伸びきった髪を切りたいという次男の願いを叶えるべく、銀座に行って参りました。
貧乏苦学生ゆえ、安くなるクーポン券を使いながら、美容室を渡り歩いているようです。
お昼12時の予約で、1時間ほど母はスタバで過ごし、その後また落ち合って、昼食と致しました。
やっとスッキリできました。
お昼休みに重なる時間帯でもあるので、あちらこちらの店で行列ができている中、ゆっくりできそうな喫茶店なるものを見つけました。
お店自体には歴史があるようで、店内の全ては懐かしい昭和な香りがぷんぷん。次男よりも私の方が、その空気感を知っている分落ち着く感じです。
いわゆる喫茶店のパスタです。
柔らかい麺が何とも……。でも、昔はこれがオシャレな食べ物だったんですよね。これぞ、ザ・喫茶店メニュー!
懐かしき味でございました。
食事を終えると、東京駅方面に向かって高架橋の横を歩きました。
電車を走らせる高架橋は、眼鏡橋と同じ形状のレンガ造りで、これを見た時、小さい頃住んでいた家の側の眼鏡橋を思い出しました。
そこで遊んでいた時の記憶が蘇るほどの、レンガの綺麗な配列と、いい感じに年季の入った赤茶色です。
どんなに古くなっても、綺麗だと思えるものを作れる日本人は凄いなぁ。
この高架下を利用した店舗もたくさんあって、それを横目に東京駅へと進みます。
東京駅構内の天井。
テレビでよく見ていたのはコレだったか〜。
東京駅というと、5年もの時間を掛けて復元工事が行われましたが、この歴史ある建物を保存するためには、関わった多くの人達の壮絶な苦労があったとも聞いています。
良いものは残す。
本当は新たに駅ビルを作った方が楽なはずなのに、先人の思いと歴史を引き継ぐための大事業でした。
そうやって残していくことが、人々の誇りにも繋がっていくのでしょう。
そういえば、東京駅の中にある干支が12支揃わない、という謎が最近解明されましたね。
残りは、私が高校時代に合宿などで皆と利用していた、武雄温泉の楼門にあったのには仰天しました。
東京駅の設計者は佐賀の唐津出身の方ですが、そんなミステリーの解答を、自分の出身地の佐賀に残すとは……。
それにしてもこの建築物の美しさ。
辰野金吾さん、お見事です!
東京駅から少し歩いて、皇居外苑もちょっとだけ。
皇居外苑はとても広いので、今の次男では全ての踏破は難しい。
ぉお!これもよくテレビで見るぞ!(お上りさん全開)
そこから振り向くと……
ビルと松の木の不思議なコントラスト。
たくさんのランナーさん達が、ここをくぐって走っていました。
次男も今はまだ走れないけれど、気持ちは走ってる感じでくぐってみました。
この門の重々しさと美しさ。
桜田門外の変が、正にここで起きたのだと思うと、えらい場所に立っているという実感が湧いてきました。
お堀の向こうには、お国の大事を決める会議が行われる建物が見えました。
皇居外苑は、歴史探訪には興味深い場所です。
ご先祖である菊池武時が一緒に戦った、楠木正成の像もここにあります。
次男がしっかり歩けるようになって、また一緒に、まだ見ていない苑内を回りながら、のんびり散策する日がいつか来るでしょうか。
公園内に入ると、突如と存在感のあるオブジェのようなものが……。
近寄ると、大きな鐘でした。
何やら説明が書いてあるらしきプレートが……。
英語で書いてあったので、次男が読み解いている間、母はその反対側に日本語訳のプレートを、既に見つけてしまっていました。
次男の和訳は、取り敢えず間違いはなかったようです。
この鐘は「自由の鐘」といい、アメリカ独立宣言の時に鳴らされた鐘のレプリカらしいです。
正午になると鐘の音が聞けるそうで、一度その音色も聞いてみたい。
そして、なんと公園内ではビールのイベントが催されていました。
ビールとつまみの世界が、公園内に広がっていました。
あの店、この店の前で、呼び子のお兄さんお姉さんに声を掛けられ、ビールを勧められるのをかわしながら、まずは全店舗を一周。
青い空が広がっていて気分も良かったので、財布の紐をちょこっと緩めて、イベント会場の椅子に座りました。
ビール好きの人達が、色んな種類のビールで大盛り上がりでした。
見ると、そのほとんどは会社帰りやカップル、女子会のグループでした。
そんな中、ビールには手を出さずシラフのまま、つまみのソーセージとポテトを長い時間かけて堪能する、この中では珍しかったであろう親子の構図を貫きました。
青い空と白い月。
ゆっくりとした時間も、またご馳走です。
帰り道で夕食リクエストを聞いたところ、煮魚が食べたいそうで。
母が腕を振るうのも、あと数日。