宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

意外にも世の中は・・・。

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カレンダーに、私が予定を書き込む時の長男の表情がいつも可愛い。

 

君のイベントはここだよ・・・と書き込むと、嬉しそうにカレンダーを覗き込む長男。

書き込んだところに「でっ、でっ」と言いながら、指差して何の予定か聞いてくる。

 

ここが「行動援護で(重度障害児者の移動支援)、ここはお父さんがいるからドライブできるね!」

 

長男は、あれ?という顔をした。

ので、もしかして?と思って「あぁ、短期入所はまた今度ね^^」

と伝えると、また「でっ、でっ!」と指差ししながら聞き返してくる。

 

福祉のサービスで「お母さんの睡眠時間を確保しよう!」と相談支援員さんが繋げて下さった、短期入所なる施設でのお泊まりの日は、実は今月はナシ。

ニーズの多さに対して、支援者であるマンパワーの数が追いつかないからしょうがない。

 

短期入所は、だいたい月1回で土曜日の夜から日曜日の朝、あるいは日曜日の夜から月曜日の朝に利用させてもらっている。

つまり、長男にとっては親以外の、年齢も近い支援者たちと過ごす貴重な時間。

そして私にとっては、夜中に起きる必要がない睡眠がとれる日。

 

でも「ご希望に添えなくて申し訳ないです」と連絡が来て、ウチが利用できない時は誰かが利用できているわけで。

逆を言えば、ウチが利用できている時は、誰かが利用できていない可能性がある。

 

福祉のサービスはマンパワーがなければ成り立たない。

だから、私たちは利用する側であり、それを大事にしなければならない立場でもあるんだ。

 

そしてこの前の週末のこと。

旦那が用事で数時間の不在を宣言して出て行ったので、しっかり長男には説明したものの、どうやら置いてきぼりを喰らったと感じたらしい。

 

そこで「あ"ー、あ"ー!」と私に不満をぶつけて来たけれど、なんとも帰宅の時間がわからなかったので、まぁまぁ母と一緒に待とうではないか!と説得をしたところ、長男は横になってふて寝を決め込んだ。

 

苦笑いの私だったけど、しばらくして寝落ちしたのか寝息が・・・。

おや、ではではちょいとタオルを取りに・・・と私がドアを少し開けた瞬間、ムクッと長男が起き上がって来たので、ああ、やっぱりね・・・と、これまた苦笑い。

 

むくれていた長男は、私が少し長男から離れたことで、私の手が及ばないと考えたであろう場所にある引き出しから、何かを取り出して壊そうとし始めた。

 

母を舐めたらいけません(笑)

結局母が追い付いて、おいおいと止められて未遂に終わったのでありました。

調子が悪い時は、もう完全に破壊されているパターンだけど、この日は大丈夫でありました。

 

こんな風に、寝てるかもしれないと思ってその場を離れたことで、事件が起こったことは数知れず。

多くの支援者も経験させられていて、目の及ばないところで破壊行動や脱走とか、何度やらかしたことか。

脱走によって、小さい頃は保護で済んだけど、大きくなってからは留置所に入れられたことだってある。

 

こういう風に寝落ちしたかと思っても、周りの状況で目を覚ます長男と、夜眠っていても長男の動きで目の覚める母と、毎日の攻防は未だ途絶えることはないわけです。

つまり短期入所のお泊まりは、こんな私たち親が、夜中の攻防を繰り広げずに済む時間をもらえるわけです。

 

けれどまぁ、ここのところ結構機嫌の良い日が続いていたこともあってか、今回この昼間の攻防はたいしたことはなく、短い時間の出来事で済みました。

 

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そうしている間に父親が帰宅。

で、長男の外出要求が始まりました。

そろそろ夕方に差し掛かる頃とはいえ、長男の希望通りにドライブと相成りました。

 

相変わらずの、長男が行きたい方向の指差しにハンドルを切っての気ままなドライブです。

日が落ちてきて赤く染まり出した空を見て、父親が「夕日が落ちるまでに、まだ間に合うかも知れない!埠頭に行こうよ!」と言うと、長男も納得。

 

本当に綺麗な夕日と空と海に出会えました。


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観光地でもリゾートでもない、流通のための埠頭。

ここは釣り人の姿も多く見られます。

長男は空を見るというより、この日の、冬にしてはそんなに冷たくもない風を感じているふうでした。

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私もこの真っ赤な西の空を見ながら、この風景とは裏腹に、なぜかこんなことを思っていました。

 

「あ〜・・・帰ったらまた家事かぁ・・・。」

「朝も昼間も何も出来なかったし、今はこうしてるし、やりたいことはまた夜中だなぁ〜」

 

綺麗すぎる風景の中で、なぜか現実的な思考がいらん方向にも働く私の脳内。

それはこんなこと・・・。

 

最近、周りの尊敬する人たちが更に勉強を始めたり、深めたりしている。

資格を取った人、取ろうとする人、講座で学び始めた人・・・SNSでそんな報告が溢れている。

 

「あれ?私、何やってんだ?」

 

時々、すごい取り残され感が襲って来たりする。

でも、今日はその取り残され感の後に、更に来た感情がこれ。

 

「あぁ、こんな綺麗な風景を見せてもらってんだなぁ」

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なんも出来なくても、実はこうして気を抜く場所を、ちゃんともらってたな。

案外、すごいことに気付かされたか?

