宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

長男、うっかり「はい。」と答える

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最近の長男は、ますます宇宙語も忘れて簡素化された言葉の音しか語りません。

それでも、あいも変わらずの感情の入った「あ」と「わ」の羅列。

 

いろんな人に怒られそうだな。

 

今はそれで忖度して、なんとなくその意味を理解してくれる人がいるから大丈夫だけど、一人になったらどうするの?

 

これから親元を離れることがあったら、言葉が通じないから「このツールを使いなさい」「この学問を習得しなさい」「親がしっかりしなさい」!

 

と言われそう(経験済み)。

 

あなたの育てかたが悪い!は聞き飽きるほど聞いてきたけど、そこはもう、一生言われることは覚悟しております。

いろんなツールは失敗しました。

いろんな学問も息子の前では無力でした。

いや、それも親次第でしょ。

はい、その通りかもしれません。

 

息子の小さい頃、有名な先生から「あなたがこんな風に育てたんですよ!」

と言われて、精神的に辛かった時もあったけど、今は

「はいっ。わたしが育てました!」

と答えます。

なんというか......わたしが習得したのは、いや獲得したのは厚い面の皮だけかもしれません。

 

こんな仕方ない親なので、できることは「あ」でも「わ」でもわかってくれる人たちを、いっぱい長男の周りに集めること。

それしかできない親で、本当にすみません。

 

あ、でも、いま長男の周りにいてくれる人たちは『スペシャル!』な人たちばかりですよ。
それが自慢です!

 

ところで、わたしが東京に行って家に居なかった2ヶ月の間で、旦那が長男に「紙ください!」を「あっあっあっあっあっ!」と言うように仕込んでいて「またこれが可愛すぎてたまらんから、ついつい紙をあげてしまうんだよ〜」とのたまった。

 

紙を破るのは、暇な時間に長男が行う精神安定の行動で、1日あげる紙の量はだいたい決めているのにも関わらず、可愛い!と与えてしまってたんじゃぁ、本末転倒やないかい?旦那よ。

 

そうは言いながらも、長男はわたしにも言ってきた。

「あっあっあっあっあっ!」

くそぉぉぉぉぉ......と思いながらも、ついつい紙を持ってきてしまったわたしに、旦那がニヤニヤと

「ほれ、たまらんやろう?」と。

めちゃ敗北感。

それに対して、長男の超微笑がえし

これも仕込んだのかと言うと、それは違うらしい。

 

長男は確信犯。

可愛いと思ってもらえるツボを知っているに違いない。

う〜ん、おそるべし。

 

というわけで、紙をあまりにも要求するときは、これまたついつい一緒に、別のことで遊んでしまいます。

 

「ひろりん!はいっ!!」

と言ってわたしが挙手すると、長男はそれに合わせて(つられて)

「わっ」

と答えます。

長男はわたしを呼んではくれないので、わたしは自分で自分を

「お母さん、はいっ!」

と言って挙手するのですが、それも付き合って「わっ!」と手を上げてくれます。

 

で、先日。

なんの前触れなしにわたしが突然「ひろりん!はいっ!」

と挙手すると、長男は

「はいっ!」と...............。

 

ん?今言ったよね?「はい」って!

 

ちょっと興奮したわたしの「はいっ!」の連呼に、その後の長男は「わっ!」としか返しませんでした。

はい。わたしのやりすぎでした(泣)

 

多分、長男はうっかり言ってしまったんですね。

「はい。」って。

 

そういえば、まだ赤ちゃんでハイハイしていた頃。

どうも後ろでペタペタと音がして、不思議で振り向くと長男が四つん這いでそこにいました。

ハイハイにしては、なんかいつもと音が違う、と違和感を覚えてしまいました。

それからまた、しばらくしてペタペタと。

振り向くと、やはり四つん這いの長男。

そして、またまたペタペタと。

 

振り向くと......長男は慌てて四つん這いになりました。

 

その音 ......。

いつから歩くようになってたんか〜い!!!

