次男3才くらいの時、一緒に買い物に行くと、歩いて10分かからないス−パーまで、行きは20分、帰りは40分と1回の買い物にかかる時間は、買い物の時間まで含めて1時間以上なんてザラでした。
当時はまだ長男も学校に通っていたので、長男が不在の間に済ませるのがお決まりでした。
行きは買い物という目的があるので、ゆっくりなペースで歌なんか歌いながら、まぁ何とか20分くらいでスーパーに到着するのですが、帰りは次男にとって買い物という目的を達成しているからか、それはそれは家が遠い遠い……。
ちょっと歩けば花を愛で、虫に話しかけ、鳥に挨拶をする。
その度に足を止め、その場その場で作られていく次男のミッションを、次男は丁寧に果たしていく。
おかげで、買い物は日常のなかでもイベント並の時間と、母の体力と精神力が必要なわけです。
そういえば、音楽を鳴らしながらやってくる移動パン屋さんが来ると、次男と車を追いかけて買いに行っていました。
パンを買えば、その次には「パンを食べる」というミッションのみが残されて、また猛スピードで家に戻ったものです。
ある日、そんな長い旅の買い物から帰宅して、キッチンにつながるドアを開けて足を1歩踏み入れようとした瞬間……。
見えてしまいました。
何故か、床の上に大量の緑の顔、顔、顔!
「えぇーーーっっっ!?」
床の上には、明らかに次男が描いたであろう人の顔がぎっしり!
しかも、なんで緑の油性マジックなん?
いつ描いたん? 全く気付かなかったぞっ!
驚いた私は、床に踏み入れようとした足をササッと引っ込めました。
いや、さすがに絵とはいえ、顔は踏めないでしょう。
既にこれがただの模様だと、脳内変換が不可能な状態に。
正に踏み絵の状態!
昔のことなので、写メが取れなかったことが残念。
私が足を引っ込めて、更に部屋に侵入してきた次男に「踏んじゃだめ!」と言うと、次男は一瞬固まってしまいました。
描いたことがバレた……というよりは、描いている最中は楽しかったはずなので、もしかしてヤバいことした? と、ヤバい理由はともかく、母の表情と行動で感じ取ったんでしょう。
「ココに描いちゃだめだよ〜、紙に描こうよぉ!」
と言うと、なんでぇ〜? という表情。
大人の事情としては“賃貸だから”なんだけど、3才児に言ったところでなぁ……ということで、思わず言ってしまったのが
「顔じゃん、踏まれたら痛いでしょう、かわいそうだよ!」
決していい説明じゃないな、とは分ってはいながらも、これしか思いつかなかった私。
すると次男……
「だって、絵だよ〜。」
花や虫や鳥に話しかける人が、そこは現実的なんか〜い!!
ちょっと拍子抜け。
「さとちゃんのお顔の絵を、友達みんなが踏んじゃったらどう思う?」
「悲しい……」
でしょ、でしょ、とへりくつ言って何とか絵を消すことに次男にも承知させました。
結局、消す作業は次男も眠った時間に大人の作業になったけれど、消す時は何だか複雑な気分だったな。
消すのも何だか寂しい、せっかく描いたのにとか、でも、落書きとお絵描きの違いは、次は上手く教えなきゃとか……。
色んな感情と反省のもと、消し去り作業をしたのでした。
けれど、次男は描いたことも消されたこともすぐに忘れて、その後は絵を描くとき、申告して紙をもらうか自由帳に描きました。
そもそも、床の上に描いたのはその一度きり。
当時よく描いていたのは迷路。
かなり精巧なものでしたよ。私には絶対に描けないものでした。
そして、またまたそんなある日、今度は長男がクレヨンを取り出して、突然ガラスのテーブルに絵を描き始めました。
一瞬止めようかとも思ったのですが、あまりにも鮮やかで、あまりにもキレイな配色で、まるで虹のように、何度もクレヨンを持ちかえてテーブルいっぱいに色を塗ったんです。
この時は旦那もいたので、旦那は自分の仕事部屋に飛んでいき、ビデオを持ってきて録画を始めました。
描ききった長男は、本当に満足げ。
わ〜! すごい!!
と褒められて、満面の笑み。
透明なガラス面のキャンパスいっぱいに、隙間なく塗られた色。
本当にきれいでした。
けれど、次男は怒られて、兄も描いたのはテーブルなのに怒られず、OKとNGの境が難しい! と後々悩める母でもありました。
ただ、大人になっても絵が好きな長男と次男。
絵に対する「好き」だけは潰さなくて良かったな……ということが、あの時の私の思いに対しての救いでもあります。
ちなみにテーブルの虹はビデオに収め、これまた兄弟達が寝静まってから2時間かけて拭き取りました。
緑の顔もきれいな虹も消えたけど、今もその絵は私の記憶に鮮明です。
そういえば、次男が小学校に上がってチョークを買ってあげました。
そのチョークで、家の前の道路いっぱいに友達と絵を描いて遊んでいました。
みんな、とっても楽しそうだったな。
もちろん描いた後は、水をかけて消すんですけど。
子どもは大きくなるに連れて、理論や「上手い絵、下手な絵」という認識が生まれることで、だんだん絵から離れていってしまうような気がします。
でも、あのチョークで絵を描く時の子供達の笑顔を思い出してみると、本当はもともと、どの子も絵を描くことは好きなのかも知れません。