宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

こんな我が家のコロナな話し②(こんなことってあるんだ・・・が重なった)

 

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「運転免許の初更新で、調べたら初回は地元じゃなきゃいけないみたいだから、ちょっとだけ帰省します!」

 

8月に入って、東京の次男から連絡がありました。

時は、新型コロナの新規感染者が毎日20,000人を超えたりしていた頃。

でも免許を失効するわけにもいかんだろう・・・ということで、搭乗者も少ないと踏んで遅い便の飛行機で帰省してきました。

 

とりあえず迎えに行くと、時間的なことも去ることながら、やはり世の中の状況から空港もガラガラ、人と距離を置いて歩くことが容易な位の密度でした。

 

ところで、飛行機到着時間からぞろぞろと人が降りてくるのに、なかなか次男は姿を現さない。

何かあったのか???

と思っていると、私のスマホに次男から連絡が入りました。

 

どうした? どこにおるん?

すると次男のセリフに驚いた!

「手荷物に預けてたリュックがさ、別の人が持って行っちゃって・・・」

 

リュックにはパソコンや研究の資料など、帰省時でもリモートで研究を続けるために必要なものが入っているらしい。

レーンから流れてきた全く同じ形のリュックは、持った瞬間に自分のではないと分かったし、待てど暮らせど自分のリュックは流れてこない。

それで空港の職員さんに「僕のリュックじゃありません!」と伝えたと。

 

 

は?

その場合、どうするん?

と、こちらもドキドキ。

しばらくするとキャリーバックだけ転がして、確かにいつものリュックを背負っていない次男が私たちを見つけてやってきました。

 

「なんかさ、同じリュックだったみたいで韓国の人が間違えて持ってっちゃったみたい。空港の人が連絡つけてくれてるらしくて、ここで待ってなくちゃいけないんよね」

 

いつも荷物を受け取るレーンでは、間違いがないか荷物につけた番号を確認するようにアナウンスしていることは、私でも知っている。やはり・・・

 

こんなことってあるんだ・・・。

 

20分くらい待ったかな。

次男はカウンターから出てきた職員さんに呼ばれて、正真正銘自分のリュックを手にして戻ってきました。

 

間違えちゃった人も慌てただろうなとか、空港まで戻って来たのかなとか色々想像しながらも、空港の職員さん達の対応に感謝でした。

 

手荷物の間違いには気をつけましょう!(下のリュックの写真はイメージです・笑)

 

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さて、次男の生活は東京ということで、本当はこちらにくる前にPCR検査をさせておきたいという思いはありました。

陰性の証明が水戸黄門の印籠みたいになるんではないかと。

 

少し調べてみると、全く熱も倦怠感も言われているような症状は何一つなく、平熱で食欲もあって超元気な次男のような場合は、保険が適応されないらしい。

要するに、どうやら料金がかかるとのことで次男にとってはそこもネックとなりました。

 

それまでも全く体調の変化もなかったようなので、とりあえず帰省して来いということにしました。

そしてリュック事件を乗り越えつつ、私が見つけておいた民間のドライブスルー検査場に行こうということにしました。

 

次男は帰省してからも、自分の前にパソコンを2台並べて睨めっこ、突然リアルガリレオみたく、紙一面に訳のわからん数式で計算を始めたり、パソコンに何か打ち込み始めたり、ひたすらひたすら夜寝るのも惜しんで何やらやってました。

 

また研究室でのリモートの打ち合わせや他大学の先生、学生たちとリモートでの研究会議などなど、本当に世の中便利に変わったものです。

 

東京でも研究室と大学の望遠鏡と自宅の往復、接触も限られた人のみだったとか。

根を詰める・・・という言葉を、まさかの次男から見せつけられた気がしつつ、結局そんなこんなで、帰省してからも缶詰のまま4日ほど経過していました。

 

そしてもうひとつ、コロナ陰性の印籠を持たせておこうと思ったのは、長男が福祉の事業所やサービスを利用していることにもありました。

 

私の勤務する相談支援事業所にも、いろんな福祉施設から連絡が入っていました。

コロナ感染者がでたので、今後の対応について・・・と連絡がひっきりなしに来るようになったんです。

 

学校は夏休みで閉鎖されているけれど、放課後等デイサービスが長期休みの子供達の受け皿になってる状況で、そんな施設からも感染者が出たと連絡が来ていました。

福祉施設も事業所も、いよいよ身近なことになったと感じていました。

 

福祉の利用者や職員から感染者が出ると、本当に影響が大きい。

そんなこんなで、長男の施設にも迷惑がかけられないので、とにかく次男も大丈夫!とはっきりとした安心を手に入れたかったわけです。

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そして予約なしで行けるドライブスルーの検査場に車で乗り入れ、車の中で検査キットを受け取り、スタッフに採取した唾液を車の中からそのまま渡しました。

検査結果は翌日夜10時以降、ネットでログインして渡された番号で検索するというものでした。

 

そこで翌日の夜、10時を過ぎて自分の番号を打ち込んで検査結果を見た次男が、驚愕の声を上げました。

「ぇえ!陽性だって!!」

 

