ここのところのコロナ騒動で、ずっと整形外科に行けてなかったのだけれど、今日久しぶりに行ってきました。
なんせ整形外科というところは、待合室には私よりも人生経験の長い諸先輩方が多いわけで、万が一を考えて、やはり自分としても通院も自粛せざる得ませんでした。
なぜ整形外科かと言いますと、両手の親指関節が炎症を起こしてまして、日常生活にも支障をきたしていたわけです。
長年長男と対峙していく中で、長男の命を守るためには、渾身の力で戦う場面も数知れずでした。
交通量の多い道路で、パニックを起こして寝転んでしまったのを、力ずくで道路から剥がしてその場を離れたり、暴れて破壊や自傷をする長男を、大怪我しないように持てる力を振り絞って全身で止めに入ったり、その時の握力は、私の通常の握力数値24からは遠く離れた、怪力の域に達していたと思います。
そんなことを何年もやっていたので、そりゃ〜関節の骨がズルズルと削れてしまうわけで、そんなこんなで炎症を起こして、両手とも使い物にならんようになってしまったんでした。
ただ、ありがたいことにピアノは弾けたので、音楽の仕事にはさほど影響はありませんでした。
でも、影響が来たのは、かれこれ4年間務めた放課後等デイサービスでの勤務です。
ここには元気な子供達がいっぱいいて、私の性格上本気で彼らと遊んでしまいますから、無意識で彼らを受け止めようとして、手が耐えきれずに怪我をさせてしまうのではないかという考えに及び始めました。
実際に若い職員たちには気を遣わせていたであろうし、そろそろ潮時だと考え始めた頃に、このコロナ騒動になったわけです。
在宅が増えたとともに、収入も手も体力ももうあかん・・・と思い切って退職を願い出ました。
6月からはプータローだな、さて、収入源を増やすために、少しライティングの仕事を増やすか・・・そう思っていたところに、思いがけないお話をいただきまして・・・。
私、実は先日、また一つ年をとったわけです。
放課後等デイサービスでは、中学生のダウンちゃんが私に
「おばあちゃん先生♪」
と呼んできて、それを私が
「なんやとぉ〜???」
と言って2人で笑うのがお決まりでした。
高校生の女の子が私に飴玉をくれて
「先生、長生きしてください」
と言ってきたのには、嬉しくもありおかしくもあり・・・。
そんなお年頃の私になったわけだし、もうこの先は正直長くはないと実感するわけです。
もしかしたら、家族に障害者がいなかったらそこまでの思いには至らないのかも知れません。
けれど、重い障害を持った息子を残して死ななければならない身としては、やはりもう、時間はないと思うことが常になってしまったわけです。
そんな思いから勉強会を立ち上げて、親亡き後を考える会を設立しました。
この会には多くの共感者、賛同者が入ってくださって、助けていただけるようになり、問い合わせも遠いところからも頂くようになりました。
その会で仲間になった人たちが沢山いて、その中の勉強会の後援をして下さっている方が法人を立ち上げられたので、勉強会もその中に入れ込んでもらうことになりました。
今後、どのようにこの仲間たちと活動していくのか、今やweb会議と言ったら・・・のzoomで会議を重ねているところです。
さて、長くなりましたが、その思いがけないお話ですが、そんなこんなでプーになった私のことを知って、その法人を立ち上げた代表が、法人で働くことを提案して下さったんです。
もちろんお手伝いはするつもりでしたし、入れ込んでもらった勉強会は私が主催のままなので、さらに活動しなければならないことが増えるのは承知でした。
けれど時給提示されたので、さすがにその時には、はい?働かせていただけるんで?
となった次第です。
なんということでしょう〜。
かくして、5月31日付けで退職した翌日には、再就職を果たすことになったわけです。
うそやん・・・(驚)
おばあちゃん先生は、超ラッキーおばあちゃんであります!
そして、整形外科の話になります。
ここまで来るのに話が長かった💧
再就職を果たしたその日の夜中、長男は突然むくりと起き上がって走り出したのでした。
そんなこと昔からしょっちゅうなので、全然慌てない私なのです。
今は随分楽になったけれど、昔はよく長男は夜中に脱走していなくなっていたのです。
だから長男が例えばトイレで起き上がっても、今も私は目が覚めて長男と一緒に起き上がるんです。
昔、姑さんが入院して病院に泊まった時も、看護師さんが見回りに来るたびにガバッと起き上がっていたので、看護師さんも驚かれていました。
体がそう慣れてしまってるんですね。部屋の空気が動くとそうなるんです。
自分でも驚きです。
さて、そんな私なので、走り出した長男に気付いて起き上がり、多分無意識に長男を止めようと思わず手を伸ばしたんでしょう。
そんで、私の手から、すごくいい音がしました。
バキッと。
でもとりあえず長男は止めなければならないので、おいおいと長男を止めて私も布団に戻ったものの、どうやら指が曲がっちゃいけない方向に曲がった感じで、さすがに痛かったので、保冷剤で冷やしつつこの日は寝ました。
翌日見ると、なんとなく突き指的な指のビジュアル。まるっと腫れてました。
でも思ったほどの痛みでもないし、どうしようかなとも思いましたが、突き指も変に固まったらいかんなと、久しぶりに整形外科に行くことにしました。
そして、レントゲンにそれは写ってました。
骨がペリッと・・・剥がれてました。
いやぁ、舐めてました。
全治3ヶ月って所らしいですが、装具を作って頂いたので暫くは固定生活です。
でも、その昔の長男脱走事件の時の話。
追いかける際に階段の角にスネをブツけて、かなりの激痛でしたが長男を逃すわけにはいかず、精神力を振り絞って追いかけたことがありました。
その時に負傷したスネは、肉が陥没するほどでしたが、当時は長男も学校は長期休みで、私は病院にも行けずに怪我は放置、今も痕はありますが、お肉が盛り上がって来るまでに3年ほどかかりました。
なら、3ヶ月は軽傷ですな。
知り合いには、知らん間に3箇所も骨を自分で繋げたツワモノもいるし。
(レントゲン見て本人も驚いたらしい)
ちなみに装具を作ってくれた、聞くところによると長男の一つ年上らしい療法士さんが言われるには
「ポキッとかいい音がした時は、絶対に何かが起こっているわけですから、すぐに病院に来てくださいね!」
昔はそれが難しかったから、慣れてるというと語弊があるけれど、いまだに病院に行くのは後回しにしちゃうんです。
でも、JKにも言われたわけだし、長生きしなきゃだから、今後はそうします。