大学生になった次男が、一番成長したこと。
それは、自分で朝、起きれるようになったこと。
東京で1人暮らしをするようになって、必要に駆られてのことなんだろうけれど。
睡眠障害でなかなか寝ない、寝ても眠りが浅い長男の真逆を行っていた次男。
起こしても起こしても土左衛門……ビクともせずに爆睡、毎日、朝起こす作業に一苦労でした。
地震が来てもそのまま寝てそうだし、オバケが来ても気付かれずに諦められそうなくらいの爆睡っぷり。
まぁ、それは小さい頃からで、寝相は悪過ぎたし、爆睡の上寝言はハッキリ言うし、夢遊病みたく歩いたこともある。
そういえば、まだテレビで戦隊ものとか仮面ライダーとか見ていた頃は、日曜日だけは起きれていたなぁ。
やっぱり、目的ないと起きれないんだね……という感じで、平日は超爆睡だった。
起きれないのも、寝相が悪いのも、障害児の兄がいることでの、家庭内のストレスのせいよ! と言った人もいた。
けれど、実際は毎日が天真爛漫を絵に描いたような次男だったので、ストレスと言われても、何ともどうすれば良いのか、母としてはお手上げ状態だった。
一度起きてしばらく覚醒に時間が掛かって、一旦動き始めたら元気元気。
リビングのサッシをカーッと開けたら
「鳥さ〜ん、おはよう! さとちゃんだよ〜!」
と、しょっちゅう叫んでいた。
すると、お隣のおばさんが「さとちゃん、今日も元気だね〜」とベランダから声を掛けてくれてた。
4才くらいだったか、ちょっとした事件が起きた。
その日も次男は、その日のエネルギーを残さずに爆睡中だった。
当時は旦那が仕事で、毎日夜中の2時頃に帰宅していて、旦那がリビングで着替えていると、ふすまを開け放した隣の部屋から、次男が寝たままコロコロとリビングに転がって来た。
そしてテーブルの側までたどり着くと、何故か起き上がろうとした。
どうやら勢いを付けて起き上がったようで、その瞬間ガンっ! と少し鈍い、けれども大きな音がした。
なんと次男は、ガラスの重くて大きいテーブルの角に、顔面を打ち付けてしまった。
私もその音で驚いて目が覚め、慌てて次男に駆け寄ると顔面が血だらけだった。
しかも、目から出血している!
私も相当慌てて、オロオロしてしまった。
私自身、小さい頃に目をケガしたことがあり、今でも目に関しては苦労が絶えない。
とにかく早く病院に連れて行かなければ!
すぐに、夜間診療をしてもらえる病院を紹介してくれる機関に電話をして、わりと近いところの病院が紹介された。
その機関と病院が連携を取ってくれて、すぐに受け入れてもらえた。
私は長男が寝ていたので、動くわけにもいかず、旦那に病院に次男を連れていってもらった。
その後のことは、旦那から聞いた話。
結局次男は、目自体にはケガはしていなかったが、目の縁がバックリと割れてしまっていて、そこからとめどなく血が流れていたようだ。
で、お医者さんは止血した後、そのままチャチャっと縫ってくれた。
その間、次男はまな板の上の鯉。
実は次男、その間も睡魔に襲われていて、縫ってもらうことに対しても、眠くて眠くてそれどころじゃなかったようだ。
けれど、そんなこととはつゆ知らず、お医者さんは「こんなに小さい子なのに泣かないで凄い! 偉いね!!」と、本当に感心されていたそうな。
旦那、目の中が大丈夫と分ったからか、ちょっと気が緩んだようで、お医者さんの次男を褒めて下さる言葉に、いちいち「うぷぷっ」と笑ってしまってたようで……(笑)
治療が終わった頃には、次男も少し目が覚めて、帰り際に「がんばったで賞」のジュースを買ってもらって、ご満悦で帰って来た。
見てみると、黒い木綿糸位の太さの糸で目の縁が縫ってあって、絆創膏の端っこからちょっとはみ出していた。
それから1ヶ月ほどで抜糸と相成りました。
抜糸前日、超イケメンの若いお医者さんから「俺が抜糸してあげるからな、待ってるよ!」と言われてたので、私もテンションアゲアゲで翌日病院に行くと、実際に抜糸して下さったのは、奇麗な女医さんでした。
旦那が代わりに行きたかったそです。
さて、実は目の縁を縫った時に泣かなかった次男ですが、その翌日、たくさんの蚊にさされて「かゆいぃぃぃぃ」と涙を流して泣きました。
次男にとって、痛い痛くない、痒い痒くないよりも、問題は眠いか、眠くないか、ということのようでした(笑)
そんなこんなで、長い間、朝っぱらから起こすことに、ひと手間もふた手間も掛けてくれてた次男。
あの大変さから解放されて2年がとうに過ぎました。
起きれるようになって良かったね〜。
けれど、未だにちょっとだけ、母の淋しさも消えないわけで。
母という生き物は、案外と身勝手なものなのかも知れません……(しみじみ)