 

なんだかよく分からないけれど、意外にもスッキリして帰宅した私。

色々あるけど、この時間も長男がくれた時間。

 

世の中は気付かないだけで、案外上手く回っているのかもしれない。


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一年半を過ぎた告白……知ってたけどね。

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前回のブログで書いたように、令和も2年が終わり3年が始まった頃に、我が家は長男の啓示を受けつつ新しい年を迎えました。

 

そして令和3年の最初の日が暮れようとした頃、次男が帰省して来ました。

 

次男は東京住まいであることから、それは幾つかの質問から始まり、確認をするところから帰省決定への流れとなったのでした。

 

まず、体調が良いこと。

キャンパス内に感染者が出ていないこと。

研究に没頭して不要不急の移動、外出をしていなかったこと。

移動には主に徒歩で、殆ど公共交通機関を使っていなかったこと。

ということで、GOサイン発令となったのでした。

 

空港はガラガラ、人との接近や接触をするには、わざわざ近付かなければならない程の人しかおらず、遠くに立っていた次男を直ぐに見つけられたレベル。

 

さて、かくして次男は昨年3月から10ヶ月ぶりの帰省を果たしたのでした。

 

しかし世間はコロナな毎日で、しかも寒波に襲われるわ雪は降るわ。

まぁ、そうでなくても外を出歩くことはなかったでしょうが。

 

それにしても、長男は次男を待ち続けていました。

弟が帰ると聞くと、いつものようにカレンダーとにらめっこ、指を差しながら「いつだ?」と聞いてきました。

 

そして帰省した次男がその日から夕食に同じテーブルを囲むと、長男は次男の顔を何度見もしながら、でへへっと笑うのでした。

 

それからの長男の機嫌が良いこと良いこと。

次男が帰京した今でも、まだそれは続いています。

 

さて、次男は帰省してから何をしていたかというと、朝から夜遅くまでひたすらパソコンの前にいました。

 

何やら英文の論文を読み、突然暗号のような計算式を紙一面に書いて計算を始め、またパソコンに向かって何かを書き込み、殆ど休みもせず毎日、それをやっていました。

 

それに時代というかご時世というか、オンラインでの研究室や宇宙ステーションの解析班のミーティングもやっていました。

 

次男は中学高校と部活をしていて、家にいる時間のほとんどは寝ている姿ばかりを見てきたので、思わず

「いや〜、こんなに長時間、勉強している姿は見たことなかったわぁ〜」

と言うと、口をパクパクする次男なのでありました。

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そんな次男を囲んでよく出る話しは、やはりあの時のこと。

ギラン・バレー症候群で緊急入院してからの日々の話です。

 

病院で過ごした日々から、退院しての1年7ヶ月。

実は……と次男の告白が始まりました。

 

とにかく早く退院したかった。

だから自分でも相当カラ元気出してたと思う……と。

 

本当は歩くのも不安だった。

いつ転ぶか怖かった。

それでも看護師さんや療法士さんには、大丈夫です!と言い切っていたと。

 

まだ上手く歩けない、すぐコケてしまう、体力もない、すぐ呼吸が上がって熱も出やすい、

ペットボトルの蓋さえまだ開けられない状態で退院したのは、本人の強い意志からでした。

 

とにかく頭の中から、退院の2文字が渦巻いて離れなかったんだと思う。

 

まぁ、知ってたよ。

相当無理して、平気なふりしてたことくらい。

 

リハビリの担当だった理学療法士さんと、実は次男のいない場所で話したんだよね。

本人が今の段階で退院したいと言い出したのは、入院自体に相当ストレスが溜まっているからだって。

 

リハビリは今やっていることを、ひたすら繰り返してやるだけだけど、幸い若いから、自分で日常で機能訓練をすることはできる。

ストレスを溜めて入院を続けるよりも、自分の生活の場で頑張る方がいいだろうって。

 

だからそれ、知ってたんだよね。


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次男は声に出さず、そぅかぁ〜という顔をしていました。

今頃になってだけど、話の流れでたまたま話したのか、言いたかったのか……。

 

