宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

あの時の正門の桜と30年目の春

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桜が咲くと思い出す。

長男が特別支援学校の小学部6年生に、あと三日と進級を控えていた時。

学校の正門には、その年も見事に桜の花が咲いていました。

 

当時は放課後等デイサービスなどはなく、学校のない春休みを、とにかく家を飛び出しいなくなり、時には命に関わる行動をしでかす長男を守り、いっときも気の抜けない日々を過ごしていました。

 

そんな時に、長男の同級生が高熱を出して緊急入院をしたと聞きました。

ウイルスにはめっぽう強い、他県からも患者さんが訪れるという子どもの専門病院。

だからこそ、大丈夫だと思っていました。

 

ところが、同級生の男の子はたった三日・・・たった三日で自宅に帰ってきたのです。

あまりにも呆気なかった・・・後で彼のお母さんから聞きました。

 

このコロナ禍の時代ですが、当時もこんなにも強いウイルスが存在していて、たった三日で彼をとり込んでしまった。

 

笑顔の可愛い、癒し系の彼でした。

やらかしの多い息子の側で、笑って同じ教室に居てくれた子でした。

 

彼は11年間過ごした家に、両親に連れられて帰ってきました。

自宅の仏壇の前に布団が敷かれ、穏やかに眠ったように横たわった彼の側で、近所の子供たちがお別れに泣いていました。

みんな仲良くしてくれたんだと、息子も嬉しかっただろうとお母さんは後で語りました。

 

本当に多くの人たちが集まっていました。

その人たちの周りで、ずっとサザエさんのテーマソングがかかっていました。

「テレビでサザエさんが始まって、この曲がかかると、どこにいても必ず家に帰ってきてたのよ」

お母さんは気丈でした。

でも、きっとそれは火葬場に行くまでの間だったんじゃないかと思います。

 

母だから。親だから。

 

教頭先生が、手折った桜の枝を彼の隣にそっと置きました。

「正門のこの桜の下をくぐるはずだったから。明日から6年生だ」

 

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それから世間に桜が咲く頃、何度か彼の家に別の同級生のお母さんとお参りに訪れました。

そのお母さんは春休みだからと、同級生の子どもさんを連れてきましたが、その子が玄関を開けるや否や、「あー、ああーー!」と言って廊下に上がって走り出し、お風呂場の戸の前でキャッキャと笑いながら手を振り、楽しげにジャンプしたり手をパタパタと動かしました。

 

「あぁ、いるんだね、あそこに・・・」

亡くなった彼のお母さんは、切ないけど嬉しいような、なんとも言えない表情でその様子を眺めていました。

 

確かに、そこに彼はいたのだと思います。

教室で遊んでいたように、その時も教室と同じ時間が流れていたのでしょう。

 

「下の子の年齢が、もうすぐ追い越してしまうんよ」

それから数年後に、彼のお母さんが何気に言った一言。

家の中にも、車の中にも、あの頃の彼の写真が飾られていて、その時の年齢のままの彼が、もう少しで弟に年齢を越されていく。

 

きっと、あの可愛い笑顔のまま。

 

桜が咲くと思い出す。

 

そして、我が家の長男は昨日、30歳になりました。

長男の命は、今も続いています。

 

いつものようにケーキを買って、ロウソクを立てて、ハッピーバースデイを歌うと長男が火を吹き消す。

小さい頃は呼気がうまくいかずロウソクの火を吹き消すこともできず、練習してできるようになった時は本当に嬉しかった。

 

定形で発達していけば、なんてことないことも、できるようになって喜びをくれる息子が、30歳になって、今日もケーキをもっとちょうだいとおねだりをする。

私の皿のケーキの3分の1は、長男のお腹の中に収まりました。

 

いつもと変わらない時間、それが愛おしい時間だと強く認識するのは、私も歳をとったからなのでしょう。

 

大嵐の日にひどい難産で生まれ、一度空に旅立ったものの、もう一度私たちの元に帰ってきてくれた長男。

 

今日も明日も、そして明後日も、いつものように暮らせる保証なんてない。

私も旦那も、いつこの子を残して死ぬかわからない。

私たちが死んでしまっても、幸せに生き抜いてほしい長男に、今何をすればいいか、考える日々が続いているのです。

 


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