 

実話です。

 

長男は、何かができた最初をなかなか見せてくれません。

しかも、大人が必死で教えてもできなくて、いつできるようになるの??となっていることも、ある日突然大人は目撃するのです。

 

いつからできてたん!?

 

しかも大人が諦めた頃に。

驚愕している大人を横目で見ながら「何か?」とやって見せるのが、長男スタイル。

 

教えたから覚えたんだろうけれど(と信じたい)できた瞬間を周りに見せないという、なんとも摩訶不思議なことをやってのけるのです。

 

それで旦那とわたしは、よくヒソヒソと「本当はしゃべれるんでないの?」と噂をしています。

今回はそれで、急に言われてうっかり「はい。」と言ってしまったのだと。

 

こんな馬鹿馬鹿しいと思えるようなことも、長男との暮らしの中ではふんだんにあるんです。

けれど、だからと言って「あ」と「わ」を改めようと努力することはしない親です。

あぁ、やっぱり怒られる。

この「あ」も「わ」も、旦那もわたしも好きだからどうしようもない。

感情のこもった「あ」と「わ」は、今日も使いこなされています。

 

ただ、当然ではありますが......

次の(うっかり)も狙っていたりするわけです。

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注射針の壁はとうに越していたという話

まるまるのスズメたちがすごいです。

まるまる・・・ちょっとつついて遊んでみたくなるくらいに可愛いまるまるです。

 

暖冬の九州と言われていますが、ちゃんと鳥たちは冬仕様。

そしてわたしもまるまると・・・いやいや、服がですね、服がですよ!(汗)

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わたしがスズメたちを指差して「まるまるだよ!見て見て〜!」と言ってみても、全く興味を示さない長男。

 

長男の方はというと、スズメよりも自分の頭を指さして「あっあっ!」と私に訴えてくることが増えました。

ただね、最近「あっあっ!」の口の端がみょ〜に上がってて、にやけているように見えるんですけど・・・う〜ん、怪しい・・・。

 

細かい発作の嵐か、はたまた頭痛か、それとも・・・わたし、なんか試されてる?

目を見開いて薄らニヤリの長男を見つつも、何だろう・・・この敗北感は。

 

そんなこんなで、近いうちに脳波を取ろうという話になっています。ただ脳波は小さい頃からハードルが高かった。

検査には時間が掛かりますが、その間に動いてしまうと、頭にくっつけた電極の線が外れて脳波は取れないので、じっとしていられない小さい子どもの間は、麻酔薬を飲んで静かになったところで電極の線を繋ぐというのが一般的。

 

けれど大人になって、睡眠薬を飲んでの検査とはあまり聞いた記憶がありません。

長男は子どもの頃の検査でも睡眠薬は効く方じゃなかったし、大人になっての検査で「動くな」とは本来、難易度Eですぜ。

 

世の中「動いたら検査できません」が多過ぎて頭痛い。

 

そういえば3才になったばかりの頃に、大学病院で初MRIを取った時もそう。

「動いたら検査できません」ってんで、説明の後、先生が甘い味の睡眠薬を息子に飲ませて長男が眠るのを待ちました。

けれどそれから30分経っても、ヒャハハと笑いながら病院の廊下を走り回るアクティブさ。

先生が苦笑いしながら「もうちょっとだけ薬増やそうね」と追加を持ってきて、その後ずっと眠るまでニコニコと待っててくれた。

記憶の彼方に、私たちは3時間以上そこにいたような・・・。

 

そんな過去もあり、睡眠薬の効きが悪くてアクティブな長男の、その後にも挑戦した脳波の検査なんて結果が知れてた。

「検査不可能」

はい。しょうがないっす。

 

それでも保育園生の時だったか、一度だけ、少しの時間ではあったけれど、ギリ脳波が取れたことがあって、やっぱりその時も先生も技師さんも眠るまで散々待ってくれたのでした。

