連休が終わった後も、結局、我が家らしく4人でのんびりとした時間を共有しました。
特段に非日常的なイベントを作ることもなく、時間だけがご馳走の我が家の過ごし方は、相も変わらずでした。
そして、いよいよ次男の帰京の日がやってきました。
長男はこのために、この日の福祉施設の通所をお休みしました。
次男と、今年の夏の時間の締めくくりをすることになります。
次男を空港に送るときは家族全員で送ります。
長男に次男が帰京することを理解してもらうために「またね」というルーティンをずっとやってきました。
この方が、言葉で説明するよりも理解しやすいし、次男が東京で頑張っていることを、長男も理解してくれると思うからです。
「またね」をする前日は、先月誕生日だった次男のためにケーキを買って、みんなでいつものようにハッピーバースディ♪を歌い、ロウソクの火を吹き消して、約1ヶ月遅れのプレゼントも何もないお祝いをしました。
この時、長男はきちんと家族4人分の、ケーキを分けるための皿とフォークを用意してくれました。
そして翌日、次男の帰京の日、長男はなかなか布団から出ようとはしませんでした。
外に行くことが大好きな長男ですから、本来なら「空港に行くよ!」と呼んだだけで直ぐに準備ができるはずなのです。
けれど、長男は頑に布団から出ようとしないのです。それも11時を過ぎようとしているのに。
「置いていっちゃうよ!」という声に渋々体を起した長男は、それでも動きが鈍くて、まさか発作の前兆? とか、体調が悪いの? とか最初は心配しました。
でも、よくよく観察しても全くそんな様子もなく、ただの「イヤイヤ」にしか見えません。
ようやく車で空港に着いて、昼食を食べ、もう何度も次男を見送ってきたように、同じ行動なのに、長男の表情が優れないのです。
とうとう次男は「またね」と保安検査場に向かいました。
その時、振り向いた長男の表情を見て、そうか、そうだったんだ……と。
長男の切なげな表情に、本当はこの日が来るのは嫌だったんだろうと。
だから、布団からも出たくなかったし、珍しく外に行くことを拒んだのでしょう。
保安検査場の中に入ってしまえば、もう握手もできません。
長男は小さく小さく手を振りました。
次男も何か感じたのでしょう。振り向き振り向き進んでいきます。
次男はこの列の中にいても、検査が済んでゲートに進む寸前に、外にいる私達を確認するとピョンピョン飛び跳ねて手を振りました。
今生の別れでもあるまいし、大袈裟な……と言ってしまえばおしまいですが、考えてみると、次男が入院をして2ヶ月もの間、長男は長男で心配していたのだと思います。
だから、次男が病気と闘っている時に、長男もずっと頑張って自分の思いを通そうとしたり、パニックも起すこともなかった。
「寂しくなったね。また会えるよ」と言うと、長男はちいさく2回うなずきました。
この空港のルーティンは、長男に理解してもらうという目的など、なんの意味もなくなってしまっていて、ただのルーティンになっていました。
だって、長男はそんなことしなくても、空港に行くまえから弟とまた離れてしまうことくらい、すでに解っているからです。
帰宅して夕食時、長男は食器をまた3人分用意してくれました。
長男なりに、受け入れているのだと思います。
そして、このことも……。
……またね。