宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

間違いさがし

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まだコロナウイルスによる非常事態宣言が出されていない頃のことですが、長男が行動援護(難しい障害を持った人たちに対して、訓練されたヘルパーさんたちが支援をする外出の移動支援のこと)から帰ってきた時のお話。

 

その時は、私はCM関節炎でいかれてしまった両手の治療に、整形外科に行っていました。

というわけで、長男が帰宅しての受取人として、旦那が待機してくれていました。

 

で、長男帰宅のあと、ヘルパーさんから外出の様子や使ったお金の説明など受けて、ヘルパーさんが帰ったであろう頃、旦那から私にメッセージが......。

最初に送られてきたのはコレ↓


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ん?多分破壊したのは長男だとはわかるけど、こんなの、ウチの中にあったか???

 

しばらくして次のメッセージが......。

 

「間違いさがし」

 


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私、目が点。

 

あ〜!ポストのふたか〜!!

 

と解決したところで

「何があった?」

と返すと、不可抗力だよ〜!との返事。

 

まぁ、何かやらかしたことには違いなかろう。

そう思いながら、半ばワクワクしながら帰宅。

やはり、破壊されていたのはポストのふたでした。

 

何があったかというと、旦那の話では、まとめると次のようなことでした。

 

もともとポストのふたは劣化してヒビが入っていた。それが気になっていたのは間違いない。

でも、破壊にいたることはなく、毎日ポストの中に入っているチラシや要らないDMなんかをチェックしていて、入っていたら中から出していた。

それは、暇な時間にビリビリと破って過ごす、自分の遊びのため。

 

ところが行動援護の時については、帰り際にポストの中を確認するようなことは実は今までなかった。

しかし、たまたまこの日はポストの中が気になって、門扉を開けた途端にポストの中を開けようとした。

 

長男を支援してくださっているヘルパーさんたちは、実は精鋭揃い。

長男がポストのふたに触ろうとした瞬間、ヘルパーさんは長男お得意の瞬間破壊のおそれがあると判断!(実は開けるだけだった可能性が高い)

それを回避すべく、それを阻止するために長男とポストの間に体を差し込んだらしい。

 

それで長男も「おおーーー!」となり、旦那いわく

「多分開けようとして力入ってもうたな(笑)」

 

旦那の言う通り、たぶん不可抗力。それにしても瞬時に体を差し込むなんて、やっぱ精鋭だ〜。

たぶん、長男のヘルパーさんたちはみんな同じことをするだろう。

 

すごーー〜〜い!!

と話が盛り上がったところで、旦那は長男の目の前で取り敢えずの修復をして見せて、そのあとパソコンに向かっていました。


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でもこれ、結構硬い素材。これまた、長男、おそるべし!


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しばらく雨風しのげれば......ということで、一旦の決着です。

しかし、このビジュアルを長男が忘れるはずがなく、翌日、旦那がいない時にまんまと家を脱走してポストの前で止まりました。

私、ほんの数メートルを息を切らして追いかけ、長男の横に立つと、長男は何だか嬉しそうにふたを眺めていました。

 

こりゃ、しばらく「ふた恋し」の脱走が続くかもな〜...と思っているところに、旦那のパソコンが飛ばした注文の品が、なんとその翌日に届きました。(まだ緊急事態宣言出てなかったからね)

 

おぉー!コレは!!


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さすが、旦那であった。伊達に長男の父親を28年間もやってはいない。

それを持ってポストのところに行き、粛々とポストのふた修復を終わらせ一言

 

「これでポストの中が見えるでしょ。慌てて見なくて済むでしょ」

 

つまり、中に何が入っているか見えなかった今までのふたと違い、これからは見えるから、用がなければポストに近付かなくていいよね、ということであった。

長男も目を丸くして、ポストのふたが復活する全ストーリーを確認したのでした。

 

この修復機能は私には備わっていないので、旦那に拍手を送った私なのでありました。

 


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↑この写真はわかりづらいけど、中はちゃんと見えます。

 

