宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

何十年掛かろうとも「出来た」ことは「出来た」ことなので

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我が家のトイレットペーパー、実に早くなくなります。

そんでもって、トイレがよく詰まります。

はい。ご想像通りでございます。

 

長男、最重度につき、トイレの自立に実に長い年月が掛かりました。

私としては、トイレットトレーニングを軽く見ていたわけでも、サボっていたつもりもないんだけど、自立に時間が掛かったことについては、まぁ、色んな人に色んなこと言われたかな……。

こういうことは、だいたい親がどうのこうの言われるわけで、実際自分の親としての適正も力量もないのかと、悩んだり本を読んでみたりもしたこともある。

 

躾本というのは当時から存在していて、今はネットで情報を得ることの方が多いと思うが、当時も様々な本が様々な説を、真しやかに書いていたりした。

でも、何かしっくり来ない。どうしてもしっくり来ない。

 

私は、長男が生まれる前から障害児達との交流もあったし、運良く仕事柄、発達についてや障害の特性、何より、待つ必要性は早くから知っていた。

それが幸いしたと思う。

何も知らなければ、何もかも試してみたかも知れない。けれど、うさん臭そうな物は、取り敢えずハネた上で、それから、いや、それでも悩んでいた。

 

周りの「あなたの努力不足」コールが重なると、どうしてもそうなるもので、過ぎてしまえば、というか相手の方が諦めてくれたら、精神的に楽になるというのが現実だ。

でも、問題の真っ只中の母達に言わせれば「じゃあ、あなた、やってみなさいよ!」とブチ切れたくなるものです。

 

えぇ、経験済みですよ(笑)

 

ただ、障害が治る商法にだけは手は出さなかった。

あれを食べたら治る、これを食べなかったら治る、悪い物質が体に溜まって障害を負ってしまうから、それを排出されるために、これを飲む……そんなものは、昔からたくさんあった。

もしかしたら、治った子もいたかも知れない。反対に、その関連療法で亡くなった子の情報も実際にある。

治ったといっても、子供は大人に成長するわけで、その成長によって症状が軽減したのかも知れない。

それは正直分らないし、人によるとしか言えない。

でも、私はしなかった。

しっくり来ない。どうしてもしっくり来ない。

たったそれだけかと言われても、私は目の前の長男と向き合って、笑顔が凄く良くて、誰もが騙される笑顔と向き合って、なんでこれを治さなければならないのか、すっかり分らなくなったというか……。

 

最重度の障害があっても、長男は大好きだし、変わって欲しいとは思えなかった。

それを避難する人も確かにいた。その度に「全ては親の責任だ」と言われた気がした。

障害を治してあげるのも親の役目だという人は、結構多い。

「躾しなさい」「大きくなって苦労しないように何でも出来るように教えなさい」「少しでも、周りに近いようになるようにしてあげなさい」

親は一番近くの、最も素晴らしい教師でなければならない。

そんな声は、未だにたくさんある。

 

親は、子供の教師なんですか?

それ、私は疲れます。親は親としてだけでいたいです。

 

けれど、世間は本当に自分の子供の教師を目指す親もたくさんいるし、本音を言えずに堪える親もいる。

小さいうちに必死に言葉や文字を教えて、厳しく何でも躾けて、本当に何でも出来るようになって、コミュニケーションが上手くなった子供。

凄いです。尊敬します。私にはとても真似できない。

それから、何も出来なくても、親が全てを受け入れて育った子供。

そのかわり、子供を理解してサポートをしてくれる人を探す努力をしている親は、結構多い。

受け入れて放ったらかしは、ネグレクトでしかない。正直、そういう親もいる。

子供は親を選べないけれど、その選択が子供の幸せに繫がることが、一番大事なんだと思う。

 

長男の場合、私は親として、せっかく生まれたのだから、そのままの姿を受け入れることに、何だかしっくりとくる不思議さを覚えた。…

きっとその選択の一番の理由は、長男の笑顔によると思う。

これに騙されると書いたが、この笑顔を見ると、他人でさえも手伝いたくなる、長男の願いを叶えたくなると言われたことが何度もある。

本当にそう。だって、親でさえ騙されている。

だから、笑って暮らしたいだけだ。それを怠慢だという人も多いのも事実なんだけれどね。

 

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けれど、全てに怠慢しているわけじゃない。

機会ごとに信号の見方も教えて覚えてもらった。4年掛かったけど。

トイレも、おしっこは学校に上がる直前に出来るようになった。

これは、何度やっても失敗していて、時間ごとに連れて行っても、あまり意味がなかった。でも、これはもしかして自立は無理かな……と思っていたところで、突然出来るようになった。

これには驚いた。なんせ1度出来たっきり、失敗の方が逆に全くなくなってしまったから。

 

以前、作業療法士の先生がコップに入った水に例えて、知識や経験がいっぱいにならないと水は溢れない。逆を言うと、いっぱいになったら、それは溢れて出来るようになるということだ、と言ったのを覚えている。

長男は、コップの水が溢れるまで待っていたのだろう。

 

そして、25年目にしてやっとペーパーでお尻を拭くことを覚えた。

ずっと介助が要ったけど、取り合えずは覚えた。介助の度に教えていたけど、これも自立は無理かな……と思っていたところに出来るようになった。

ただ、まだ使用するペーパーの量が分らないようだ。それで、よくトイレを詰まらせる。

本人は詰まらせるためにやっているわけではない。きれいに拭けたかどうかが問題で、本人なりにきれいになったという判断が出来た時に、おしまい! となる。

家族は、マズいぞ! と思った時は時々先に一度流すように促したり、それが難しそうなら、火鋏を持ってトイレ前に待機する。

 

今はそれでいい。また、何十年経って出来るかも知れない。出来ないかも知れない。

私は、そうする方を選んだ。それは、長男にとって良かったのかどうかは分らないけれど。非難されることだってあるけれど。

だって、何十年掛かろうとも「出来た」ことは「出来た」ことなので。

ただただ、出来る出来ないよりも、長男が、どうかどうか幸せであって欲しいと願っているだけなので。