5月18日
姪っ子が置いていったリハビリ用のサメは、転院した今でも次男を見守っています。
6月3日に退院と思いきや、3日に面談でした。
それから早々に退院できるか、日程等を決定するんだそうな。
最短で6月の上旬。3日は母のとんでもない勘違いでした。
でも本人は中旬より前には退院したいらしい。
3日から少し日程が伸びても、母の心配は今のところ薄れもせず。
今日も辛いとは口には出さず、けれどジレンマだらけの次男の姿を目の当たりにする。
だって、あの敵は常に側にいる。
痺れという名の、殆ど無感覚という名の、どうしようもない敵。
今日、初めて院外に散歩に出たらしい。そして、初めての院外でコケている。
足が上がらない、普通に歩けた感覚が戻らない。
坂道を下ることに、初めて恐怖を覚える。
人は目で見たことで、感覚的なものでも認識できるらしい。
でも、物に布を被せて視覚によるサポートを取り除くと、布の中の物が全く取れない。何に触れているのかも分からない。
キャッチャーだった息子が、キャッチャー座りが出来ず、見事にコケる。
綱渡り歩行は、よろけて壁がないと支えもなく倒れる。
ベッドで横になって、タオルを真上に投げたつもりがワイルドピッチ!
野球で、こんな練習いつもしてたのに……と、どうやら出来なさ過ぎて情けなくなっているようだ。
担当の理学療法士さんが、退院は少し早過ぎないか?と言ったらしい。
プロが言ってんだよ。見守ると決めたけれど、そのセリフに……本当だよ!本当だよ! と心の中で繰り返し頷いてしまう私。
それでも自分は、痺れが取れるのも、感覚が戻るのも時間が掛かるのだから、だったらもう退院して、元気な頃に計画していたものを全部実行しようとさえ思っているようだ。
何かをやろうと、目標を持つことは大事だ。それが励みになるから。
それに向かって頑張ることは賛成だけれど、でも、達成のために無理することとは違う。
まだ若いのだから、色んなことのチャンスはふんだんにある。
私のように歳をとった者であればともかく、まるで生き急ぐようなことは、しなくても良かろうに。
今日もお菓子の袋とペットボトルの蓋を、まるでコントかのように凄く苦労して、必死になりながら開けた。
普通に開けられる側からしたら、本当か? と思えるほどに出来ない。
本人は出来るようになったとは言うけれど、あの必死さは見てて出来ているとは言い難い。
焦るなと言っても、もう少し何事も出来るようになってからでもいいんじゃないか? と言っても、今は大丈夫しか言わない。
とにかく痺れが取れて感覚が戻り、今より筋力が付けば、全ての動作が出来るようになると次男は思っている。
さて、どうしたものでしょう。
私には何もできないのです。私の方が情けない。
本当に、リハビリとは精神との戦いだ。
プロのサポートは、回復期には絶対に必要なことだと心底思う。
心が折れても、辛くても、それでも続けることができるのは、そのプロのサポートあってこそ。
これがなくなると、自分でリハビリ出来たとしても、しっかりとした心を保つのは大変になるような気がしてならない。
見守るとは決めているけれど、もう少し安心出来る形で退院して欲しいなぁ。
差し当たって、あと少しでどの位のことが、日常に戻って苦労しない程度に出来るようになるのか、それを見極めることが大事かな。
余りに酷かったら、リハビリのプロ達もゴーサインは出さないだろう。
今日の福岡チームは献立がピカタだったらしい。
もうすっかり、献立に関しても安定の域に入っております。