癌かも知れない……そう医師に言われた日、私は帰宅途中の車中で、色んな考えを巡らせた。
最初は、何気なく受けた保健所での検診だった。
初めて受ける地域の健康診断で、しばらくして結果のハガキが届いた。
その内容は、どこかの医療機関にて受診してくださいというものだった。
つまり、検診に見事に引っ掛かってしまったわけだ。
ちょっと冷えた。気持ちが。
私の父方の叔母が、二人も乳癌で亡くなっていた。
二人とも、かなり壮絶な治療と最期だったのを覚えている。
とにかく、乳癌で治療実績のよい病院を探して受診することにした。
保健所ではマンモグラフィーのみだったが、病院ではそれとともにエコーも行われて、かなり丁寧に診てもらった。
そこで言われたことは、エコーの映像に、非常に気になるものが写っているというものだった。
たくさんの乳腺嚢胞(のうほう)という、丸い分泌物が溜まった袋が出来ていて、形がきれいに丸かったら良性だが、少しでも形が歪だったりギザギザしていたら、悪性の場合が多いというものだった。
私の場合は非常に微妙で、丸い袋の下の部分が少しギザギザしているように見える、というものだった。
けれど、かなり気になるから、もう少し形がハッキリ分るまで育った頃に、再検査しましょうと言われた。
乳癌自体、母親が発症していればかなりのリスクらしいが、叔母二人の発症でも、リスクは当然かなり高くなるそうだ。
その時の医師の言葉が
「3ヶ月より前ではまだ分りません。でも、3ヶ月を過ぎたらもう遅い。必ずきっちり3ヶ月後に来てください!」
何だか訳の分らない期日を言い渡されたようで、う〜ん……となったのを覚えている。
何と言うか、湧き上がった感情は「どうしよう……」なんだけど、自分に向かった「どうしよう……」ではなくて、長男の顔がバーン! と脳裏に浮かんで来てからの「どうしよう……」だった。
自分のことなのに、自分のことではなくて、長男の難題をどう解決しようか……と、そっちばかりが気になった。
もし、私が入院なんてことになったら、長男はどこに預けるの?
もし、私が死んでしまったら、長男を誰にどう託せばいいの?
入所施設にお願いしても、現行は夜の支援は手薄だから、脱走し放題じゃん!
だからといって、今の長男を受け入れてくれるグループホームなんて皆無じゃん!
何も良い考えなんて浮かばない。
とにかく分っていることは、その3ヶ月の間に考えをまとめること。
どこに相談して、どんな方法があるか検討すること。
旦那も仕事は続けられるように考えること。
そして、次男には隠さずに全てを話すこと。
取り敢えず、考えるだけ考えておいて、もし入院ということになったら、数日の猶予をもらって行動に移そうと決めた。
そして、万が一命に期限がついたら、医師には必ず告知してもらって、その期限までにやれることは何でもやろうと決めた。
本当に不思議だったのだけれど、その時自分が入院すること、死ぬかもしれないことを考えていたはずなのに、その考えの行き着く先は、自分のことではなくて長男のことでしかなかったので、全く死に対しての恐怖なんて、微塵も感じなかった。
むしろ、長男を残してこの世を去ることの方が恐怖だった。
3ヶ月経って、考えがまとまったわけでもなかった。
正直、難しい問題でしかなかった。
その現実の方が、何よりも辛かった。
悩むことだらけだったが、結果次第では何かしらアクションは起こさなければならない。
そうして病院を訪れ、再検査の後に医師が口にした言葉は、とても意外な一言だった。
「あれ? なくなってますよ!」
はい?
なくなっている??
まれにあるそうな。
医師は、多分癌だと踏んでいたようだったが、その物体自体がきれいに消滅していた。
ほっとした。
それも自分のことではなく、散々考えた長男の難題を、しばらくは考えないですむという安堵感。
本当に心からほっとした。
けれど、こんな事はまたあるかも知れない。
その時こそどうするか、常に考えておかなければならないんだよね。
そして今日、小さく扱われたニュースをテレビで見た。
障害を持った弟と、ずっと弟をお世話していた兄が、転落死したというニュース。
多分、心中ではないかと……。
ニュースのコメンテーターが言っていた。
死を考える前に、誰かに相談して欲しかった……そしたら、きっと生きる道はあったはずだ……。
そうだろうか。
弟さんは、通所の施設に通っていたようだった。
ならば、相談するところの情報はもらっていてもいいはずだ。
きっと、相談はしていたのではないだろうか。
相談し尽くして、決して選んだ道は肯定し難いことだけれど、他に考えられなくなってしまったんだろうな。
きっと、悩んで悩んで、悩み抜いたはずだ。
母親と兄弟という違いはあっても、私の場合は死を選ぶほどの思いに駆られたことはない。
こうして病気をしても、長男を生かすことばかり考えていた。
生きて欲しいとしか思わなかった。
私は、まだまだ幸せなのかも知れないな。