全く症状なし、人との接触もほぼなし、マスクも常時していた、消毒も頑張っていた、学校へも節約のため徒歩だった・・・何よりギランバレーを発症して息が出来ない辛さを知っているから、すごく気をつけていた・・・。

それでも、感染していた。

 

どう考えても、どこでそうなったのか分からない、いつそうなったのかも分からない、本当にこのウイルスの恐ろしさを知った思いでした。

 

こんなことってあるんだ・・・

 

次回は、無症状のコロナ患者とその家族(濃厚接触者)が、社会復帰するまでの道のりについてです。

 

 

 

こんな我が家のコロナな話し①(ワクチン打ったよ)

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人間って、ある程度覚悟を持ったらすごいな。

 

こんなコロナな時代、ワクチン接種が進んでいるけれど、みんな副反応が起きることを覚悟して受けているわけです。

しかもその副反応も、もしかしたら結構大変かもしれないことを知っていても、受けるべきだと決めたら、それすらも受け入れてしまうのだから。

 

そんな中の一人でもある私ですが、職域接種にて優先順位が高く、7月には2回目もモデルナで終えました。

長男は通所施設にて医師の出張による集団接種、旦那は会場とクリニックにて接種。

二人ともファイザーでした。

 

ちなみに東京の次男はなかなか順番が回って来ず、受けたのはファイザーで9月の後半から2回目は10月中盤。

2回とも自分で予約して、会場の一橋大学に地下鉄で1時間かけて行ったとのこと。

 

というわけで、我が家は全員ワクチンは2回を無事に済ませました。

 

さてさて、そんな私のワクチン接種は、1回目も2回目も博多埠頭のクルーズセンターという、コロナのため外国からの船が来なくなったことで接種会場となった、クルーズ船が寄港する施設で受けました。

 

広くてとても綺麗な施設ですが、現在は感染者数減少のため接種会場としてもクローズして、今やすっかり静かなたたずまいです。

 

ところで、当然ですが施設の周りは海です。

で、いよいよ私の番が回ってきた時に、先に接種を済ませた職場の人達がみんな同じことを言ってきたわけです。

 

「ワクチン打ってテンション下がるけどね、その後外に出ると海なわけでしょ。これが癒されるんだわ〜」

的な・・・。

しかもみんな、Facebookとかに海の写真を載せてたりしてて。

 

なるほどなるほど、ふんふん、メモメモ・・・_φ( ̄ー ̄ )

 

実は接種時間は、全員夜の8時の予約でした。

夏の間は、九州はこの時間でも意外と明るいんですよね。

次男が病魔に倒れた時に東京で過ごした時、日没の早さにびっくりしたのを覚えていますが・・・

日本は長〜〜〜〜い!

 

というわけで、接種会場としては超ラッキーな場所じゃん!みたいに話が盛り上がったわけです。

それなりにみんな副反応はあったみたいだけど、なんとか乗り切ってるし。

 

接種終わったら、みんなと同じように海に癒されながら写真も撮る気満々で「私もガンバロ!」と出陣!

 

したら・・・

 

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は?

 

闇・・・?

嘘や〜〜〜ん(泣)

 

実は、すごく天気の良い日が続いた7月に、すごく珍しく天気が崩れて思いっきり曇ってました。

職員の中で、唯一こんな目に遭ってしまった私、なんの行いが悪かった?

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そして、みんなが2回目も海に癒された話の中で、唯一2回目も漆黒の海を眺めることになった私。

仕方ないので海ではなく、その反対側の施設と向こうに見えるポートタワーを写真に納めることに。

 

ほんと、なんの行いが悪かった〜〜〜???

 

それにしても、施設の中での医師、看護士の方はもちろん、スタッフの方達のテキパキぶりや、二重三重の確認作業の確実さには、相当な打ち合わせと訓練が行われたのではないかと思うほどで、あまりのスムーズさに感心するとともに、感謝の気持ちも湧き上がりました。

 

そして会場で接種を受ける人たちも、この広い場所に整然と並んで、誰一人私語もせずに静かに待っている。

 

日本人って、ほんとすごい!!

その光景には、感動すら覚えるほどでした。

 

そして私の副反応ですが、1回目は腕が打撲程度に痛かっただけで熱もなく元気でした。

でも2回目は38度7分まで上がり、丁度翌日は日曜日だったので息子を旦那に見ててもらい、ずっと横になっていました。

 

私自身、息子を育てる中で少々の熱で寝込むことはなくなっていたので、本来この程度の熱なら横になることなんてありません。

 

ただ、この時は違いました。

 

とにかくフラついてしまって、まっすぐ歩けなくなり、やむなく横になった次第です。

でも巷で言われているように、丸一日寝ていたら翌日は元気になりました。

 

我が家で2人目の接種となった旦那は、全く私のような経験をすることもなく、2回ともワクチン効いてんの?と疑うほどの元気っぷり。

 

そして3人目の長男。

早くから医療に繋がっているので、理解ある医師との連携で注射針にも恐れなくなっていることから、接種自体はなんなくクリア。

 

1回目の接種は熱もなく元気で、時々「あっ、あっ!」と腕を指差してきたので、痛みはあるんだなということは判りました。

 

そして2回目の接種の後は、超人のように元気な息子でも副反応はやってきました。

全くいつ以来にこんな高い熱が出たか、過去を思い浮かべてももう思い出せないほど。

しかも、発作以外でここまでぐったりなるのも、もう最近では記憶にない。

 

もちろん解熱剤は服用。

それにしてもなかなかの高熱・・・

 

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からの・・・

 

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うあっ!やばい!!