そうやって、高校時代まで殆ど見せてこなかった勉強姿をガッツリ公開し、退院時の不安だったことを告白まで終わらせた次男は、東京が緊急事態宣言を出した直後に大学に戻って行きました。

 

望遠鏡、覗かなきゃいけないからだそうで。

そうですか。

まぁ、好きなことだからガンバレ。

 

来た時よりも更に人がいなくなった空港で、また長男との「またね」を交わし、ゲートに消えて行った次男。

 

さて、今度会えるのはいつでしょう。

ますます帰省が難しくなる可能性もあります。

でも、好きなことをやっていることで、ギランバレーにやられてストレスを溜めていた時とは違い、しっかり地に足をつけて歩いていけるでしょう。

 

親はエールを送るのみ。

もう、やってあげられることはなくなってきています。

 

頼もしくもあり、寂しくもあり……。

そうやって、子どもは巣立っていくのでしょう。

 

 

今年も長男からの啓示を受けたので・・・


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あけまして12日目でございます。

相変わらずの我が家・・・皆様、佳き新年をお迎えになられたでしょうか・・・。

 

今年、どうやら4年目突入らしきこのブログ。

なんとまぁ、記事数が今回で101回目と、はてなブログさんから通知が来ました。

どんだけノロノロ運転じゃい。

それに、プロポーズでもしなきゃいかん回数か?

(ギャグにもならんなぁ・・・これが一体、どの年代まで通じるのか・・・)

 

さて、そんな2021年でございます。

今年も元旦から受けました。

長男からの啓示を。

 

そういえば、数年前には超強力な啓示を受けましたが、去年はやんわりだったような・・・そして今年。

「年の初めの試しとて」(本当は"例“と書くらしい)とばかりに、初日の出がお目見えするその前に、それまで眠っていた長男はガー〜ーっっと立ち上がると、私たち親の隣にやって来て大絶叫を始めたのでした。

 

実は私もやっと布団に入ったところだったのですが、その瞬間「あ、こりゃん寝れんパターンやな」と構えて、その通り私は完徹と相成りました。

 

夢を見たのか、それとも何かの感情が吹き出したのか。

とにかく、こうなったらとことん付き合うしかありません。

いや、付き合うからドンと来い!

と肝が座ってしまうのは、もう長年こんなことをやって来ているからです。

 

数年前はパニックで暴れた後にドライブ要求があり、長時間を車の中で過ごしたまま新年を迎え、朝方帰宅ということもありました。

帰宅後も、元旦は長男の絶叫大泣き大会と化し、これからも何度も押し寄せるであろう同じような事態に対し、お付き合いを覚悟した年始でした。

 

そして今年も。

ええ。もちろん、お付き合いしますとも。

私の肝は身じろがないんです(笑)

正直、周りの多くの支えあっての肝でもあります。

 

今年もよろしく付き合いなさい・・・と、長男に啓示を受けましたので、例年通りお付き合いさせていただきますよ。

 

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ただ、母にも今年はひとつ、困ったことがありまして。

 

昨年は、手を壊してしまって生活に支障が出て来たことで、色んなことを自ら変化させなければならない年でした。

 

しかし今度は膝なんかもまずい状態になって来まして、多分水抜きせねばならないだろうというところに来ています。

通院を考えると病院もなかなか行けないのですが、長男のダッシュなる動きに対応するのがかなり辛い状態です。

 

世の先輩方が「膝がやられていてねぇ〜」とおっしゃるのを何気に聞いていましたが、今度は私が言う番ですか。

多少情けなさもあり、年齢も感じながら、今まで実際酷使して来たことも事実なので仕方ないのでしょう。

 

それにしても最近、スマホでやたらグルコサミンサプリなんかを勧められるけど、どこから聞きつけたんでしょう?


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めっきり寒い毎日です。

冷え性の私。

「湯たんぽ」ヘビーユーザーなのですが、これが寒がりさんには超〜オススメです!

 

そんなこんなで元旦も通り過ぎましたが、例年通り漏れなく長男から啓示を受けた令和3年が始まりました。

それを受けて、コロナの中にあっても、今年もたくさんの幸せを見つけられるように頑張りたいと思います!

 

 

やっと書きます。激動でした(その3)将来の光がまぶしいぞっ!

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いやぁ、ここのところの夕日がいちいち綺麗ですな。

そんなこんなで気づけば12月も10日を過ぎておりました。激動の日々も、どんどん過去のことになっていくわけです。

 

けれど、忘れないでしょう。おばさん、結構感動したので(笑)

 

ある日、同じ重度の自閉症のお子さんのお母さんから言われました。

「出番ですよ!」

 

はい? なんの??