以来、ポストを目指した脱走はなくなりました。

めでたしめでたし。


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それから間もなく、コロナウイルスで非常事態宣言がこの地域でも出されました。

ヘルパーさんは、人のいないところを選んで、長時間の散歩に付き合ってくださって、長男は喜んで過ごすことができています。

 

私が通っていた整形外科は、お年寄りが多いのでもう行ってはいません。

こんな時期ですが、なんとか乗り切っていきたいです。

 

こんな最中にも、長男が崩れてしまわないように、長男を支援してくださっている方達には本当に感謝です。

 

 

長男、28年目を始めます。

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4月9日、長男の28歳の誕生日でした。
息子の選んだケーキでお祝いしました。

 

28年前、大嵐の中に難産の末に息をせずこの世に降りてきて、暫くしてもう一度生きることを始めた、超強運を持った息子です。

 

言葉を天界に返した挙げ句、人が持って生まれる色んなものを必要としなかった様で、むしろ人とは違う選択をするような変わったヤツです。

 

でも人とは違うたくさんのものを、苦労しながらも自分で獲得し、家族にも形以外のもので与え続けてくれています。

 

28歳というと、旦那はメジャーデビューを果たした後、実家の長男としてすぐに田舎へ帰った年齢。

私はこの長男を産んだ年齢。

 

そんな歳に長男もなりました。
感慨深い気持ちです。

 

そういえば、3日前は結婚記念日でした。
今年も例年通り、夫婦ですっかり忘れてました。

 

因みに旦那も私も、入籍日はいつだったか覚えていません。

覚えているのは仏滅だったということだけ。

 

そうして2人の29年の中の28年間を、長男も一緒に生きて来ました。

コロナの影響は大きいけれど、今日も家族で元気に生き抜きます。

 

ところで最近、請け負った仕事✏️のお陰で、携帯やパソコンから、色んな弁護士や探偵社なんかのオススメをされています。

 

検索するからって、離婚したいわけじゃないぞっ!
むしろしません!笑

 

そんなこんなで、またこれからも……。
そのために、今は大人しく家族で過ごします。

 

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忘れられない一言

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……というお題で、ラジオのナビゲーターがリスナーに、エピソードを募集していました。

 

今朝、長男を通所施設に送る車の中で流れたこの話題。

ふと、ウチの場合も思い出したのでここにカキコ。

取り敢えず3つ。

 

その1

お姑さんのセリフ。

「ねぇ、ドライとカレーは、どう違うの?」

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壁に埋め込まれている空調のボタンを眺めながらの一言。

見ると、ボタンには「冷房」「除湿」の文字が。

 

多分「除湿」が「ドライ」に脳内変換されたのだろうけど、それが出来たのなら何故「冷房」が「クーリング」ではなく「カレー」になるのか?

 

「そりゃ違うやろ〜」との私の突っ込みに、姑さんはガハハハと笑い出しました。

それにしても……

 

ルーのかかったカレーとドライカレー。

冷房と除湿。

 

すごいな、この変換の仕方。

 

で、旦那にその話をすると、旦那いわく

「あの人、人の話は脊髄で聞いて反射で返すから。」

「脳には通さず、そのまま言葉を口に出しちゃう人やから。」

 

「ドライ」変換も脊髄がしたんかい!

と突っ込みたかったけど、お姑さんのセリフはもちろん、旦那の返しも衝撃……というより、実は納得(笑)

 

そのくらい、深く考えずに言葉を口にする人だったから、何年も嫁姑をやっている中で、姑さんは何でも悪気がなく口に出すということを私も学習したのでした。

 

年月が経つうちに、私もツッコミを返すようになっていて、時々そのやり取りに、義弟の奥さんも驚いていたほどです。

 

 

その2

次男2歳くらいの頃のセリフ。

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お姑さんが用事で外出するため、慌てたように玄関へ。

玄関ドアを開けようとした時、次男が後追いをして玄関のお姑さんを捕まえました。

 

「ボクも行くぅぅぅ」

「あんたは行けないんだよ!」

「ボクも行くぅぅぅ」

「あんたが行っても、面白くない所やから!」

 