と思っていたら、やっぱり1日経つとすっかり元気に。

 

いやぁ・・・頑張ってくれましたよ。

お疲れ様。

 

そして、最後に受けた次男はというと、LINEのやり取りでその状況が判りました。

1回目の接種は「腕がちゃんと痛い!すごい!」とコメントとともに、38度1分まで上がった熱を、解熱剤で微熱まで下げたと報告が来ました。

 

そのコメントから少し経った後・・・

 

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てことは、大学の望遠鏡まで行ったんかい!!!

 

その後は無事に元気になったようです。

そして2回目の接種は微熱が出たとの報告が来たので「今回はフレアは検出されんかったかい?」と聞くと、下がった直後に大学の教授から

「国際学会に出るように」

と言われて、英語が苦手なんだよぉ〜〜〜!と連呼しとりました。

 

副反応直後は、災難続きのようです。

 

そんなこんななコロナな話。

コロナな事件に続きます。

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つづく。

トイレ強化月間(でした!)

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一瞬のビジュアルをご覧ください!(しかも2代目就任ほやほや)

 

それにしても長い間放置いていたこのブログ。前科ありでこんなもんとは思いつつ、このお話、4月にさかのぼります(あぁ、すみません)

 

つまり、4月は我が家の「トイレ強化月間」となりました。

これまでもトイレでは色んな大イベントがありました。

例えば水栓引き抜きとか、脱走のための網戸取り外し〜からの窓破壊寸前までとか。

 

そして今回、長男がトイレに入ってから、いつものように聞き耳だけ立ててトイレの中が「平和」か「戦闘態勢に入り出したか」を音で判断しておりました。

 

その時、バキッ!!!と・・・。

 

これは戦闘態勢ならぬ何かと戦い出したに違いない!とトイレに駆け込むと、トイレではすでに敗北を期したビジュアルのトイレットペーパーホルダーが・・・。

 

そして、トイレットペーパーはホルダーの上に誇らしげに立っておりました。

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つまり、こんなことになっていた訳です↑↑↑

 

お見事!と思いつつ、折れたホルダーの一部を曲げてみましたが、折れる方がまず不思議なくらいの硬さです。

でも、我が家ではこれが通常な訳で。ですから、旦那と私で認定したのがこの

「トイレ強化月間」
でした。

 

月間というのは、多分暫くはトイレにこだわるであろうという、これまでの経験上の判断から来たものです。

しかもそれは間違いなかったわけで・・・。f:id:hisakokk:20210501021037j:image

ついにトイレットペーパーホルダーは、安定の小さな「台」になっておりました。

旦那はその台から離脱したパーツを床に並べ

「あ〜〜〜〜!これ!なんでこうなった〜〜〜??」

と首をくるりと動かし、あえて怒っている風な顔をして長男を見ると、長男は旦那をまっすぐ見て「にぱっ」と満面の笑顔を見せました。

 

旦那は「いやいや、誤魔化されないからね、これ、どうすんの??」

「にぱっ」

 

旦那の後ろ姿は、肩がプルプル震えていました。

しかししかし、まだ笑うところではないので、旦那も必死に怒った顔を作りつつ応戦しておりました。

 

それにしても、まだトイレットペーパーを置ける台が無事で良かった!

それでしのいだ数日間でありました。


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さて、お仕事の早いAmazonさんから、旦那は新たなるホルダーを注文して器用に取り付けてくれました。

しかし、しばらくして「納得いかん!」と再びトイレで作業を始め、なんの納得の話かと覗いてみると、どうやら一度取り付けてみたら若干斜めに取り付けてしまった・・・と付け直しの作業でした。

 

そういえば若い頃、シンセサイザーを乗せる台を作った時の旦那は、三角関数を計算しながら綿密に角度を測って作り上げていたことを思い出しました。

いやぁ、歳を取ると目分量の良さを知るのか、めんどくさくなるのか、人間丸くなるのか・・・?

 

 

さて2度目の取り付けは、旦那の目分量が旦那自身のお眼鏡にかなた様で、こんなビジュアルとなりました。

 

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旦那曰く

「もっと今風なものもあったけど、安かったしイイかな、と思って」

と笑顔で作業を終えていましたが、さて、これがどのくらい持つんだろうか、と私はボヤっっと思ったりしました。

 

でも、私のボヤっっも年季ものなので、その予感はきっちり当たってしまったのでした。

 

 

それは少しずつ少しずつ・・・・

 

 

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 こんな風に形を変えて行きました。

 

なんとなくこの先も見え始めた頃、実は私たち夫婦の結婚記念日がやってきたことに、当日気づきました。

ちなみに毎年、そんなことは忘れているのでお互いサプライズなどありません。

しかも結婚当初も籍を入れてなかったことに気付いて、慌てて役所に行ったのが「仏滅」だったということは覚えていながら、何日に入籍したのかすら二人とも実はわかっていません。