そしてしばらく経って目を開けて、頭についている電極を勢いよくぶん投げたのを今でも覚えている母です。

まぁ、あんな機械付けられてたらねぇ・・・とは思うけど、検査なわけだし。

 

あ〜、すみません、すみません、と謝るわたしに、先生以下病院スタッフは優しくしてくれました。

結局、検査が終わったのは夜の7時を越してて、病院を出るときはスタッフ出入り口みたいなところから外に出た記憶が。

 

あの時の周りの対応が優しかったので、本人はもとよりわたしもトラウマにならずに済みました。

ありがたい話です。

 

ただ、おかげで今でもちょっと脳波検査にはハードルの高さは感じます。あの電極ぶん投げ事件が今も目の裏に焼きついていまして・・・。

 

で、下の写真はその時の脳の波形です。意味は・・・???

ただ、特段気になるところはナシ!という診断でした。

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そして現在ですが、実は挑戦はできそうな気がするんですね。

難易度Eなのに矛盾のようですが、それでも長男の成長ぶりを考慮すると、何だか今ならできそうな気がするんです。

「動いたらいけません」は酷だとは思いますが、でも、今なら。

 

親って、こんな不確かなことも信じたりして、しかも子どももそれを超えて行ってくれたりするんですね。

 

その現場に居合わせられたら、あ〜、親冥利に尽きる!なんて思ってしまうんです。(かなり外れてる気も……)

実は酷なことさせて我慢させているのにね。

親バカって、こんなことを言うのかも知れません。

 

さて、今回のお題、注射針についてですね。

やっと出てきたのか・・・と思うかも知れませんが、最近、人気を博した池井戸ドラマだって、毎回ストーリーが半分進んでからタイトルが出てきていたじゃないですか。

それにあやかり・・・

 

(以上言い訳)

 

実は息子のクリニックで、担当の先生とカウンセラーに常々、長男のこの頭指し問題について相談をしていたわけです。

 

発作や頭痛もさることながら、体調自体、本当のところどうなのか気になるよね?

などと話していて、そんなこんなで現在服薬している成分について血中濃度を調べたいし、他にも色々調べたいから、採血ができないかな?

でもね、注射針刺したことでトラウマ作りたくないし、難しいかな・・・と担当の先生からのお言葉。

 

「動いたら検査できません」

もとい「動いたら採血できません」・・・ここでも発動されるわけで。

 

長男側に立ってすごく考えてくれている先生は、う〜ん・・・と厳しめの顔をしていましたが

「いや、先生、今ならできると思います!」

とわたしは言い切ってしまいました。

 

えっ大丈夫!?と心配する先生をよそに、多分自信満々に(見える)わたし。

 

これこそ不確かなことです。

でも、今ならできると思ったんです。

 

確かに、小さい頃は注射針が腕に近ずくと奇声を発して、腕を引いて逃走体制に入ったものです。

あなたの育てかたが悪い!と散々怒った医師もいました。もちろん、理解ある医師もいました。

 

採血というと、注射針が刺さっている時間は以外にも長い。ワクチンや予防接種とはまた違います。

 

 

ところで、実は数年前に担当の先生から紹介してもらった外科で、これまた脳波と同じパターンで一度だけ採血に成功したことがありました。

その病院での先生と看護師さんの、長男の動く隙を与えない連携と針の刺し方は、それはそれは鮮やかで惚れ惚れするものでした。

 

でも、今回も成功するとは限りません。その時と場所も違うし雰囲気も違う。

それでも前向きに思える材料はもう一つありました。

 

通所施設では毎年、インフルエンザの予防接種を施設内でやってもらえるのです。

それに毎度、長男に付添う旦那の話によると、周りのみんなが泣き叫んで修羅場となり、地獄絵と化している最中を、長男は刺さっていく注射針を凝視して、微動だにせずに静かに終わらせている・・・と。