そう言って、お姑さんは玄関のドアを開けて、次男を残したまま外に出ました。

 

次男は玄関によつんばいになりながら

 

「面白くないとこ……行くだったぁぁ‼︎」

「あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ーーーっっっ」

(と叫びながら泣く)

 

ちなみにお姑さんはまだ玄関ドアの外にいて、切なさもありつつ爆笑していたそうです。

 

 

その3

お姑さんと旦那のやりとり。

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お姑さん「あんた、この間買い物した時に渡したお金のお釣り、返しなさい」

 

旦那「はぁ?」

 

お姑さん「はよ、お釣り返しなさい‼︎」

 

旦那「そんな、いつまでもあるもんですか」

 

実は、お姑さんと旦那の逆パターンもしょっちゅう。

このやりとりは本当に頻繁でした。

お姑さんが亡くなっている今となっては、トータルでどっちが得をして、どっちが損をしたのかは闇の中。

 

私の生育歴の中では一度も聞いたことのなかったセリフ。

ここに嫁に来て、初めて聞いた上に、2人のやり取りの中で聞き飽きるほど聞かされました。

 

結構、母と息子のほんわかなやり取りと私は取ってますが、2人にしてみれば真剣な「駆け引き」だった……そうな。

 

書きながら気付きましたが、全てにお姑さんが絡んでました。

今頃天国で、平気で神様達にも、脊髄反射で失礼な事も言っているような気もします(笑)

案外、愛されてもいるだろうなぁ……とも。

長男、うっかり「はい。」と答える

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最近の長男は、ますます宇宙語も忘れて簡素化された言葉の音しか語りません。

それでも、あいも変わらずの感情の入った「あ」と「わ」の羅列。

 

いろんな人に怒られそうだな。

 

今はそれで忖度して、なんとなくその意味を理解してくれる人がいるから大丈夫だけど、一人になったらどうするの?

 

これから親元を離れることがあったら、言葉が通じないから「このツールを使いなさい」「この学問を習得しなさい」「親がしっかりしなさい」!

 

と言われそう(経験済み)。

 

あなたの育てかたが悪い!は聞き飽きるほど聞いてきたけど、そこはもう、一生言われることは覚悟しております。

いろんなツールは失敗しました。

いろんな学問も息子の前では無力でした。

いや、それも親次第でしょ。

はい、その通りかもしれません。

 

息子の小さい頃、有名な先生から「あなたがこんな風に育てたんですよ!」

と言われて、精神的に辛かった時もあったけど、今は

「はいっ。わたしが育てました!」

と答えます。

なんというか......わたしが習得したのは、いや獲得したのは厚い面の皮だけかもしれません。

 

こんな仕方ない親なので、できることは「あ」でも「わ」でもわかってくれる人たちを、いっぱい長男の周りに集めること。

それしかできない親で、本当にすみません。

 

あ、でも、いま長男の周りにいてくれる人たちは『スペシャル!』な人たちばかりですよ。
それが自慢です!

 

ところで、わたしが東京に行って家に居なかった2ヶ月の間で、旦那が長男に「紙ください!」を「あっあっあっあっあっ!」と言うように仕込んでいて「またこれが可愛すぎてたまらんから、ついつい紙をあげてしまうんだよ〜」とのたまった。

 

紙を破るのは、暇な時間に長男が行う精神安定の行動で、1日あげる紙の量はだいたい決めているのにも関わらず、可愛い!と与えてしまってたんじゃぁ、本末転倒やないかい?旦那よ。

 

そうは言いながらも、長男はわたしにも言ってきた。

「あっあっあっあっあっ!」

くそぉぉぉぉぉ......と思いながらも、ついつい紙を持ってきてしまったわたしに、旦那がニヤニヤと

「ほれ、たまらんやろう?」と。

めちゃ敗北感。

それに対して、長男の超微笑がえし

これも仕込んだのかと言うと、それは違うらしい。

 

長男は確信犯。

可愛いと思ってもらえるツボを知っているに違いない。

う〜ん、おそるべし。

 