 

時は新型コロナで外出ができず、学校も例外なく子供達は自宅待機を余儀なくされていた頃です。

大学の学生たちも、やはり対面授業ができず、全面オンラインでの授業となっていました。

 

うちの次男も、ISS搭載の望遠鏡で実に摩訶不思議な現象を発見したらしく、それについて他大学の教授たちとも議論しているそうだけど

「オンラインなのがもどかしい・・・」

ボソッとLINEに一行。

 

そうなんやぁ〜・・・と人ごとな返事の母ではありましたが、なんという時代になったものか・・・。

 

そんなこんなの謎の「出番です」の一言を私にかけたお母さんですが、実に勉強家で様々な資格も持っていて、障害とはなんたるかのエビデンスもバッチリ語れる、私の尊敬する人です。

で・・・なんの???

 

お母さんは、ある人に私の連絡先を教えていいかと聞いてきました。

その理由に「なして?」とポカンな私。

連絡先は某大学の先生で、それは大学での講義の依頼でした。

 

ちょいとちょいと、言わなくてもわかるよね。私、なんのエビデンスも語れないよ?

画面のパワポを示しながら説明している自分なんぞ、かけらも想像できんよ?

教員免許と運転免許しか持っていない私が、運転技術の解説でもするん?

 

と思っていたら、障害を持った子供のお母さんとして、子供と共に生きているリアルを語るだけでいいという依頼でした。

 

毎日がえらいこっちゃのリアルなので、そりゃ話せと言われればネタが尽きないのは事実。

息子のブッとんだやらかしを話すだけで、結構みんな笑ってくれて「本にすればいいのに!」とか言ってくる。

そんなん、大赤字に決まっとるやろ(笑)

 

実は声をかけてくださったお母さんは、その大学で講義をされていて、どんな授業をしているのかと聞いたら、ちゃんとパワポで資料を提示しながらしっかり先生をされていました。

大活躍のお母さんはいつも大忙しで「いつ寝てるの?」と聞いたら「そりゃあなたでしょ!(笑)」と返されました。

いやいや、寝れない理由がちょっと違いますがな。

 

そんな理由で、大学の先生方とソーシャルディスタンスを保ちつつお会いして、色々お話を伺いながら、その依頼を受けることにしました。

 

授業は、保育科の学生が現場へ巣立つ前に、障害を持った子供の家族の話を聞いてもらって、保育に役立ててもらおうというもの。

これもコロナの影響で、なかなか現場実習の受け入れが厳しいことから、学生たちにどう学びを提供しようかと、大学の先生方が考えて企画されたものでした。

 

実際、その大学は先生たちがとてもパワフルで熱心。面白いアイデアも取り入れながら、とても良い授業をされていました。

 

もちろん発達心理学や障害児教育の基礎知識は授業でしっかり学ぶわけです。

先生方は、それは支援をする上でブレないためであって、支援をするに当たっての手法を子供に押し付けるためではないと言われました。

 

子供ひとりひとりに向き合うことが大事だと。

 

凄い先生方です。

ここの学生は先生方に恵まれて幸せだなぁ。

あのお母さんも、ここで教鞭を取ってるのも心強い。

実際、保育科に行きたい高校生がいたら、私はこの大学を勧めます!(マジ)

 

先生方も、ここの学生たちは優秀なんですよと言われていたけれど、本当に人として優秀な保育士になれると、私は大学の回し者ではないですが言い切っちゃいます!

 

気付けば、私はオンラインで7時間の授業を3回もさせていただきました。

当然エビデンスもなく、ひたすら母親の話。

でもあまり知られていない家族のリアル。

7時間、やっぱりネタはつきませんでした(笑)

 

そもそもなんで自分の「出番」を受けたのかというと、そのリアルを学生たちに話せる機会なんてまずないからです。

こんな貴重な時間をいただけるんだから、これはやはり障害を持った子供の「いち母親」としては受けるべきでしょう。

 

しかも、現場で頑張ることになる学生たちが、障害を持った子供たちを受け入れることができたら、もしかしたらどんな障害のある子どもでも、幼稚園や保育園で友達を作ることだってできるかもしれない。

 

何より学生たちが現場に立った時、目の前の障害を持った子供に向き合って笑ってくれる。

そんな光景を見ることができるだけで、どれだけ親たちの心が救われるか・・・。

 

それを伝えようと思ったんです。

こんな機会を与えてくださった大学と先生方には、感謝しかありません。

そして、真剣に聞いてくれた学生たち、そしてあのお母さんにも。

 

そうやって終わってみれば、学生たちに大量のレポートと感想をいただきました。

これが涙もので・・・。

一人一人の文面から、障害を持った子供と向き合おうという想いが溢れていました。

そして、そのお母さんにも寄り添いたいと、多くの学生が書いてくれていました。

 

私にとっては激動の、学生たちとの三日間。

嬉しいなぁ。

少しでも伝わったのかなぁ。

学生たちの、現場での姿が見たいなぁ・・・。

 

きっと大変なこともたくさんあるはず。

悩むことも多いはず。

けれど、学生たちが私に贈ってくれた文字たちが希望をくれる。

 

その将来の光がまぶしいぞっ!