 

ということで、気付いたのは結婚式記念日というのが正しいのですが、今年は珍しいことに当日に気づいたのでした。

 

長男と旦那と3人で買い物に行き、旦那が何気に「今日はお父さんとお母さんのお祝いの日だよ〜」と呟くと、長男はある売り場コーナーに私たちを引っ張っていき「ハイ」と渡してきたのがコレです。


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いわゆるスーパーのケーキでした。

旦那と私、おぉっ!と感動して、それを旦那のお金で買って帰りました。

 

そしていつもと変わらないメニューの夕食も済ませると、長男は皿とフォークを3人分用意してくれました。

「ありがとう!」

と笑いながら食べたスーパーのタルトのケーキ。

長男はさっさと自分の分を食べると「少し分けて!」と皿を私たちの目の前に差し出しました。

そうやって長男は、そのケーキの半分以上を自分のお腹の中に収めたのでした。

 

これも、旦那も私も食べる前から察し済み。

特別の日かもしれない、いつもと変わらない日。

一日一日、無事で暮らせることに感謝しかないのです。

 

ちなみにその5日後は長男の誕生日。

この日は朝から「おめでとう」を私たちから言われていた長男。

しっかり、ケーキショップから買った長男チョイスのケーキを食べました。

そしてやはり、長男が3人分の皿とフォークを出して、ケーキの半分以上を自分のお腹の中に収めました。

 

それにしても

 

いつまでこうしてお祝いできるのでしょう。

親も長男も歳をとるごとに、嬉しくて、少し切ない一日に感じるお祝いの日です。

 

そして用意されなかった一枚の皿とフォーク。

 

東京にいる次男は、思えば今からちょうど2年前、ギランバレー症候群に体を蝕まれ、戦いの日々を送っていました。

 

入院のストレスから、普段の生活に戻してのリハビリがむしろ精神的にも身体的にも効果があると言われ、退院したのが6月10日。

そして2年前の今頃は、次男が日常の生活を取り戻すために歩く練習をして、毎日母子で散歩をしていたのでした。

 

たった2年前、でももう2年。

けれど、あの緊急入院から私が駆けつけて次男の姿を見た時の衝撃は、今も鮮明な記憶で忘れることなどできません。

 

そんな次男も、6年前に呟いた一言。

はやぶさに関われたらいいなぁ・・・」

 

それが叶うところまで来ました。

衛星の打ち上げが成功した時、みんなで歓声をあげて喜び合うあの部屋の中の一人になることを、次男は教えてくれました。

夢を持ち続けた次男。それを叶えた次男。

そして、そんな次男が大好きな長男。

 

長男との壮絶だった日々も、この兄弟たちはずっと一緒でした。

今は離れていても、いつも兄を気にする弟と弟の帰りを待つ兄。

 

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ものが壊れようがパニックに付き合わされて大怪我しようが、それでも母はこの二人に支えられてきました。

 

そんなことを考えさせられていた4月から6月の今日の日まで。

トイレ強化月間は、ついにこの様な結末を迎えたのです。

 


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全ては予想通り。
旦那はこのビジュアルを発見してから、またあの肩を震わす過程を繰り返しました。

しかもトイレットペーパーが置けるように、台は安定して存在しておりました。

 

そうしながらも、明日は来る。

明日の明日も、ずっと続く・・・。

 

そんなことを願っている母なのであります。

 

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お彼岸と感謝と大どんでん返し

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雨の春分の日のお彼岸。

今年の春分の日は週末にやってきました。

いつもなら長男の要請で週末ドライブとなるわけだけど、どうせならお墓参りに行こうではないか!

 

というわけで、行ってきました。

雨の中を。

 

我が家のお墓に続く道と階段は、桜の花びらが、なんとも燻し銀な風情をも華やかにしていました。

 

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さて、週末ドライブは、最近では毎回3時間ほどの定例イベントとなっています。

旦那の田舎のお墓も車の往復でそんなもんだから、いつもの週末と変わらない。

 

このご時世、世間をうろちょろするのはあまり感心してもらえないので、お参りだけして折り返すことに。

というわけで「目的がある」ということだけが、いつもの当てもないドライブと違っていて、時間的にはいつもと変わらないイベントとなりました。

 

そんなドライブで目的地に向かう途中、ラジオで「ラジオスターの悲劇」が流れてきました。

旦那が「これ、生で聴いたよね!」「そうそう!何年前だっけ?!」

 

数えてみると13年前。

旦那と二人で行ったコンサートで聴いた曲。

 

長男が生まれて、二人でコンサートなんかに行けるなんて思ってもいなかった。

本当に嬉しかったことを、昨日のことのように覚えています。

 

私は高校生の頃から「エイジア」というアメリカのロックバンドが大好き。

旦那も私も洋楽好きでプログレ好き。

私は聴くだけの人だけど、旦那に至っては、実はCDメジャーデビューを果たす程に音楽人。しかも好きなバンドの演奏は完コピ多数。

 

その13年前に「エイジア」が地元にやってきたのです。

私も40歳をとうに超えてしまっていて、旦那も50が目の前。

来日する彼らも完璧なおじいちゃんたち。

 