というわけで、紙をあまりにも要求するときは、これまたついつい一緒に、別のことで遊んでしまいます。

 

「ひろりん!はいっ!!」

と言ってわたしが挙手すると、長男はそれに合わせて(つられて)

「わっ」

と答えます。

長男はわたしを呼んではくれないので、わたしは自分で自分を

「お母さん、はいっ!」

と言って挙手するのですが、それも付き合って「わっ!」と手を上げてくれます。

 

で、先日。

なんの前触れなしにわたしが突然「ひろりん!はいっ!」

と挙手すると、長男は

「はいっ!」と...............。

 

ん?今言ったよね?「はい」って!

 

ちょっと興奮したわたしの「はいっ!」の連呼に、その後の長男は「わっ!」としか返しませんでした。

はい。わたしのやりすぎでした(泣)

 

多分、長男はうっかり言ってしまったんですね。

「はい。」って。

 

そういえば、まだ赤ちゃんでハイハイしていた頃。

どうも後ろでペタペタと音がして、不思議で振り向くと長男が四つん這いでそこにいました。

ハイハイにしては、なんかいつもと音が違う、と違和感を覚えてしまいました。

それからまた、しばらくしてペタペタと。

振り向くと、やはり四つん這いの長男。

そして、またまたペタペタと。

 

振り向くと......長男は慌てて四つん這いになりました。

 

その音 ......。

いつから歩くようになってたんか〜い!!!

 

実話です。

 

長男は、何かができた最初をなかなか見せてくれません。

しかも、大人が必死で教えてもできなくて、いつできるようになるの??となっていることも、ある日突然大人は目撃するのです。

 

いつからできてたん!?

 

しかも大人が諦めた頃に。

驚愕している大人を横目で見ながら「何か?」とやって見せるのが、長男スタイル。

 

教えたから覚えたんだろうけれど(と信じたい)できた瞬間を周りに見せないという、なんとも摩訶不思議なことをやってのけるのです。

 

それで旦那とわたしは、よくヒソヒソと「本当はしゃべれるんでないの?」と噂をしています。

今回はそれで、急に言われてうっかり「はい。」と言ってしまったのだと。

 

こんな馬鹿馬鹿しいと思えるようなことも、長男との暮らしの中ではふんだんにあるんです。

けれど、だからと言って「あ」と「わ」を改めようと努力することはしない親です。

あぁ、やっぱり怒られる。

この「あ」も「わ」も、旦那もわたしも好きだからどうしようもない。

感情のこもった「あ」と「わ」は、今日も使いこなされています。

 

ただ、当然ではありますが......

次の(うっかり)も狙っていたりするわけです。

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注射針の壁はとうに越していたという話

まるまるのスズメたちがすごいです。

まるまる・・・ちょっとつついて遊んでみたくなるくらいに可愛いまるまるです。

 

暖冬の九州と言われていますが、ちゃんと鳥たちは冬仕様。

そしてわたしもまるまると・・・いやいや、服がですね、服がですよ!(汗)

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わたしがスズメたちを指差して「まるまるだよ!見て見て〜!」と言ってみても、全く興味を示さない長男。

 

長男の方はというと、スズメよりも自分の頭を指さして「あっあっ!」と私に訴えてくることが増えました。

ただね、最近「あっあっ!」の口の端がみょ〜に上がってて、にやけているように見えるんですけど・・・う〜ん、怪しい・・・。

 

細かい発作の嵐か、はたまた頭痛か、それとも・・・わたし、なんか試されてる?

