この兄弟達は、今も絵を描くことが好きなようだ。
兄は4分の一世紀を生き、弟は5分の一世紀を過ぎても、絵を描くことのとの楽しさは持ち続けていてくれることが、母としてはちょっと嬉しかったりする。
2人とも小さい頃からよく絵を描いた。
弟は発達心理学のテンプレートの上を、上手に歩いていった気がする。
絵を描くのも、発達段階に合わせたようにどんどん描けるようになった。
しかし、驚いたのは長男だ。
紙に色を塗りつぶして楽しんでいる姿ばかり見ていたので、目に見えるものを描けるなどとは思っていなかった。
けれど、小学部6年生になって、学校で小学部1年のとき以来のPEP-Rという発達診断テストをした時のこと。
わたしは姿を隠してこっそり、その様子を見ていた。
先生はまっさらな紙を1枚差し出して
「お父さんを描いて」
と言った。
まさか描けないでしょう、言っちゃ何だけど、色を紙一面にしか塗れない人ですぜ……。
でも、このわたしの思い込みが見事にくつがえされる瞬間を目の当たりにした。
長男は黙って紙を受け取ると、えんぴつを何の迷いもなく動かして、顔から描き始めた。
目も鼻も口も、眉毛も、そして耳も……その次は首が描かれた。
その瞬間に、もうその絵が頭足人(幼児期に描く絵の特長で、顔から足が生えたもの。まだ身体の特徴がしっかり入っていない時代に描かれる絵)ではないと悟った。
首の下はちゃんと胴体も、手も足もあった。
最後に髪の毛が描かれ、思わずわたしはそこから飛び出したくなった。
検査をしていた先生は、隠れているわたしに目をやり、かすかに口の両方の端を上げた。
うかつだった。
信じてなかった。
申し訳なかった……。
母失格だよぉーーー!
そう思いながら、でも嬉しくて、何だかそのシーンが今もとんでもなく記憶に焼き付いている。
字が書けたとか、喋れたとか、計算できたとか、全くそんなレベルではないことなんだけど、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
長男は今も色んな人達に支えられて、思いもしなかった可能性を見せつけてくれる。
それを助けてくれる人達が周りにいることは、本当に本当に有り難いことだ。
けれど、長男のその実力を誰も知らない頃、長男が全く絵を描けなくなった1年程の期間があった。
小学部3年生の夏休みだった。
当時の夏休みは今のように放課後等デイサービスなどなかった時代なので、丸一日、しかも40日以上を母親と過ごすことになる。
そんな中に、社会福祉事業団が運営する「フレンドホーム」で、シュタイナーの絵画教室の募集があり、長い時間をぐだぐだ過ごすよりも……と行ってみることにした。
そこでは指導員さんも絵の先生も優しく、長男の好きなように描かせてくれて、粘土も好きに作らせてくれた。
長男はとても喜び、どんどん作品を作っては「うん」とうなずいて先生の所に完成品を持って行った。
小学部に入学して間もなく、担任の先生に「終りを知らないので、本人は辛いと思います。最初に終りを教えるところからします」と言われたのに、自分で完成を確認して「うん」とうなずいて、ニコニコと持って行く姿を見ながら、本当に彼の成長を感じた。
4年生になった夏休み、また同じ教室の募集があった。
また長男のあの姿を見たくて、早速申し込みをした。
行ってみると、優しい先生と優しい指導員さん、そして、絵の先生をしてらっしゃるという男性がボランティアで来ていらっしゃった。
その方は、ご自分の息子さんが障害を持っていらして、不幸にも二十歳で亡くなられたそうだった。
だから、同じように障害を持った子ども達と絵で関わりたいと、ボランティアに来て下さっていた。
辛い過去があるのに、同じような子どもに向き合うなんて、立派な方だなと思った。
その男性は、長男が紙一面に筆を大きく動かして、絵の具をどんどん重ねて色をぬる姿をじっと見ていらした。
しばらくして、その男性はわたしの目の前に立ち、こう言った。
「こんな色を塗りつぶすだけ、しかも奇麗でもない色ばかり」
わたしは「えっ?」
と思った。長男は確かに色を塗りつぶしてばかりだけど、どんな色を重ねても、不思議なことに深い藍色になっていた。
それを長男は嬉しそうにぬって、うなずいて先生に持って行くのに、なぜ?
続けて男性はわたしに
「こんな色しかぬれないのは、あなたの育て方が間違えているからです。あなたはこの子に、言葉掛けもしないような親でしょう?」
は? 我が家の暮らしを目の前で見たとでも?
あぜんとしていると、男性は長男の目の前に座ると、ピンクと水色と黄色の何ともパステルな、確かに絶対に長男が手に取らない色の絵の具を3つだけ並べ、長男のチョイスした絵の具を排除した。
そして長男に紙を渡すと、ハイ、描いて!と三色で少しぬった所で紙を変えられ、新しい紙にまた、ハイ、描いて!と同じことを要求した。
そして「明るい色とは、こんな色なんだよ!」と言った。
長男はそれに数回は付き合ったけれど、遂には泣き出して画板を男性に投げつけた。
すみません!とわたしが謝ると、男性は
「ほら、あなたの子どもへの対応がこんな性格にしてしまうんですよ!しっかりしなさい!!」
そう長男を指さして、他の親子がいたからか小さな声ではあったけれど、強い口調で言った。
その瞬間、長男が怯えていると察して、わたしは長男の手を引いて外に出た。
もう、その場にはいられなかった。誰も擁護してもくれず、長男はわたしが守るしかないとも思った。
次は教室最後の日だったけど、もう来れないと指導員さんには伝えた。
来週は男性は来ないから、良かったら息子さんを連れて来て下さいと言われ、迷ったけれど、長男がトラウマを抱えることが嫌で、良い終わり方をさせたいと思い、連れて行くことにした。
結局男性はやっぱり来ていて、顔を合わせてしまったので、せめて最後は事情を乗り越えて来て下さったんだし……と「お疲れ様でした」と一言だけ挨拶した。
すると横目で見られて「お母さん、言葉掛けですよ!」と返された。
正直悔しかった。自分がなじられるよりも、長男を否定された気がして。
良い終わり方なんかできなかった。
その直後からだった。
長男は、全く絵を描かなくなった。
けれど、どうすることもできないまま1年が過ぎた頃、また長男は無言で絵を描きだした。
その時、わたしの目からは涙があふれた。
やっぱり色を塗りつぶすだけ。だけど、それでいい。
それでいいんだよ!
私は
確かに良い母親なんかじゃない。言葉掛けなんて、ある人に言わせれば「整理して言わなきゃ混乱するでしょう!」と言われた程。
兄弟で歌も歌い、絵も音楽も好きでいてくれる。
どんな絵でも、どんな歌でも、それでいい!
そうしてあの日、「お父さん」の絵を描いた。
それから、長男の絵は好きなものをひたすら描きまくるものに変わった。
ドラーヤー、階段、ビル、家、室外機、扇風機、観覧車、ブランコ、うんてい、車、店舗のロゴ……どんどん増えだした。
それでいい、それがいい、母はぜんぶ好きだよ!
ちなみに次男が小学校低学年の時に描いた絵。
お肉が「はじめ人間ギャートルズ」だよ(笑)
なんだ、この催促のしかたは……。
旦那が苦笑いしながら財布の中身を確認していた(笑)
絵は、今も2人ともよく描いている。
それでいい。
母は君達の絵がぜんぶ好きだから。