宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

次男とおばさんと大根と

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15年程前までの話。当時は海の側のマンモス団地に住んでいた。

ご年配のご夫婦が家を建てて、空き家になってしまった前の住処を貸しに出されていて、縁があって入居したのが我が家だった。

昔の団地なので、5階建ての階段もないコンクリート造りで、いかにも高度成長期に栄えたであろう巨大団地群だったが、我が家が越して来たときは、もう住民の高齢化が問題になっていて、同時にメンテナンスにも何かと気を付けなければならない時期だった。

 

そんな団地の1階に、高齢者を差し置いて住んでいたわけで、まぁ、賃貸の契約に選択肢がそこしかなかっただけなんだけど、月1回の自治会掃除の時は、同じ階段のおば樣方に「楽でいいねぇ〜」と冗談まじりで言われていた。

そんな風に、新参者をあっけらかんと受け入れてもらったおば樣方には感謝しているし、今、どうされているかなぁ……と、これを書きながら思ったりする。

 

周りは海で囲まれていて、住んでいた棟は一番海側に建っていた。リビングから外を見ると、夜は月が昇って海面に映り込み、そこから光の筋が水面を突き抜けて、何とも美しい風景がお気に入りだった。

海岸に沿って散歩道があり、よくそこを長男と次男と三人で歩いたものだ。

 

そして我が家のお隣さん、ドアのお向かいさんだけど、そこのおばさんがいつも

「さとちゃ〜ん、お野菜採りにいくよぉ〜」

と誘ってくれていた。

団地には全ての家に畑があり、我が家のベランダの先には広大な区画整理された畑があった。

めんどくさがり屋の私は、たまにしか畑には行ってなかったが、次男はよく隣のおばさんに連れられて、一緒に畑で収穫を楽しんでいた。

時間のある高齢の方達は畑で過ごす時間が多いと見えて、次男はすっかり、母よりもしっかりとしたコミュニティーを構築していた様だ。

 

今までで一番収穫して戻って来ていたのは大根だったかな。どうやら引いて抜くのが楽しかったらしい。

毎回山のように貰って来るので、隣に顔を出して「いつもすみませ〜ん」と言うと「うちは年寄り二人だから、全部は多いのよ〜! 食べて加勢してね〜」がお決まりの文句だった。

大根をまず切って、葉っぱは塩だけで漬け物にする。他に頂いた野菜も切る、煮る、炒める、揚げる……おばさんの野菜は、次々に調理されていく。

長男はその隣で首を傾げて見ていた。

次男はその反対側で、踏み台に登って背伸びして、それをまじまじと見ながら言った。

「今度、僕のお誕生日に包丁買ってね」

「え?お料理すんの?」

「うん」

おぉ! いいねいいね、食育だね! 自分で作って食べるって、理想じゃん!

 

そう思った私は、誕生日を待たずして包丁を買ってあげた。

白いセラミックの子供用の包丁。ちょっとお高かったけどね。

 

次男は喜んで早速切ることを教えて貰い、とんでもなく楽しそうに切り出した。

おっ? 末は料理人か? と思っていると、とにかく切る切る切る! それはそれは楽しそうに大根を切りまくる!

「もういいよ」と言っても「まだ切るの!」と切り続ける。

なるほど……切った先はないのね。つまり、それは遊びだったのね。

それを長男が見ながらフフフと笑う。

長男と私が笑うと、次男は「なんで〜?」という顔をした。

あの顔が、何だか昨日のことのように思い出される。

 

まぁ私も助かったし、切りすぎた分は明日また使うとして「有り難う」と言うとご満悦の次男。

息子の遊びから生まれた料理達は、無事に我が家の食卓にのぼり「これ、さとちゃんが作ったんだよ〜」という註釈を付けると、これまた単純な旦那が感激して「さぁとぉちゃぁぁぁん!」とぎゅうっ! としていたりする。

いや、切っただけですぜ、旦那。

 

思えばおばさんの大根はよく我が家の食卓にあがっていたけれど、料理をする時は、大根を真ん中に私が立っていて、隣に長男、反対側に次男がいたんだっけ。

よく次男から「みたらし団子」のリクエストがあったけど、一緒に小麦粉をこねて、二人に丸めてもらって、私がお醤油と砂糖でからめる作業をして……鍋を前に三人並んで作っていたなぁ。いや、何をするにもそうだったと思う。

 

何てことない風景なんだけど、あの時の風景は再現しようにも出来ない。

今になって思う、あれは、本当にいい風景だったんだよなぁ。

 

そこでの暮らしが4年を過ぎようとしていた頃、次男が小学校に上がる事を機に、引っ越しを決意した。

長男の通う特別支援学校は、小学校と中学校に挟まれていて、3校横並びに建っている。交流が盛んで障害者に理解がある地域なので、次男もいじめにあわずに済むかも知れない、という理由からだった。

マンモス団地は高齢化が進んで子どもも少なかった。でも、引っ越しを決めた所は、子育てもしやすいということで子どもも多かった。

 

引っ越しする時、階段の全てのお宅に挨拶に回った。

自治会を1年満期で終わられた方に、最後の自治会費をいつものようにポストに入れた時、封筒に「1年間お疲れ様でした。有難うございました」と書いておいたのだが、「そんなに言ってくれた人は初めてだったのよぉ!」と言われて「淋しいわ、淋しいわ」と何度も繰り返して泣いて下さった。

他の階のおばさんも「今、これしかないの。持って行って」と、わかめの乾物を大量に差し出して「本当に行っちゃうの?」と泣いて下さった。

そして、お隣のおばさんにも「お野菜余っちゃう〜」と涙ぐまれた。

気付けば全階のおばさま達に泣かれてしまった〜。

これは、案外次男のコミュニティー構築の成果なのかも知れないなぁ。

 

そして、その次男も大学生になって東京で一人暮らしをするようになり、時々写メが送られて来る。そこに大根はなくても、おばさんの野菜は今もちゃんと息子の中に残っているような気がする。

 

↓ある日の次男作 in東京

 

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