目を見開いて薄らニヤリの長男を見つつも、何だろう・・・この敗北感は。

 

そんなこんなで、近いうちに脳波を取ろうという話になっています。ただ脳波は小さい頃からハードルが高かった。

検査には時間が掛かりますが、その間に動いてしまうと、頭にくっつけた電極の線が外れて脳波は取れないので、じっとしていられない小さい子どもの間は、麻酔薬を飲んで静かになったところで電極の線を繋ぐというのが一般的。

 

けれど大人になって、睡眠薬を飲んでの検査とはあまり聞いた記憶がありません。

長男は子どもの頃の検査でも睡眠薬は効く方じゃなかったし、大人になっての検査で「動くな」とは本来、難易度Eですぜ。

 

世の中「動いたら検査できません」が多過ぎて頭痛い。

 

そういえば3才になったばかりの頃に、大学病院で初MRIを取った時もそう。

「動いたら検査できません」ってんで、説明の後、先生が甘い味の睡眠薬を息子に飲ませて長男が眠るのを待ちました。

けれどそれから30分経っても、ヒャハハと笑いながら病院の廊下を走り回るアクティブさ。

先生が苦笑いしながら「もうちょっとだけ薬増やそうね」と追加を持ってきて、その後ずっと眠るまでニコニコと待っててくれた。

記憶の彼方に、私たちは3時間以上そこにいたような・・・。

 

そんな過去もあり、睡眠薬の効きが悪くてアクティブな長男の、その後にも挑戦した脳波の検査なんて結果が知れてた。

「検査不可能」

はい。しょうがないっす。

 

それでも保育園生の時だったか、一度だけ、少しの時間ではあったけれど、ギリ脳波が取れたことがあって、やっぱりその時も先生も技師さんも眠るまで散々待ってくれたのでした。

そしてしばらく経って目を開けて、頭についている電極を勢いよくぶん投げたのを今でも覚えている母です。

まぁ、あんな機械付けられてたらねぇ・・・とは思うけど、検査なわけだし。

 

あ〜、すみません、すみません、と謝るわたしに、先生以下病院スタッフは優しくしてくれました。

結局、検査が終わったのは夜の7時を越してて、病院を出るときはスタッフ出入り口みたいなところから外に出た記憶が。

 

あの時の周りの対応が優しかったので、本人はもとよりわたしもトラウマにならずに済みました。

ありがたい話です。

 

ただ、おかげで今でもちょっと脳波検査にはハードルの高さは感じます。あの電極ぶん投げ事件が今も目の裏に焼きついていまして・・・。

 

で、下の写真はその時の脳の波形です。意味は・・・???

ただ、特段気になるところはナシ!という診断でした。

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そして現在ですが、実は挑戦はできそうな気がするんですね。

難易度Eなのに矛盾のようですが、それでも長男の成長ぶりを考慮すると、何だか今ならできそうな気がするんです。

「動いたらいけません」は酷だとは思いますが、でも、今なら。

 

親って、こんな不確かなことも信じたりして、しかも子どももそれを超えて行ってくれたりするんですね。

 

その現場に居合わせられたら、あ〜、親冥利に尽きる!なんて思ってしまうんです。(かなり外れてる気も……)

実は酷なことさせて我慢させているのにね。

親バカって、こんなことを言うのかも知れません。

 

さて、今回のお題、注射針についてですね。

やっと出てきたのか・・・と思うかも知れませんが、最近、人気を博した池井戸ドラマだって、毎回ストーリーが半分進んでからタイトルが出てきていたじゃないですか。

それにあやかり・・・

 

(以上言い訳)

 

実は息子のクリニックで、担当の先生とカウンセラーに常々、長男のこの頭指し問題について相談をしていたわけです。

 

発作や頭痛もさることながら、体調自体、本当のところどうなのか気になるよね?

などと話していて、そんなこんなで現在服薬している成分について血中濃度を調べたいし、他にも色々調べたいから、採血ができないかな?

