忘れもしない、令和という新しい年号に変わる日。
日本医科大学付属病院に緊急入院した次男の、10階の病室から見えたスカイツリー。
新しい年号をお祝いしているのか、綺麗な色で着飾っていました。
この頃はまだまだ病状も思わしくなく、先が見えない頃だったので、なんだかその綺麗な色が切なくも私には見えていたのでした。
令和元年最初の日、病院食もお祝いの御膳でした。
この日は割と固形のおかずが多かったのですが、小鉢には嚥下を助けるためのトロミのついた出汁があって、それに浸して喉ごしを良くしてお食べ!ってことだなと理解。
これがまた、ちょっとベッドの上に座っただけで心拍数がダダ上がり、そもそも起きておくことが辛くてキツくて疲れまくる。
特に固形が多くて出汁に浸して食べるとなると二度手間になるし、それでもむせたりするので、食べるのに時間がかかって、座っている辛さの方が優ってすぐ横になる。
というわけで、とにかく私がおかずを箸で刻みまくってスプーンに乗せて、早く食べてしまえるようにお手伝い。
麻痺した手で、握れないスプーンで、座るのもやっとで、ただただ「食べる」という行為ですら大変だったあの日々。
今は次男は走れるほどに回復、生活も普通にできるようになって、そんな令和2年の5月はコロナウイルスの恐怖と戦っている。
東京は今日も感染者が100人越え。でも肺炎ではなかったにしても、呼吸のできない辛さをすでに一年前に経験している次男は、かなり気をつけて暮らしている模様。
バイトもできなくなって生活が大変だから、よかったらお金を支援して欲しいと申し訳なさそうに連絡も来た。
学生は卒業まで勉学に励むのが一番大事な仕事だから、そりゃあ親としては何とかするさ。
それに、色々言ってる人もいるけれど、こんな時の給付金は本当にありがたい。
多分家族全員分、次男の勉学につぎ込むことになるだろう。
そして長男は、在宅日が増えたことで私ともガッツリ一緒にいることになった。
昨年の5月は、ずっと一緒に過ごすことができなかったのに。
あの時の、あの日々の時間をまるで取り戻しているかのように、ずっと一緒にいる。
そう思うと、こんな時間も愛おしいものです。
令和元年と2年の5月の家族は、全く違う過ごし方をしているけれど、来年の家族はどう過ごしているんだろう。
風邪からギランバレー症候群を発症した次男の記録を、日記アプリに書いていて、それをブログ用にして公開していた全27記事。↑そのうちの1記事目