もう来日は最後じゃないかと言われていて(とか言いながらその後も来てたりする。地元には来なかったけどね)行きたいよ〜!でも、長男がいるからいけないよぉぉぉぉぉ(泣)と漏らしておりました。

 

すると「それは是非、ご夫婦で行ってもらいましょう!!」と、動いてくれた人達がいたんです。

 

当時、採算ド外視で障害を持った子たちを預かってくれていた人達がいました。

一軒家を借りて、困った時に子供を預かる、行政サービスの隙間を埋めてくれていた人達。

大元は長男の通う今の施設が運営していたのだけれど、行政から外れた支援には当然補助金などもらえず、多くの親たちを助けてきたその家は、結局は持ち堪えられず消える運命となりました。

 

でも、そこで支援をしてきた人達は各地で今も活躍していて、スーパー支援員に成長した人達もたくさんいます。

 

あの日、私たち夫婦に、既に諦めてしまっていた時間をプレゼントしてくれた人達。

おじいちゃんたちの演奏と、どう見てもいい歳のおじさんおばさんが、若かった頃に戻って毎曲スタンディングオベーションでのりまくった時間。

 

「ラジオスターの悲劇」はバグルスの曲だけど、メンバーが「エイジア」と被っているので、当然なんの違和感もなく聴いてしまうわけだけど・・・。

 

雨の中を走る車の中のラジオの音が、あの時の嬉しさと、楽しさと、そして感謝を思い出させたのでした。


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今回のお墓参りには、ご先祖様に二つの報告をする目的もありました。

傘をさすのも少し前までは上手くできなかった長男。

随分と上手に持てるようになりました。

多くの人達が手を掛かけてくださっていることで、できることが増えてきています。

 

そして、長男と関わってくれている人達が、長男のことを本当に考えて、長男のために関わってくださっていることを、さらに深く知るようなことがありました。

 

それを聞いた旦那も、ありがたくて嬉しくて、目が潤んでいました。

 

そして、大学院の先の進路について話した次男にも

「お兄ちゃんを支えてくれている人達がたくさんいるね。心配しなくていいよ」

と言うと、次男も電話の向こうで泣いていました。

 

人は人でしか支えられない。

そういつも教えてくれる人達。

どんな未来でも、絶望だけは絶対に来ない!

そう思わせてくれる人達に、長男は囲まれています。


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白い空と桜。桜はやっぱり、青い空が似合うなぁ。

 

そしてもう一つの報告。

 

三日前の夜に次男から電話がありました。

かなり疲れていて、多分一人になりたくなかったのか、気分転換したかったのか・・・。

 

学会発表を二日後に控えて、論文について何度も教授からダメ出しをされて、書き直してはNG、さらに書き直してはNGを繰り返している。

 

書き方については当然、教えてもらえるわけないので、ついに本番二日前になってしまったと。

 

本人曰く、望遠鏡を覗くのも、解析をするのも楽しくてしょうがない。

何時間だって大丈夫。

けれど、論文がね・・・。

 

あれ?

何時間だって大丈夫?

 

長男は回るものが大好き。解体作業を見るのが大好き。

何時間だっていける。

旦那は旧道が大好き。地図が大好き。

何時間だっていける。

 

何時間もいけるものを持っていない私は、この家の中では唯一ではないかい?

 

まぁ、そんな我が家の次男だから、ひたすら解析して、誰もまだ知らないことを見つけてしまったもんだから、論文が難しくなるのは当然なわけです。

 

解明されていること、結果が分かっていることを書くのではないので、苦労の連続で、睡眠時間も削って食事も取らないような状態だった様子。

親としては、もうそんなんどうでもいいわ、はよ寝ろ!ちゃんと食え!!と言いたいところをグッとこらえて話を聞きました。

 

とても厳しい研究室らしく、辞める子も出るほどだけど、次男は教授のことを

「間違ったことはひとつも言われていない、愛情があることは分かってるから、答えられない、不甲斐ない自分がいて・・・」

と言っていました。

 

論文がどうとか、私にはわからない。けれど、何度も何度も諦めないでやり続ける君はすごいよ!正直、なかなかできないことだよ!

と言うのが精一杯でした。

でも、それも本心。

 

次男は最後に、あと少ししか時間ないけど、最後まで頑張るよ!

と言って電話を切りました。

 

そして本番が終わった二日後の夕方。次男から電話がかかってきました。

次男は本当に最後まで諦めず、当日の朝まで準備して、今年はリモート開催だったので、自分の部屋からではなく大学へ行き、敢えてその教授の隣を陣取って学会に挑み、発表したそうです。

 

私だったら、とてもそれは出来ない。教授の隣なんか座れない。

何が降りてきて、開き直れたのか??笑

 

けれど教授は最後まで次男に付き合って聞いてくれて

「良かった!初めての学会発表とは思えなかった」

と言ってくださったとのこと。

 

論文については、錚々たる大学や国立天文台などの教授達から質問が飛び交い、全てに答えられたと。

コメントも驚くほどの数が来て、多くの人が興味を示してくれたと。

天文学のトップの人達からは、資料や文献なども教えてもらい、激励されたようでした。

 

大どんでん返し!!