でもね、注射針刺したことでトラウマ作りたくないし、難しいかな・・・と担当の先生からのお言葉。

 

「動いたら検査できません」

もとい「動いたら採血できません」・・・ここでも発動されるわけで。

 

長男側に立ってすごく考えてくれている先生は、う〜ん・・・と厳しめの顔をしていましたが

「いや、先生、今ならできると思います!」

とわたしは言い切ってしまいました。

 

えっ大丈夫!?と心配する先生をよそに、多分自信満々に(見える)わたし。

 

これこそ不確かなことです。

でも、今ならできると思ったんです。

 

確かに、小さい頃は注射針が腕に近ずくと奇声を発して、腕を引いて逃走体制に入ったものです。

あなたの育てかたが悪い!と散々怒った医師もいました。もちろん、理解ある医師もいました。

 

採血というと、注射針が刺さっている時間は以外にも長い。ワクチンや予防接種とはまた違います。

 

 

ところで、実は数年前に担当の先生から紹介してもらった外科で、これまた脳波と同じパターンで一度だけ採血に成功したことがありました。

その病院での先生と看護師さんの、長男の動く隙を与えない連携と針の刺し方は、それはそれは鮮やかで惚れ惚れするものでした。

 

でも、今回も成功するとは限りません。その時と場所も違うし雰囲気も違う。

それでも前向きに思える材料はもう一つありました。

 

通所施設では毎年、インフルエンザの予防接種を施設内でやってもらえるのです。

それに毎度、長男に付添う旦那の話によると、周りのみんなが泣き叫んで修羅場となり、地獄絵と化している最中を、長男は刺さっていく注射針を凝視して、微動だにせずに静かに終わらせている・・・と。

 

予防接種と採血は違う。

でも、不確か、不確か・・・という文字が頭の中で一周回って「確か」に変わった瞬間、今ならできる!と言葉に発していました。

 

とはいうものの、その日から採血までの2週間、絶対の自信があったわけではありません。でも、不安もそれほど強くもなく、なんとなく過ぎていきました。

 

そして当日、長男に針を刺すところをつついて、ここに針を刺すこと、血を取ること、終わったらジュースがご褒美に待っていることを伝えて、旦那とわたしと長男の三人でいざクリニックへ。

 

ジュースを先に買ってちらつかせ、終わったら飲もうと伝えると「あっ(はい!)」と返事。

看護師さんに「座ってしますか?横になってしますか?」と聞かれ、旦那が「横になっていいんじゃない?」の一言にすぐ反応した長男は、ベッドに自分で横になり、自ら腕を差し出しました。

 

おぉ〜!!

 

やっぱり注射の針が刺さる場面を凝視して、静かに静かに採血を受け入れた長男に、「壁は超えたー!」「いや、とうに超していたー!!」と確信した旦那とわたし。

 

採血が終わって、長男は何事もなかったかのように約束のジュースを要求。一気に飲み干しましたとさ。

 

う〜ん、また一つ成長を確認。長男、すごいよ!

いや、実はすごいのは、ご褒美のジュースだったのかも・・・(笑)

 

結果はまた後日、というわけで、長男と旦那は先にクリニックを後にしました。その後施設に向かい、長男はいつものように、わたし達が迎えに行くまで施設で過ごしました。

 

わたしはというと、その後にカウンセリングや担当の先生と話がまだ残っていたので、そのままクリニックにいました。

そして、先生が「よかった〜、採血できましたね!」とホッとした表情で話された後、ちょっとニッと笑って

「注射、好きなタイプかも」・・・と。

 

自閉ちゃんにはたまにいるんですよね。「注射好き」が。

 

小さい頃は大変だったけど、今回見ていて

「実は先生、わたしもちょっとだけ、そんな気がしたんです・・・」

 

と思ったのは内緒。

 

 

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ウイルスに始まりウイルスに終わった令和元年。そしてこれからは……

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令和が始まった日、わたしは東京の病院にいました。

次男の闘病という試練を、ただ見守るだけの情けない試練を与えられて、令和は静かに始まりました。

 

朝起きたらコインランドリーで洗濯して、買い物に行き、掃除して病院へ向かう。

次男と窓枠のスカイツリーに毎日会いに行き、めでたい始まりの新たな年号に、わたし達は先が見えない日々を過ごしました。

 

あの日々は、まだ遠くに行ってなどいない。

ついこの間だった様な気すらして、今はもう全然平気と言う次男を、まだまだ心配してしまうのは親の何ともどうしようもないところでしょう。

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けれど、そんな令和の最初の年が終わる頃、年が明けたら帰ると次男から連絡がありました。