 

 

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激動でした!(その2)初めて「書いててよかった」と思えました。

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「バズってますよ!」

この一言に驚いた日。

 

関節炎にてすっかり役に立たない私の両手ですが、何とかピアノは弾けまして、そんなこんなで退職した放課後等デイサービスからご依頼をいただいて、月に2回の音楽の時間だけは続けています。

 

そして、その日も子供達と音楽でお付き合いをして、記録まで書いて事業所を出ました。

キーボードを抱えて、てくてくと歩いて帰路につき、玄関でキーボードの入ったケースを肩から降ろして何気なくスマホのチェックをした時、facebookで私がタグ付けされている投稿が目に入り・・・。

 

「んんん??」

目を見開いて確認すると、どうやら私が自分のサイトに書いた記事が、拡散されている様子。

 

「んんんんんんん?????」

 

それこそ、新聞記事には出していなかった息子の「成功例」を書いた記事についてでした。

 

我が家を丁寧に取材してくださって、私が伝えたかったことを記事にして頂いた内容を読んだ人たちの中には、息子を全く野放しで育てた印象を持った方も当然いたわけです。

 

でも、それは前回のブログで書いた通り、強度行動障害と言われる、支援の難しい子供のいる生活のリアルを知ってもらうことが目的で、その中から成功例を伝えたかったのではないわけで。

けれど実は、息子はスーパー支援員さん達に出会って、彼なりの人生を楽しみ出したリアルも持っているのです。

 

誰かが「いつか」読んでくれて、こんなこともあるんだね、出会いでどんなに障害が重くても子供は変われるんだね、と知ってくれたらいいなぁ・・・。

 

 そんな思いで書いたこの記事を、驚くほどの多くの誰かが、まさに「今」読んでくれている・・・。

 ちょっと理解に時間がかかり、多分すごいマヌケ顔で立っていたと思います。

「ドユコト?」

 

つまり、こういうことでした。

どうやら発達障害支援の専門家の先生が、私の記事を見つけてツイッターで拡散してくださったようです。

とても有名な先生のようで、そもそも拡散力をお持ちの方だったので、その力がドドンと炸裂した結果でした。

 

そりゃそうだ、私ひとりの力じゃムリだ。

そもそもツイッターは使いこなせていないし、私自身ただのおばちゃんで知名度なんて微塵もないし。

それに私の記事は、そうそう多くの人には読まれていない。

 

それにしても、facebookでタグ付けして教えてもらえなかったら、私は何も知らないまましばらくは過ごしていたでしょう。

教えてくれたKさん、本当にありがとう!

 

 

本当に、全てはこれから始まりました。

こんな有名な先生にも、私が書きたかったことが伝わったのかな・・・え?こんな文章で? 本当に?? とすごく嬉しかった。

それにしても、どうやってほとんど人に読まれていない私の記事を見つけられたのだろう。

本当に本当に、至難の技だったろうに見つけて頂いて、本当に本当に本当にありがとうございます!

 

この記事を読んで下さった人たちの中からは「こんなのTEACCHプログラムじゃない!」というコメントもありましたが、それは正直、私も思います。

でも、当時はこのやり方が主流だったんです。

現に、息子はその時代の渦中にいたわけですから。

 

当時はまだまだ、プログラムもそのメリットを生むための攻略が、完全に理解されないままに色んなところで使われていたように思います。

 

けれどそれは二の次。伝えたかったのはコレ!

 

出会いで、どんなに障害が重くても子供は変われるんですよ〜〜〜〜〜!!

 

この記事は、あっという間に一万人を超える方に読んでいただきました。

そして、奇跡はまだその後も続いたんです。

 

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息子は、色んな施設でトラブルを起こしては拒否されてきました。

周りの人たちにもそうしてきたように、施設にもたくさん謝ってきました。

修理費はかさみ、何度息子のやらかしに親として謝っても、謝罪は慣れるものではありませんでした。

 

義父の葬儀で預かってもらった施設からは、それまで親も見たことのないようなやらかしもやっていて、迎えに行った時、そのやらかしのあらましと証拠を提示されて、旦那と私は、その場にいるのも心臓がギュウギュウ締め付けられて、とても息苦しかったのを覚えています。

 

「息子さんを預かるには、支援員を増やさなければならない。ここには通常利用している人たちがいるので・・・」

 

その言葉に深々と頭を下げ、息子を乗せた帰りの車の中では、しばらく沈黙が流れました。

そして、あの時、私たち親は決心したんです。

 