 

でもやはり、教授から認めてもらったのは何より嬉しかったんじゃないかな。

それにしてもあの、三日前の悲壮すぎる次男は何だったのか。

 

残された時間を諦めずに突っ走ると、何かが起きるものなんだな。

 

見事に教えられました。

これが経験できただけで、次男はもうひとつ強くなれるんじゃないかな・・・。

 

ちなみにこんな状態だから、修士1年の次男は就活はできていないんじゃないかと思っていたら、実はやっていたことが判明。

 

宇宙の解析に関わる仕事ができるところなんて、日本には2つくらいしかないそうな。

どちらも私でも聞いたことのある名前だったけど、その中のひとつが最終選考に残っているらしい。

そして、もうひとつもエントリーするとも言っていました。

 

正直、どちらも受かるのは至難の技らしく、結果どうであれ、こんな次男だから絶対に何かで宇宙に関わろうとするだろうな。

 

それに、子供達に宇宙の面白さを伝える仕事もしたいと言っていました。

某科学館に問い合わせをしたら、どうやら令和4年度卒業の選考は来年とかで、やたら遅い時期にあるらしく、でもいただけた回答には

「来年度卒の募集が始まりましたら、こちらから連絡させていただきます」

というものだったらしい。

 

宇宙の仕事なんてそうそうないし、就けるものでもないよ。

夢みたいな話だよ。

 

そう言った人がいた。

でも、次男はまた諦めないだろう。

 

私の父が次男に贈った望遠鏡が喜んでるよ。

そして、お父さんのご先祖様達もね。


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二つの報告を終えたあと、花びらの階段を降り、再び車に乗ったら、いつものように最後はセブンイレブンでドライブのシメとなるデザートを買って帰路につきました。

 

今日は今日で雨の風情。

明日は晴れそうだよ。

 

意外にも世の中は・・・。

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カレンダーに、私が予定を書き込む時の長男の表情がいつも可愛い。

 

君のイベントはここだよ・・・と書き込むと、嬉しそうにカレンダーを覗き込む長男。

書き込んだところに「でっ、でっ」と言いながら、指差して何の予定か聞いてくる。

 

ここが「行動援護で(重度障害児者の移動支援)、ここはお父さんがいるからドライブできるね!」

 

長男は、あれ?という顔をした。

ので、もしかして?と思って「あぁ、短期入所はまた今度ね^^」

と伝えると、また「でっ、でっ!」と指差ししながら聞き返してくる。

 

福祉のサービスで「お母さんの睡眠時間を確保しよう!」と相談支援員さんが繋げて下さった、短期入所なる施設でのお泊まりの日は、実は今月はナシ。

ニーズの多さに対して、支援者であるマンパワーの数が追いつかないからしょうがない。

 

短期入所は、だいたい月1回で土曜日の夜から日曜日の朝、あるいは日曜日の夜から月曜日の朝に利用させてもらっている。

つまり、長男にとっては親以外の、年齢も近い支援者たちと過ごす貴重な時間。

そして私にとっては、夜中に起きる必要がない睡眠がとれる日。

 

でも「ご希望に添えなくて申し訳ないです」と連絡が来て、ウチが利用できない時は誰かが利用できているわけで。

逆を言えば、ウチが利用できている時は、誰かが利用できていない可能性がある。

 

福祉のサービスはマンパワーがなければ成り立たない。

だから、私たちは利用する側であり、それを大事にしなければならない立場でもあるんだ。

 

そしてこの前の週末のこと。

旦那が用事で数時間の不在を宣言して出て行ったので、しっかり長男には説明したものの、どうやら置いてきぼりを喰らったと感じたらしい。

 

そこで「あ"ー、あ"ー!」と私に不満をぶつけて来たけれど、なんとも帰宅の時間がわからなかったので、まぁまぁ母と一緒に待とうではないか!と説得をしたところ、長男は横になってふて寝を決め込んだ。

 

苦笑いの私だったけど、しばらくして寝落ちしたのか寝息が・・・。

おや、ではではちょいとタオルを取りに・・・と私がドアを少し開けた瞬間、ムクッと長男が起き上がって来たので、ああ、やっぱりね・・・と、これまた苦笑い。

 

むくれていた長男は、私が少し長男から離れたことで、私の手が及ばないと考えたであろう場所にある引き出しから、何かを取り出して壊そうとし始めた。

 

母を舐めたらいけません(笑)

結局母が追い付いて、おいおいと止められて未遂に終わったのでありました。

調子が悪い時は、もう完全に破壊されているパターンだけど、この日は大丈夫でありました。

 

こんな風に、寝てるかもしれないと思ってその場を離れたことで、事件が起こったことは数知れず。

多くの支援者も経験させられていて、目の及ばないところで破壊行動や脱走とか、何度やらかしたことか。

脱走によって、小さい頃は保護で済んだけど、大きくなってからは留置所に入れられたことだってある。

 

