というわけで、次男と東京最後の夕食を済ませて、次男のマンションに戻りました。
もともと1週間分しか用意していなかった荷物が、季節をまたいで滞在したおかげで、スーツケースはパンパン。
翌日は早朝に起きて、敢えての成田から、LCCの飛行機で福岡に戻ることにしました。
翌朝、これまた東京最後の朝食を済ませ、キッチンもしっかり片付けて、いよいよパンパンのスーツケースをゴロゴロと引きながらマンションを後にしました。
思えばこのスーツケースをゴロゴロ引きながら、空港から直行した病院まで、田舎ものの母は迷い迷って、病院最寄駅から6〜7分のところを、40分も掛けてたどり着いたのでした。
到着して最初に目にした次男の姿に、40分歩き回った疲れなどブッ飛んで、次男の先行きを案じる方が優ってしまいました。
1週間と思って上京してから2ヶ月、あの日ベッドで寝たきりだった次男が、歩いて駅まで見送りに付いてきてくれました。
いつも使っていた駅ではなく、成田への乗り継ぎを考えて、少し遠いもう1つの最寄駅へ向かい、到着すると「じゃあね、気を付けながら頑張るんだよ」とだけ言い残して、改札に向かいました。
ところが我ながらおかしなことに、改札出口側から入ろうとして、正に改札を出ようとする団体にひんしゅくを買ってしまいました。
慌てて入り口に移動したのですが、その時ふと振り向いたら、向こうに向かって歩く団体の流れの中に、一人こちらを向いて立っている次男の姿が見えました。
その時、今日までずっと私が心配し続けた次男が、今度は私を心配そうに見ているのです。
そうして次男はその団体に紛れて姿が見えなくなり、私は構内に入る流れに流されて、それが東京での、次男の闘病を見守るだけの日々に、区切りをつけた瞬間でもありました。
結局私は、次男の心配通りにお上りさんであることは間違いなく、改札口の失態から次は降りる駅を間違え、おかげで時間が押したので、結局、最初は予定にしていなかったスカイライナーを利用することにしました。
都会は電車を間違えても、数分でまた電車が来るので、降りる駅を間違えても、田舎のように深刻なことにはまずなりません。
けれど、スカイライナーの特急券の購入がイマイチわからず、係の方に親切に教えて頂きました。
旦那いわく、きっと1日にそんな人、一人はいるよね……。
この日はそれが、私だったわけです。
無事成田に着くと、今度は第三ターミナルまで670メートルほどの距離を歩き、ようやく到着すると、今度は自動チェックイン機が見当たらないという事態に。
入り口の所のインフォメーションに尋ねると「さぁ〜、どこでしょうか……あの団体の辺りに行ってみればわかるのでは?」
と指をさしながら言われて、ちょっとだけ口が開きました。
とはいえ、色々言ってもいられないので、お礼を言って団体の側に行ってみると、その人垣に紛れたように、ちょっと想像を超えた場所にあったので、福岡や羽田のチェックイン機を思い出し、恐るべし、成田空港……と思ったんでした。
しかもチェックイン機に入力すると、チケットは発券口から出てきているのに、モニターには「発券できません」と表示されて、どっちじゃーっっっ! とパニクっていると、すぐ後ろの係員さんが「お客様、これで大丈夫です」と言ってくれたので、何とかそこもクリアとなりました。
それにしても、心臓に悪い……。
荷物を預けるため、順番を待ってカウンターに行き、スーツケースを計りに乗せると9Kgと表示されました。
係の人が「それも」と指差すので、肩に掛けているバッグもなんだ……とスーツケースの上に乗せると、何と13Kg。
私、4Kgも肩に掛けておりました。驚き。
保安検査場も無事に通り抜け、その先でお土産を買い、ざっくりと「←国内線」「国際線→」とデカデカと書いてある壁の「←国内線」に沿って歩き、ようやくゲートラウンジに到着しました。
けれど、大きなガラスの壁から、飛行機らしき物が見えない。
んん???と思ってガラスの壁に近づくと、いました!
小さくて可愛い飛行機が。
しかも、小学生の時以来のタラップでの搭乗。
実はLCCは初めて乗ったのですが、確かに狭いし音がなかなか賑やか。
でも、私的には大して気にはなりませんでした。
私の隣は、まだ就学前くらいの小さな男の子とお母さんでした。
「当機は間もなく離陸します」と言われて、思いの外長い滑走時間に、男の子が「……飛ばないねぇ?」とお母さんに聞いていたのが、ちょっと可笑しかった。
このまま、目的地まで滑走のままで到着するんじゃないかって位走って、無事空に飛び立った時は、男の子は既に飽きていて「飛んだね」と何とも薄い反応に、また笑ってしまいました。
到着は佐賀国際空港です。
旦那と長男が、ドライブがてら福岡から迎えに来てくれました。
ロビーのソファーに座っていると、そこに二人がやってきて、長男が満面の笑みで迎えてくれました。
その瞬間、なんだか報われた気がして、力が抜けました。
長男の笑顔にまた会えたことが、本当に嬉しくて、長男をずっと守ってくれていた旦那にも、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
久しぶりの我が家は、やはり落ち着きました。
思ったほど散らかってもなく、旦那の頑張りがよく伝わりました。
実は私が病院で最初に次男の姿を見た時、この姿は旦那にも長男にも、しばらくの間は見せられないと思いました。
多分、ショックを受けるだろうと思ったから。
ビデオ電話ではなく、電話の声だけで状況を話したのですが、やはりそれだけでも、旦那は眠れなかったそうです。
案の定でした。
退院してから、やっとビデオ電話をしましたが、その時の長男の嬉しそうな顔は忘れられません。
兄弟で、何度も何度も手を振っていました。
東京に行くにあたって、私は支援基幹センターに、もしもの時は長男をお願いしますと言って上京しました。
次男が高熱と呼吸困難に見舞われていた時、実は旦那は、イザとなった時は自分も東京に行くことを考えていたそうです。
でも、東京に行くために、長男をどこか施設に緊急で預けることは、一切考えなかったらしいのです。
長男と一緒に行くためには、飛行機ではリスクが高いと思い、本気で二人で車で来ようと思っていたというのです。
そのために、ルートや駐車場も検索していたと。
そうでした。うちはそうやって、いつも一緒にいることの方を選んで来ました。
そして、今度は夏休み、次男の帰りを待つ番です。
9月の2週間ほどの間、また家族が揃うことができます。
そうして私はまた、日常に戻り、今日に至っています。