どんなことがあっても、息子は一緒にそばに置く。

 

そのあとの義母の介護の時も、葬儀も、私の父の葬儀も、私か旦那が止むを得ず不在する時、どんなに息子の調子が悪くても。

私たちはいつもいつも一緒にいました。

だから、選択肢は他には考えられませんでした。

 

けれど、この記事が拡散されて、多くの支援者の方からコメントやメールをいただきました。

その方達のコメントが、それまでの私の気持ちを随分と溶かしてくれたのです。

 

それは、目の前の人達がどんなに障害が重くても、真剣に向き合い、理解しようと頑張っている人たちの言葉でした。

支援を見直したい、向き合う方法を探りたい、この施設の支援者たちのように、目の前の困っている人たちと向き合っていきたい・・・。

そんなコメントに溢れたからです。

 

こんな人たちは、本当はたくさんいた。

私が知らないだけでした。

溢れたコメントに、こっちは涙の方が溢れました。

 

スーパー支援員に出会って、けれど私が死んだ時はどうなるのだろう。

そんな思いから、もしかしたら、私は意地になっていたかもしれない。

 

この子を生かすために、私は120才まで生きると本気で言っていたほどです。

そんなこと、できるはずがない。できるはずもないのに、やらなければならないと本気で思っていました。

 

実は、この記事を拡散して下さった先生ともzoomでお話をする機会をいただきました。

先生は、どんな手法も子供の理解なしに進めてはいけないとおっしゃった。

私は大きく頷きました。

 

この記事のおかげで、他県からも強度行動障害の支援者育成研修で、お話しさせていただく機会をいただきました。

最初は、講義な訳だし、支援者育成の内容だし、息子の通っている施設からの話がよいのでは? と思っていたけれど、よくよく話を伺ったら「親の気持ち」ということで・・・あ、それなら私ですね(笑)

 

強度行動障害は最も支援が困難と言われ、二次障害であるがゆえに親が責められ、放置されてきた歴史があります。

こんなにしてしまったんだから、親が見ろ!と。

実はそうではないことは、厚労省のホームページにさえ明記されているのに。

 

しかも自閉症と言われている人たちの中で、1〜2%しか存在しない人たちです。

親の本当は、子供の命を自分の命をかけて守っているんです。

でも、それなのに許してもらえないことばかり。

 

そんな強度行動障害と言われる人たちの支援は、他人には難しいというのは当然のこと。

美味しいフルーツ飴の中に何故か入っているニッキの飴には、誰も手を出さない。

けれどたまに、そのニッキの味にはまった人達がいる。

まるでそんな人達が、頑張って親と一緒に命を守ってくれている。

しかも、それを普通にやっている人たち、志している人たちが、実はこんなにいてくれたことに、驚いて嬉しくて感謝しました。

 

初めて「書いてよかった」と思った瞬間。

こんな日が来るなんて。

 

手応えのなかった自分の記事から、くしくも自分の知らなかった支援者の声が聞けたのだから。

 

そして、ここに来て今度は、同じようなお母さん方からコメントやメールを頂くようになりました。

みんな「自分だけじゃなかった!」「ひとりじゃなかった!」いろんな気持ちが飛び交い、聞けるようになりました。

 

共感して泣いたと書いてくれたお母さん、言ってもらって嬉しかったと伝えてくれたお母さん・・・。

それは、私自身の気持ちも和らげてくれて、これからのことに背中を押してくれています。

 

そして、この激動の期間には、もう一つの熱いエピソードも経験させていただきました。

というわけで、それはまた次回・・・・つづく

 

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激動でした!夏至〜と言っていたら、それから4ヶ月が過ぎて・・・

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 そんなにこのブログを放置していたのか・・・と我ながら驚きましたが、いやいや、そのおさぼり期間が、本当に光陰矢の如しで過ぎ去って行ったのでして。

その間、なんもしてなかったわけではありません。(言い訳でもありません・汗)

 

56才のおばばにして、このぎゅっと詰まった4ヶ月が過ごせたのは、結構な体験でありました。

そんな事件三昧の日々を、そもそも備忘録として書き始めたブログだから、ここにカキコいたします。

 

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前回のブログは、丁度それまで働いていた放課後等デイサービスを辞め、直後に某障害者相談支援事業所に事務として雇って頂き、無職無収入の危機を救って頂いたところまででした。

 

ちなみに手の薬指骨折エピソード付きでしたが、それは完治・・・と思われます。

ただ、痛みはまだあるし、骨が太くなったのか指輪は全部入らないというオチ(泣)

 