長男に伝えるとニヤニヤと……かわいいヤツです。

 

そんな最中、間もなく令和も二年を目前にして、わたしは実に何年ぶりかでインフルエンザにかかったのでした。

久し振りにキツい数日間を過ごしたけれど、旦那も長男もウイルスには好かれなかった様で。

そうやって何とかウイルスも去り、正月も無事に迎えられました。

まぁ、まずは良かった良かった。

 

それにしても、我が家の令和元年は、次男のウイルスに始まり、私のウイルスで終わったのでした。

 

なんとまぁ、あまり病気に縁のなかった私たちは、令和の初めにキツい一発目がお見舞いされたことで、命と健康について考えさせられました。

それでも壁は超えたのは事実。

さて、令和の2年目はよき年になる予感です。

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そういえば、ドタバタな日々に、いつの間にか次男の初心者マークは必要なくなっていました。

いや、全く本当に気づかない内に……。

次男に聞くと「そうよ、マークは取れたよ」と。

う〜ん、ペーパードライバーよ、心して本当の1年間を数えたまへ……。

 

それにしても、日々は刻々と過ぎているのですね。

すっかり年寄の域で思いを馳せたりするわけです。

 

わたしにとっては今はまだ近しい次男の病気も、遠い昔になる日は、そのうちやって来るということでしょう。
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師走はさすがに寒く、スズメたちも体を丸くして寒さに耐えていました。

自然に暮らす生き物たちは、自力で寒さを凌いでいるんですね。

ますますインフルになった自分が情けなや。
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そうこうしている内に、世間は令和2年に突入。

 

あけました。

おめでとうございます。

 

車のリア席から見えた福岡タワーです。

外に出て狙って撮れなかったので残念。

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元旦の夜に、次男が帰ってきました。

家族揃って、令和の2年目スタートです。
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旦那の実家近くの神社に、まずはご挨拶。


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巫女さんたちも仕事終いでしょうか。

おつかれさまでした。

 

その後、わたしの実家へ。

長男と次男、そして二人の従兄弟である海洋系の学者をしている甥っ子、心理士の姪っ子と、従兄弟同士4人が集まりました。

 

中々忙しくて会えなかった4人は、私の父の死後、顔を合わせることも多くなりました。

これからも、こんな日が重なっていけばいいなと思うわけです。

 

そうして、令和2年のお正月も、時が過ぎていくと普段の日々へと移行していきました。

次男は帰京の飛行機のチケットが取れず、新幹線で東京へ。

前回の別れ際涙目だった長男も、イレギュラーながらの早朝の、家の中での兄弟の別れに、本人なりにちゃんと受け入れることができていました。

母よりも先に、もう弟は大丈夫だと認めているのかもしれません。

 

成長してるな。

子どもたちはね。

今年は、自分も育たないとな。

この年で、精神的に成長とは逆に難しい気もするけれど。

それに、贅肉…と言ったところで、もう洒落にもならん年になったから、そこはスルーで。

 

令和2年。

今年、我が家にとっても、みなさまにとっても、良き一年になります様に……(合掌)

 

「あ、それね、骨折れてるよ」に騒然!

 

おぉ!これは.......。

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外出先から帰ると、玄関門扉の上にモフモフの物体が......。

 

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あぁ、裏のお宅の住人さんですか。

あちらこちらで決闘を繰り広げている、血の気の多い裏の住人さんですが、最近なんだか大人しめです。

「やぁ、元気?」と聞くと

「にっ!」と答えてくれました。

 

さて、先日カモミールの会という、重い障害を抱える人たちを福祉の世界で支えている方達にお会いする機会を頂きました。

 

我が家からはちょっと遠かったのですが、当日は車が使えなかったので、電車に乗って現地へと向かうことにしました。

 

考えてみれば、東京にいた2ヶ月間は毎日地下鉄に乗っていました。

帰って来てからは、移動手段は主に車かバスとなっていたので、本当に久しぶりの電車でした。

しかもこの路線は8ヶ月ぶりくらいかな?