こういう風に寝落ちしたかと思っても、周りの状況で目を覚ます長男と、夜眠っていても長男の動きで目の覚める母と、毎日の攻防は未だ途絶えることはないわけです。

つまり短期入所のお泊まりは、こんな私たち親が、夜中の攻防を繰り広げずに済む時間をもらえるわけです。

 

けれどまぁ、ここのところ結構機嫌の良い日が続いていたこともあってか、今回この昼間の攻防はたいしたことはなく、短い時間の出来事で済みました。

 

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そうしている間に父親が帰宅。

で、長男の外出要求が始まりました。

そろそろ夕方に差し掛かる頃とはいえ、長男の希望通りにドライブと相成りました。

 

相変わらずの、長男が行きたい方向の指差しにハンドルを切っての気ままなドライブです。

日が落ちてきて赤く染まり出した空を見て、父親が「夕日が落ちるまでに、まだ間に合うかも知れない!埠頭に行こうよ!」と言うと、長男も納得。

 

本当に綺麗な夕日と空と海に出会えました。


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観光地でもリゾートでもない、流通のための埠頭。

ここは釣り人の姿も多く見られます。

長男は空を見るというより、この日の、冬にしてはそんなに冷たくもない風を感じているふうでした。

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私もこの真っ赤な西の空を見ながら、この風景とは裏腹に、なぜかこんなことを思っていました。

 

「あ〜・・・帰ったらまた家事かぁ・・・。」

「朝も昼間も何も出来なかったし、今はこうしてるし、やりたいことはまた夜中だなぁ〜」

 

綺麗すぎる風景の中で、なぜか現実的な思考がいらん方向にも働く私の脳内。

それはこんなこと・・・。

 

最近、周りの尊敬する人たちが更に勉強を始めたり、深めたりしている。

資格を取った人、取ろうとする人、講座で学び始めた人・・・SNSでそんな報告が溢れている。

 

「あれ?私、何やってんだ?」

 

時々、すごい取り残され感が襲って来たりする。

でも、今日はその取り残され感の後に、更に来た感情がこれ。

 

「あぁ、こんな綺麗な風景を見せてもらってんだなぁ」

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なんも出来なくても、実はこうして気を抜く場所を、ちゃんともらってたな。

案外、すごいことに気付かされたか?

 

なんだかよく分からないけれど、意外にもスッキリして帰宅した私。

色々あるけど、この時間も長男がくれた時間。

 

世の中は気付かないだけで、案外上手く回っているのかもしれない。


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一年半を過ぎた告白……知ってたけどね。

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前回のブログで書いたように、令和も2年が終わり3年が始まった頃に、我が家は長男の啓示を受けつつ新しい年を迎えました。

 

そして令和3年の最初の日が暮れようとした頃、次男が帰省して来ました。

 

次男は東京住まいであることから、それは幾つかの質問から始まり、確認をするところから帰省決定への流れとなったのでした。

 

まず、体調が良いこと。

キャンパス内に感染者が出ていないこと。

研究に没頭して不要不急の移動、外出をしていなかったこと。

移動には主に徒歩で、殆ど公共交通機関を使っていなかったこと。

ということで、GOサイン発令となったのでした。

 

空港はガラガラ、人との接近や接触をするには、わざわざ近付かなければならない程の人しかおらず、遠くに立っていた次男を直ぐに見つけられたレベル。

 

さて、かくして次男は昨年3月から10ヶ月ぶりの帰省を果たしたのでした。

 

しかし世間はコロナな毎日で、しかも寒波に襲われるわ雪は降るわ。

まぁ、そうでなくても外を出歩くことはなかったでしょうが。

 

それにしても、長男は次男を待ち続けていました。

弟が帰ると聞くと、いつものようにカレンダーとにらめっこ、指を差しながら「いつだ?」と聞いてきました。

 

そして帰省した次男がその日から夕食に同じテーブルを囲むと、長男は次男の顔を何度見もしながら、でへへっと笑うのでした。

 

それからの長男の機嫌が良いこと良いこと。

次男が帰京した今でも、まだそれは続いています。

 

さて、次男は帰省してから何をしていたかというと、朝から夜遅くまでひたすらパソコンの前にいました。

 

何やら英文の論文を読み、突然暗号のような計算式を紙一面に書いて計算を始め、またパソコンに向かって何かを書き込み、殆ど休みもせず毎日、それをやっていました。

 

それに時代というかご時世というか、オンラインでの研究室や宇宙ステーションの解析班のミーティングもやっていました。

 

次男は中学高校と部活をしていて、家にいる時間のほとんどは寝ている姿ばかりを見てきたので、思わず

「いや〜、こんなに長時間、勉強している姿は見たことなかったわぁ〜」

と言うと、口をパクパクする次男なのでありました。

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そんな次男を囲んでよく出る話しは、やはりあの時のこと。

ギラン・バレー症候群で緊急入院してからの日々の話です。

 

病院で過ごした日々から、退院しての1年7ヶ月。

実は……と次男の告白が始まりました。

 

とにかく早く退院したかった。

だから自分でも相当カラ元気出してたと思う……と。

 

本当は歩くのも不安だった。

いつ転ぶか怖かった。

それでも看護師さんや療法士さんには、大丈夫です!と言い切っていたと。

 

