桶の窓を閉めようとして、その窓の蓋までも手を滑らせて「ダンっっっ!」と落とすように閉めてしまった。

静まり返ったその場にかなり大きな音で「かーーーん」と「ダンっっっ!」が響いて、笑うというより和んでしまった。

人に言わせれば意外な一面である、親父ギャグ好きの父の仕業だと思った。

直後に「今日のヒットはお鈴と窓の蓋ね! MVP!」

と私が言うと、周りも笑っていた。

きっと、父の思惑通りだ。

 

長男は父の看病から亡くなった時まで、そして葬儀から四十九日まで、全てに付き合ってくれた。

自閉症の子には、本人に訳の解らない時間の長い儀式などに付き合わせるのは負担だ、短期入所などに預けるべきだったのではないか? と言った人もいた。

けれど我が家では、家族のことは何でも教えていこうと旦那とは話している。

じいちゃんが死んだ。

それは解っていないかも知れない。けれど、そう伝えて一緒に最後を過ごそうと決めた。

けれど、長男はたぶん彼なりに理解をしていると思う。

長い儀式を、何度もあった供養を、パニックも起こさず静かに付き合って、ちゃんとじいちゃんを見送ってくれた。

昔の彼だったら、きっと長い時間は持たなかったろう。大きな声が出て、外に飛び出しただろう。

けれど、長男はじいちゃんの側にずっといてくれた。

すごくすごく愛してくれたじいちゃんを、ちゃんと見送ってくれた。

そして、それは次男も同じことだ。

じいちゃんの最期に立ち会えなかったけれど、じいちゃんは夢に現れたそうだ。

二人並んでテレビを見て、いつものように過ごして、そしてじいちゃんは消えたそうだ。

いつも通りだ。じいちゃんはいなくなっても、いつも通りに過ごしていれば、いつも通りに見守っていてくれる。

それは、姿が見えるか見えないか、それだけの差だ……そう話して、次男もまた戻っていった。

 

葬儀と四十九日は賑やかだった。なかなか会えない兄弟や親戚が集まって、父のことを語って、良い葬儀だった。

大事な人の死は、実は人を強くするのかも知れない。

悲しいのに、ちゃんと人は明日を考える力を持っていると実感することができたから。

そしてまた、いつものように暮らしていくよ。

いつものように見ててくれると思うからね。

 

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