宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

発達障害者自身の声を、親の立ち場でも考えた

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Twitterというものを始めた。
使い勝手が分からないまま、人のツイートばかりを見てたりする。

 

取り敢えず、発達障害の当事者のツイートを見始めたんだけど、これは親としての立ち場で見ていると、かなり精神に堪えるところがある。

 

ツイートには、まだまだこの世の中の理解が進まないことの怒りも多い。

当事者が語ってくれることは、親の言葉よりも、どんなことよりも断然説得力がある。

これからの理解と支援にもつながる。

世の中を変えることだってできるかも知れない。

 

ただ、障害者を生んだ親としては、これは結構キツい。

長男は言葉を持たないが、もし同じようにつぶやいたら泣いてしまうかも知れない。

申し訳ないという思いを、どんなに頑張っても消し去ることが難しいからだ。

 

親にしてみれば、子どもが小さい頃から、こんな子どもに産んだのはあなただと言われ続ける。

こんな子では周りが迷惑とか、子ども自身がかわいそうとか散々言われる。

子どもを育てる上で、困難が付いて回るから母親が立派な教師になって育てなさいと言われる。

まともに生まれればよかったのにと言われた時は、まともって何だ?と、頭の中でぐるぐる回った。

 

私は、普通にお母さんをしたかっただけなんだ。

 

毎日散歩をしたらお喋りできるようになった子がテレビに出てたから、あなたも毎日お散歩をさせなさい。

この療育をしたら知能が伸びるから、お母さんが素晴らしい先生になりなさい。

障害を持ったのは母親の作る食べ物のせいだから、お母さんがしっかり食事の管理をしなさい。

キレートをすれば、自閉症は治るから治療しなさい。

障害を持っていても、お母さんの育て方次第で良くなる、障害が重いのはお母さんの育て方のせい。

 

数えきれない先生達がいて、お母さん次第と言われ続けて、だんだん、どこをどう頑張ればいいのか解らなくなってしまう。

 

果ては・・・

兄弟児がいれば、親の方が早く死ぬんだから兄弟児に面倒を見させなさい。

兄弟児が将来は一緒に暮らさなければ、誰が面倒を見るの?

 

だけど・・・

散歩させても喋りません(散歩はそもそも日課だった)

療育は確かに大事、でもうちの場合、就学前通園事業で出されていた、家でやる山のような枚数の紙の宿題は大泣きして出来なかった(甘い!と怒られた)←母親先生失格

食べ物は気を付けている方だと思うが、よく言われている食事法は極端なことが多く、実際に実践したら疲れてしまうことが多い。

キレートは、自閉症の子どもさんを持つお医者さんが完全否定していた。実はそれで死者も出ているとも聞いた。

確かに育てたのは母親。でも、環境の全てを母親が作れるわけではない。学校の時間だって施設で過ごす時間だってある。

 

否定するわけではなく、それらが合うお子さんもいるだろう。

でも、全部が全部そうではない。

障害名が同じだから、同じように発達していくことはない。

 

独立出来ない、支援の手が常に必要な重度の障害者に対してだって、兄弟児が見なければならないなんて義務はない。

でも、兄弟児達もそれなりに色んなことを抱えて育つ。

次男も周りに散々「お兄ちゃんはあなたが見なさい」と言われて、笑顔で「分かっているよ」と答える。

 

次男は小さい頃からの夢に、いつのまにか努力して随分近づいていた。

親が全く知らないところで、悩みながらも必死に夢に向かって頑張っていた。

自分がやりたい研究を、大学でも出来るところまで頑張った。

旦那も私も、次男に自分の人生を歩くようにと言い続けている。

夢が叶うように、ただただ見守ることが、親が出来る唯一のことだ。

 

私の周りにも、障害者の兄弟とともに自分の人生を歩いている人を知っている。

結婚もせず、兄弟のためだけに。

 

障害者のいる家庭が不幸かと問われれば、親の立ち場なら「違う」と答える。

きれいごとではなく、本当に来世でだって、この子達と再会したいと心から思う。

でも、本人は何と答えるのかは自信がない。

 

それに、ずっと言われて来たことは正直忘れられるものではない。

 

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当事者のTwitterには、発達障害だから特殊の才能を持っているという、成功例を全ての発達障害に当てはめるのはやめてほしいという内容も多かった。

 

母親だって言われるのだよ。

絵を教えなさいとか、歌が好きだし、あなたは音楽の先生なんだからピアノを教えなさいとか……障害が才能なら、発達障害の画家やピアニストなんてごまんといる。

子どもの才能を見つけて、それを伸ばした人を私は尊敬している。

けれど、みんながそれを出来るわけではない。それは人による。

親が頑張れば何かの花が咲くというのは、親達を追いつめることだって多い。

 

 

私はただお母さんをしたかっただけだし、それは今でも同じだ。

一緒にいると、最初の頃は息切れもしていたけれど、今は楽しくてしょうがない。

それは、自分のことしか考えてないだけだと言った人もいたけれど。

 

けれど、だからこそそのために専門家がいるんだと私は思っている。

親が専門家になることも、それはケースバイケースだと思う。

私は、母親は先生ではなく、母親でいいと思う。

子ども自身の歩みを応援しながら、一緒に泣いて笑って、喜び合えればそれでいいと思う。

 

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今日のテレビで、発達障害のテーマの特集をやっていた。

障害とは、その特性によって本人が困ることが多い時に言う。

困らなければ障害とは言わない。

そして、障害とは周りが作り出しているのかも知れない。

 

長男がまだ子どもの頃、こんな事を言ってくれるテレビや周りの人達はいなかったな。

 

やはり親なんかよりも、当事者の声は強い。