まだ上手く歩けない、すぐコケてしまう、体力もない、すぐ呼吸が上がって熱も出やすい、

ペットボトルの蓋さえまだ開けられない状態で退院したのは、本人の強い意志からでした。

 

とにかく頭の中から、退院の2文字が渦巻いて離れなかったんだと思う。

 

まぁ、知ってたよ。

相当無理して、平気なふりしてたことくらい。

 

リハビリの担当だった理学療法士さんと、実は次男のいない場所で話したんだよね。

本人が今の段階で退院したいと言い出したのは、入院自体に相当ストレスが溜まっているからだって。

 

リハビリは今やっていることを、ひたすら繰り返してやるだけだけど、幸い若いから、自分で日常で機能訓練をすることはできる。

ストレスを溜めて入院を続けるよりも、自分の生活の場で頑張る方がいいだろうって。

 

だからそれ、知ってたんだよね。


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次男は声に出さず、そぅかぁ〜という顔をしていました。

今頃になってだけど、話の流れでたまたま話したのか、言いたかったのか……。

 

そうやって、高校時代まで殆ど見せてこなかった勉強姿をガッツリ公開し、退院時の不安だったことを告白まで終わらせた次男は、東京が緊急事態宣言を出した直後に大学に戻って行きました。

 

望遠鏡、覗かなきゃいけないからだそうで。

そうですか。

まぁ、好きなことだからガンバレ。

 

来た時よりも更に人がいなくなった空港で、また長男との「またね」を交わし、ゲートに消えて行った次男。

 

さて、今度会えるのはいつでしょう。

ますます帰省が難しくなる可能性もあります。

でも、好きなことをやっていることで、ギランバレーにやられてストレスを溜めていた時とは違い、しっかり地に足をつけて歩いていけるでしょう。

 

親はエールを送るのみ。

もう、やってあげられることはなくなってきています。

 

頼もしくもあり、寂しくもあり……。

そうやって、子どもは巣立っていくのでしょう。

 

 

今年も長男からの啓示を受けたので・・・


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あけまして12日目でございます。

相変わらずの我が家・・・皆様、佳き新年をお迎えになられたでしょうか・・・。

 

今年、どうやら4年目突入らしきこのブログ。

なんとまぁ、記事数が今回で101回目と、はてなブログさんから通知が来ました。

どんだけノロノロ運転じゃい。

それに、プロポーズでもしなきゃいかん回数か?

(ギャグにもならんなぁ・・・これが一体、どの年代まで通じるのか・・・)

 

さて、そんな2021年でございます。

今年も元旦から受けました。

長男からの啓示を。

 

そういえば、数年前には超強力な啓示を受けましたが、去年はやんわりだったような・・・そして今年。

「年の初めの試しとて」(本当は"例“と書くらしい)とばかりに、初日の出がお目見えするその前に、それまで眠っていた長男はガー〜ーっっと立ち上がると、私たち親の隣にやって来て大絶叫を始めたのでした。

 

実は私もやっと布団に入ったところだったのですが、その瞬間「あ、こりゃん寝れんパターンやな」と構えて、その通り私は完徹と相成りました。

 

夢を見たのか、それとも何かの感情が吹き出したのか。

とにかく、こうなったらとことん付き合うしかありません。

いや、付き合うからドンと来い!

と肝が座ってしまうのは、もう長年こんなことをやって来ているからです。

 

数年前はパニックで暴れた後にドライブ要求があり、長時間を車の中で過ごしたまま新年を迎え、朝方帰宅ということもありました。

帰宅後も、元旦は長男の絶叫大泣き大会と化し、これからも何度も押し寄せるであろう同じような事態に対し、お付き合いを覚悟した年始でした。

 

そして今年も。

ええ。もちろん、お付き合いしますとも。

私の肝は身じろがないんです(笑)

正直、周りの多くの支えあっての肝でもあります。

 

今年もよろしく付き合いなさい・・・と、長男に啓示を受けましたので、例年通りお付き合いさせていただきますよ。

 

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ただ、母にも今年はひとつ、困ったことがありまして。

 

昨年は、手を壊してしまって生活に支障が出て来たことで、色んなことを自ら変化させなければならない年でした。

 

しかし今度は膝なんかもまずい状態になって来まして、多分水抜きせねばならないだろうというところに来ています。

通院を考えると病院もなかなか行けないのですが、長男のダッシュなる動きに対応するのがかなり辛い状態です。

 

世の先輩方が「膝がやられていてねぇ〜」とおっしゃるのを何気に聞いていましたが、今度は私が言う番ですか。

多少情けなさもあり、年齢も感じながら、今まで実際酷使して来たことも事実なので仕方ないのでしょう。

 

それにしても最近、スマホでやたらグルコサミンサプリなんかを勧められるけど、どこから聞きつけたんでしょう?


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めっきり寒い毎日です。

冷え性の私。

「湯たんぽ」ヘビーユーザーなのですが、これが寒がりさんには超〜オススメです!

 

そんなこんなで元旦も通り過ぎましたが、例年通り漏れなく長男から啓示を受けた令和3年が始まりました。

それを受けて、コロナの中にあっても、今年もたくさんの幸せを見つけられるように頑張りたいと思います!