新幹線の中で起きた、数日前の無差別殺人事件。
当然世の中を震撼させた事件だったけれど、驚いたのは報道のあり方だった。
犯人は自閉症だったという新聞の見出し。
テレビのニュースでの解説。
本当に障害名が確認されずに報道されているという話しもあるけれど、何だか悪意と言うよりも、無知という2文字が頭に浮かんで来た。
見出しにするくらいだから、悪意があると言う人もいるが、新聞やテレビや世の中のライティングされたものは、見出しが肝心ということは、ライティングの講座でも声を大にして言われることだ。
つまり、見出しで読む人の興味を引かなければならない。
言ってしまえば、それで稼がなければならない。
自閉症というフレーズは、人を惹き付けると思ったのだろうな。
結果、批判を受けて謝罪と削除に至ったわけだが、余りにも薄っぺらいというか、プロの物書きさん、記者さんなら、批判が出ることくらい想像出来なかったのかな。
だって、問題は障害があることではなくて、事件を起こしたことですよ。
事件の見出しならまだしも、障害にスポット当てること自体、話しがズレてる。
発達障害(自閉症もその中のひとつ)は、世間に認知されてそんなに幾久しいわけじゃない。
しかも、ちゃんと理解されているかと言えば、これだけ様々な所でこのフレーズが使われ、新聞の見出しに使うほどなのに、実際はちゃんと理解されていない。
いわゆる自閉症といわれる人は100人に1人と言われ、さらに発達障害と言われる人を全部ひとくくりにすれば10人に1人とまで言われている。
全然めずらしい障害でもなく、ある医師も「発達障害なんてない」と言い切ってさえいる。
発達障害の検査をして、それに引っ掛かる人は実はたくさんいて、10人に1人というのは頷けるのだそう。
つまり、みんなそれで普通なんだということらしい。
うちの息子のように色んなことが極端だと、様々な便宜上から障害名も付いてくるけれど、もしかして、これ読んでくれてる人にも、色々生きづらさや困ったことを持ってるかも知れない。
問題は、本人の困り度なんだと思う。
発達障害と言われる人が起こす問題行動は、困った果ての行動であることが多い。
それは親のせいとか、誰のせいとかでなく、その時の環境や学校や家庭や友達や、本当に様々なことが絡まって起きることなので、一つ一つほどきながら向き合っていくしかない。
障害は、その人の持つ特性ではなく、その人が抱える困り度のことなんだ。
困って取ってしまう行動や言動が、理解され辛いところにあることに、深刻さの度合いも変わるんだと思う。
うちの長男は、特に学齢期は学校で溜め込んだイライラを、帰宅するなり私にブツけていた。
私が学校にいて、その姿を見つけようものなら、わざわざ追いかけてきて私を泣きながら叩いたりした。
家の中でも何やら溜め込んでしまうと、分らなくなってワーワーと泣き叫んで、私に全身でブツかって来た。
どうにかしたかったんだろう。私にどうにかして欲しかったんだと思う。
お互いどうしていいか分らなくて一緒に泣いたし、分ったときは一緒に笑った。
長男の辛い気持ちの受け皿はほとんど私だった。
余程のことがない限り、他の人の攻撃はなかった。
私なら受け止めてくれるって、信用してくれてたのかな。
今は、随分と自分で気持ちの整理が出来るようになったようで、私もあの時ほどの受け方はせずに済んでいる。
小さい頃は、色々と困ってたんだろうな。
学校で、先生が見通しを立てるためにと写真でスケジュールを示して、この通りに動きましょうと構造化された環境を作ってくださった。
でも、本人は言われたことではなく、自分でスケジュールは考えたかったようだ。
そして困ったんだろう。
思い通りに動けないことに怒って、写真を破り、写真を貼られたホワイトボードを破壊するようになった。
ホワイトボードがなければ、写真は貼られないと思ったようだ。
けれど周りがだんだん理解し始め、写真はスケジュールではなく、何かを選択する時に見せれば有効だと気付いて、スケジュールも「これから何をする?」「その後まで決めておこう」など写真を選ばせることで、ホワイトボードの破壊もなくなった。
困らなくなると、問題行動も減っていく。
やっぱり、どれだけの人達に理解してもらって、関わってもらえるかで、この子達は本当に変わっていくのだと思う。
これは、到底親だけで出来ることではない。
あの、新聞の見出しに「自閉症」と書かれた犯人は、そんな人との関わりがなかったのではないだろうか。
そもそも、自閉症は人を殺さない。
そこを勘違いして欲しくない。
世の中の殺人者は、自閉症と診断されている人なんかより、ずっと普通の人と言われる定型の人間の方が多いんだから。
もし、発達障害者だったと強調されても、あの医師が言ったように10人に1人はそうであるなら、みんなみんな違っていて、みんなみんな一緒なんだ。
だから、新聞の見出しになること自体、意味がない。
あの見出しやニュースで、傷ついた人達も本当に多い。
でも、それを謝罪させて削除させた、たくさんの人達の「それは誤解を招く」という言葉は、少なくともこれからのことに、光を見せてくれた気がした。