令和が始まった日、わたしは東京の病院にいました。
次男の闘病という試練を、ただ見守るだけの情けない試練を与えられて、令和は静かに始まりました。
朝起きたらコインランドリーで洗濯して、買い物に行き、掃除して病院へ向かう。
次男と窓枠のスカイツリーに毎日会いに行き、めでたい始まりの新たな年号に、わたし達は先が見えない日々を過ごしました。
あの日々は、まだ遠くに行ってなどいない。
ついこの間だった様な気すらして、今はもう全然平気と言う次男を、まだまだ心配してしまうのは親の何ともどうしようもないところでしょう。
けれど、そんな令和の最初の年が終わる頃、年が明けたら帰ると次男から連絡がありました。
長男に伝えるとニヤニヤと……かわいいヤツです。
そんな最中、間もなく令和も二年を目前にして、わたしは実に何年ぶりかでインフルエンザにかかったのでした。
久し振りにキツい数日間を過ごしたけれど、旦那も長男もウイルスには好かれなかった様で。
そうやって何とかウイルスも去り、正月も無事に迎えられました。
まぁ、まずは良かった良かった。
それにしても、我が家の令和元年は、次男のウイルスに始まり、私のウイルスで終わったのでした。
なんとまぁ、あまり病気に縁のなかった私たちは、令和の初めにキツい一発目がお見舞いされたことで、命と健康について考えさせられました。
それでも壁は超えたのは事実。
さて、令和の2年目はよき年になる予感です。
そういえば、ドタバタな日々に、いつの間にか次男の初心者マークは必要なくなっていました。
いや、全く本当に気づかない内に……。
次男に聞くと「そうよ、マークは取れたよ」と。
う〜ん、ペーパードライバーよ、心して本当の1年間を数えたまへ……。
それにしても、日々は刻々と過ぎているのですね。
すっかり年寄の域で思いを馳せたりするわけです。
わたしにとっては今はまだ近しい次男の病気も、遠い昔になる日は、そのうちやって来るということでしょう。
師走はさすがに寒く、スズメたちも体を丸くして寒さに耐えていました。
自然に暮らす生き物たちは、自力で寒さを凌いでいるんですね。
ますますインフルになった自分が情けなや。
そうこうしている内に、世間は令和2年に突入。
あけました。
おめでとうございます。
車のリア席から見えた福岡タワーです。
外に出て狙って撮れなかったので残念。
元旦の夜に、次男が帰ってきました。
家族揃って、令和の2年目スタートです。
旦那の実家近くの神社に、まずはご挨拶。
巫女さんたちも仕事終いでしょうか。
おつかれさまでした。
その後、わたしの実家へ。
長男と次男、そして二人の従兄弟である海洋系の学者をしている甥っ子、心理士の姪っ子と、従兄弟同士4人が集まりました。
中々忙しくて会えなかった4人は、私の父の死後、顔を合わせることも多くなりました。
これからも、こんな日が重なっていけばいいなと思うわけです。
そうして、令和2年のお正月も、時が過ぎていくと普段の日々へと移行していきました。
次男は帰京の飛行機のチケットが取れず、新幹線で東京へ。
前回の別れ際涙目だった長男も、イレギュラーながらの早朝の、家の中での兄弟の別れに、本人なりにちゃんと受け入れることができていました。
母よりも先に、もう弟は大丈夫だと認めているのかもしれません。
成長してるな。
子どもたちはね。
今年は、自分も育たないとな。
この年で、精神的に成長とは逆に難しい気もするけれど。
それに、贅肉…と言ったところで、もう洒落にもならん年になったから、そこはスルーで。
令和2年。
今年、我が家にとっても、みなさまにとっても、良き一年になります様に……(合掌)