 

この鉄道会社の電車やバスは、時刻表や掲示板の表示が改良されて、大きな文字で情報も伝わりやすくなりました。

 

感音性難聴の友人が、ターミナルでバス発車の場所が変更になったことで、アナウンスが聞こえずに乗り損ねたことがあり、これでは困る人たちが自分以外にもたくさんいるはずだと、表示を見やすくして欲しいと直談判した成果です。

 

ありがたや。老眼の私にも分かりやすいよ。

グッジョブ!同級生!!

 

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会場に着いて、カモミールの会のメンバーさん達とお話をしていると、本当に、純粋に障害を持った人たちに寄り添いたいと考えている人達だと伝わりました。

こういう人達がいてくれることに、世の中捨てたもんじゃないなと、心底思えたりするわけです。

 

こんな出会いや体験から、重い障害を持った長男と暮らしていくための、勇気や力をもらえているんだとしみじみと感じるのです。

 

ところでその時、私の話した内容で、皆さん騒然となったのでした。

「えっ?えっ??病院は行ってないんですか??」

と、何度も聞かれたんですけどね。その内容は.......

 

それはまだ、長男が学齢期だった時のこと。

同じように重い障害をもった息子さんのいる友人と電話で話をしていました。

 

電話の数日前に、私の長男がパニックを起こして暴れてしまったこと。

格闘の最中に長男のかかとが、たまたま私のみぞおちにヒットしたこと。

それから呼吸するたびに、胸がきしんだように痛いこと。

 

いやぁ、不覚だった!

避けきれずに打撲しちゃったよ!

そう言う私に、その友人はさらりとひとこと言ったんです。

 

「あ、それね、骨折れてるよ」

 

さらりと、本当にさらりと言ってのけたのでした。

そこでふと思い出したのです。

 

彼女の息子さんも、うちと同じようにパニックを起こすと、なかなかに壮絶な時間を親子でやり過ごす羽目になるのです。

 

そうでした。

彼女は一度、足首が紫に鬱血して、なんとか時間を作って病院に行ったのでした。

当時は今のように放課後等デイサービスなどなかったので、母親の自由になる時間なんて、子供が学校に行っているほんの数時間だけ。

本当にたかかが知れています。

 

自分のために病院で何時間も使うのは、なかなかできない時代でした。

けれど、これはまずい、流石にこれで文句言う人はいないだろうと病院に行ったところ、幸いと骨は折れてはいなかったようです。

 

けれど、医師から衝撃の言葉が。

 

「過去に3ヶ所ほど、折れたところを自分でつなげていますね」

 

つまり、過去は折れていたのに我慢して病院には行かず、本人も折れているとは思わずにそのまま放置していたのです。

そのために自然治癒したあとが、しっかりその時のレントゲンに写し出されていたわけです。

 

ただ、これは足首付近のレントゲン写真。

もしかしてその他にも......いや、それは考えないでおこう。

 

そうやって、自分で過去3度ほど自分で骨をつなげてしまったレジェンドが、先輩として私に教えてくれたのです。

そして私も多分、1度とはいえ、レジェンドの仲間入りしたのではないかと推察されます。

 

けれど、この呼吸の度の痛みは、日常生活の中でいつの間にか忘れ去っていました。

もしかして今レントゲンを撮ったら、骨をつなげたあとが写し出されるかも知れません。

 

そんな話を、彼女と同じように、メンバーの人達にさらりと話しました。

すると、皆さん「えっ?えっ??病院は行ってないんですか??」

と、何度も私に聞きました。

 

皆さんが騒然となっている間、私はその懐かしい話を思い出して、へへへと笑いました。

 

そうやって、このステキな人達との出会いを果たし、帰宅した後にベランダで視界に入るお宅の裏庭に、見慣れた方がのんびりとしているのを見かけました。

 

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あぁ、あんたか......

そんな視線を送ってくるのは、今度はお隣さんでした。
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 骨も自然につながるけれど、痛みも自然と忘れるものです。

人間は、うまくできているものなんですね。