でもよかよか、指輪はできなくても、お陰さまで少しでも足しになるパート収入は得られます。

しかも、我が家の事情を知ってくれている職場なので、出勤時間を柔軟に設定してもらっていたりもします。

なんせ、息子の朝の状態次第で出勤時間は影響を受けるわけです。

この子たちの問題行動やパニックは、サクッとは終わらないわけで、お付き合いするしかないんですよね。

 

そんな我が家の事情を組みとって貰っているので、ありがたや、ありがたや・・・

ゆ・・・指輪なんかできなくても・・・・・・・・・・(涙)

 

ということで、結婚指輪とお気に入りの指輪、義母からもらったネックレスとともに、ジャムの空き瓶に収まってもらいました(今後は眺めて暮らします・・・くすん)

 

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 そんな最中、激動の第一派がやって参ります。

それは、地元新聞社からの取材の依頼でした。

 

私もこの歳になり、長男を残して死ぬための準備をしなければならない時期に差し掛かりました。

そのための知識を得ること、準備をするために、勉強会を立ち上げて活動をしています。

その中で知り合った、同じように障害を持った子供さんのお父さんである、新聞記者さんにお声をかけて頂いたのがきっかけでした。

 

まず知ってもらいたいという思いから、取材を受けることにしました。

その時、顔出しと氏名公表が大丈夫か聞かれました。

考えましたが、その方が真実味もあり、他人事というよりももっと、身近に感じてもらえるのではないかという思いから公表することにしました。

 

取材はとても丁寧にして頂き、私のまとまりのない言葉をしっかりまとめ、伝わる文章で記事にして頂きました。

出来上がりの記事を読んで、プロの記者さんは凄いな〜・・・と、心底感心しました。

 

さて、その内容の中には、長男との様々な成功例は書いてもらっていません。

強度行動障害と言われる子供の家庭の、問題行動やパニックに向き合う、暮らしのリアルをそのまま伝えてもらいたかったからです。

 

さすがにこんな長男でも、様々な成功例は持っています。

でも、それを書いてもらったら、暮らしのリアルが薄まってしまいます。

 

それに、私も散々経験してきたことなのですが、人の成功例を聞いて

「ほら、こんなに大変な子も、これをすればよくなるのよ、あなたもやってみなさい!」

と、よくその家庭のことを知らない人が言って来られることがあります。

 

私が成功例を書いてもらったとしても、その記事を読んだ人が、他の障害を持った子供のお母さんにそう言っている姿を想像してしまって、それがすごく嫌だったんです。 

 

これは本当に「あるある」で、人の成功例が誰にでも通じると、良かれと思って言っても、まず人それぞれで成功するとは限らないし、むしろその家庭を追い詰めることになりかねない。

そんな経験を、私は嫌という程やってきたので、それだけは避けたかった。

 

とにかく伝える、そのために記事の中に、成功例など必要なかった。

実際、この記事は大きな反響を呼んだようで、全国で広く拡散されたようです。

こんな家庭があったのかと、知らなかった人たちが衝撃を受けたと聞いています。

それを聞いた時、書いていただいて良かった、成功だった!と思いました。

 

そして、その先のことも実は覚悟していました。

それは「この子がこんなに大変なのは、この子が小さい時から親が何もしてこなかったからだ!」という批判。

そして「このツールを使えば落ち着くのに」「この技法だったら改善するのに」という責めに近い言葉たち。

専門家たちからの、周りの支援は何をやっていたのか!とのお怒りの声もありました。

 

でも、このことはとうに想像できていたし、その時、私はひとつのことを考え始めていました。

 

記者さんは、これをシリーズ化して3つの記事にしてくださいました。

1回目が我が家、2回目は長男の通所施設での活動です。

2回目は、施設スタッフが長男を支援している中での取材だったことで、障害が重い人たちを頑張って支援している施設がある・・・ということに、また反響があったようです。

 

そして、3回目は別のお母さんのお話で、これは成功例が前面に出ていて、本当にホッとする、お母さんの頑張りを讃えたい大変良い記事でした。

 

この記事は「強度行動障害三部作」と呼ばれ、広く拡散され、1部は「衝撃」2部は「驚き」3部は「ホッとした」という声が多かったとのこと。

記者さんには、よくここまでまとめていただいて感謝の気持ちでいっぱいです。

 

さて、一切成功例を出していない1部での周りの反応から、私はその考えていたひとつのことを実行することにしました。

 

ささやかで、ひっそりとして、誰の目にも止まらないかもしれないけれど、既存のツールや技法ではない、長男に影響を与えたある事実を、私自身が記事にしました。

 

こっそり自分のサイトにて公開したのですが、これがとんでもないことに発展するなんて、その時は思ってもいませんでした。

                長くなりそうなので ・・・・・・・・・・つづく

 

                ↑↑↑↑↑

       ここで、今までのようにブログ放置ができないことを自分で悟る(汗)

 

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夏至で日食で新月でちまたではスゴイと言われているけれど

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はぃ。

我が家はいつも通りですよ。

 

ただ、最近の空は必ず太陽の光の筋なんかが見えていたので、確かにスゴイな、最近の空は・・・とは思っていましたけどね。

 

福岡では日食は50%がかけてたらしいです。南に行くほど太陽は隠れていたらしいですね。

そんで、エネルギーの強い日!とちまたでは話題になっていましたが、我が家にはエネルギーの塊の長男がいるので、毎日が縁起がいいです!(ものは考えようだ!)

 

さて、そんな縁起物の長男、この6月からやっと毎日の通所解禁で、普通に施設に通所していますが、毎年年度の変わる4月に見られる、眠気や破壊行動、泣き真似、こだわり行動のパターンが最近になって出てきておるのです。

 

年度はじめはコロナの影響で毎日は通所できなかったので、もしかしてやっと普段のように通えるようになったこの6月にずれ込んでおるのかな?

 

そう思いながら、ちょいとザワザワな様子を見せる長男と過ごす毎日なのです。

 

けれど、よく周りでコロナの影響で大変な子供達のことを耳にするたびに、なんだか長男は昔の壮絶さを超えて、今やすっかり成長したなと思ったりするんですね。

 

知能測定不能、超低機能と言われる自閉ちゃんの長男は、本当に伊達に28年間を生きていない。

 

ふんふん、君はホントに成長してるね・・・そう思うのです。

その上、長男がちょいと車のドアの内側のノブに貼ってあるシールを剥がそうとしても、車のフィルムを貼ってある部分をピリピリと剥がしても、ほいほい、そろそろヤメとけと静かに制する自分も、やはり昔の自分からすると成長?のようにも思えたりするんです。

 

これで、親子が成長した・・・なんて言っていいのかどうかは分からんのですけど。

 

これも夏至で日食で新月から「君たちなりに成長してるよ、これからも頑張りたまへ」と教えてもらったのでしょうか・・・。

 

そういえばコロナから、普段は人気もないような公園でも子供達の姿をよく見るようになっていました。

学校がリモートとはいえ始まってからは、それもまた昔の静けさが戻りつつあります。

 

公園の遊具は使えないように、ブランコも滑り台も使用禁止のロープが張られたりしていました。

公園の姿としては、なんだか切ない姿ではありましたが、これも止む無しなのかと少々子供達が可哀想でもありました。

 

けれど、子供達はいつの時代も「それはそれとして」遊びを自分たちで作っているものです。なんだかんだで走り回る子供達の姿は、それだけで癒されるものです。

 

長男が小さい頃、ブランコにこだわって脱走を繰り返していたことを、ふと思い出しました。

それで、学校の先生から長い長い夏休み、今のように放課後等デイサービスもない時代に、毎日のルーティンとしてブランコの時間を作るように指導されました。

 

母としては、それも守らねばと毎日ブランコに連れて行ったものですが、当時も人気のない公園のブランコで、長男はブランコから降りることもなく、私も5時間も6時間も付き合わされたことを思い出しました。

 

知らない人には「降りるように言えばいいじゃない」「母が降ろせばいいじゃない(まだ小さいから)」と言われましたが、現場を見たことのある人は、それが全く不可能だということは分かったようです。

 

長男は台風の日だってブランコに乗りました。

長男と母は、真っ黒に日焼けしたものです。

 

あの時のブランコは、母も、多分長男も楽しいものではなかった。

毎日の楽しい時間を作るための、発散ができる時間を作るためのルーティンにしようとして、毎日こなさなければならないルーティンになってしまっていただけです。

 

なぜかあの時は「やらなきゃいけない」という思いがありました。

多分、毎日5〜6回にも及ぶ脱走劇に、それを鎮めるための手段と言われれば、その言葉が藁になって掴んでいたんだと思う。

 

私に「帰れ!」と体を押し出して、自由に移動しながら好きな場所に行きたかった長男に、私は「ダメだよ、ここのブランコしかダメ!」

そいう言い続けていたんだよね。

 

今は行きたい場所をドライブの中で伝えてくる長男。

自由気ままなドライブがお気に入りで、旦那が時間を作ってくれた時の楽しいルーティンになった。

 

そして、夏至で日食で新月のこの日も。

 

1人で自由気ままに動きたかった長男は、今は家族と一緒に自由気ままに動くことを楽しめるようになった。

 

しみじみしみじみ。

大変なことは実際消えることはないけれど、でもみんな成長した。

それを教えてくれた、夏至で日食で新月

 

さて、アクティブな長男は、またドライブを要求してくるだろう。

夏至を超えたこの先は、昼間の時間が長くなるよ。

きっとね、長男はそのことすら分かっているはず。

 

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