 

予防接種と採血は違う。

でも、不確か、不確か・・・という文字が頭の中で一周回って「確か」に変わった瞬間、今ならできる!と言葉に発していました。

 

とはいうものの、その日から採血までの2週間、絶対の自信があったわけではありません。でも、不安もそれほど強くもなく、なんとなく過ぎていきました。

 

そして当日、長男に針を刺すところをつついて、ここに針を刺すこと、血を取ること、終わったらジュースがご褒美に待っていることを伝えて、旦那とわたしと長男の三人でいざクリニックへ。

 

ジュースを先に買ってちらつかせ、終わったら飲もうと伝えると「あっ(はい!)」と返事。

看護師さんに「座ってしますか?横になってしますか?」と聞かれ、旦那が「横になっていいんじゃない?」の一言にすぐ反応した長男は、ベッドに自分で横になり、自ら腕を差し出しました。

 

おぉ〜!!

 

やっぱり注射の針が刺さる場面を凝視して、静かに静かに採血を受け入れた長男に、「壁は超えたー!」「いや、とうに超していたー!!」と確信した旦那とわたし。

 

採血が終わって、長男は何事もなかったかのように約束のジュースを要求。一気に飲み干しましたとさ。

 

う〜ん、また一つ成長を確認。長男、すごいよ!

いや、実はすごいのは、ご褒美のジュースだったのかも・・・(笑)

 

結果はまた後日、というわけで、長男と旦那は先にクリニックを後にしました。その後施設に向かい、長男はいつものように、わたし達が迎えに行くまで施設で過ごしました。

 

わたしはというと、その後にカウンセリングや担当の先生と話がまだ残っていたので、そのままクリニックにいました。

そして、先生が「よかった〜、採血できましたね!」とホッとした表情で話された後、ちょっとニッと笑って

「注射、好きなタイプかも」・・・と。

 

自閉ちゃんにはたまにいるんですよね。「注射好き」が。

 

小さい頃は大変だったけど、今回見ていて

「実は先生、わたしもちょっとだけ、そんな気がしたんです・・・」

 

と思ったのは内緒。

 

 

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ウイルスに始まりウイルスに終わった令和元年。そしてこれからは……

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令和が始まった日、わたしは東京の病院にいました。

次男の闘病という試練を、ただ見守るだけの情けない試練を与えられて、令和は静かに始まりました。

 

朝起きたらコインランドリーで洗濯して、買い物に行き、掃除して病院へ向かう。

次男と窓枠のスカイツリーに毎日会いに行き、めでたい始まりの新たな年号に、わたし達は先が見えない日々を過ごしました。

 

あの日々は、まだ遠くに行ってなどいない。

ついこの間だった様な気すらして、今はもう全然平気と言う次男を、まだまだ心配してしまうのは親の何ともどうしようもないところでしょう。

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けれど、そんな令和の最初の年が終わる頃、年が明けたら帰ると次男から連絡がありました。

長男に伝えるとニヤニヤと……かわいいヤツです。

 

そんな最中、間もなく令和も二年を目前にして、わたしは実に何年ぶりかでインフルエンザにかかったのでした。

久し振りにキツい数日間を過ごしたけれど、旦那も長男もウイルスには好かれなかった様で。

そうやって何とかウイルスも去り、正月も無事に迎えられました。

まぁ、まずは良かった良かった。

 

それにしても、我が家の令和元年は、次男のウイルスに始まり、私のウイルスで終わったのでした。

 

なんとまぁ、あまり病気に縁のなかった私たちは、令和の初めにキツい一発目がお見舞いされたことで、命と健康について考えさせられました。

それでも壁は超えたのは事実。

さて、令和の2年目はよき年になる予感です。

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そういえば、ドタバタな日々に、いつの間にか次男の初心者マークは必要なくなっていました。

いや、全く本当に気づかない内に……。

次男に聞くと「そうよ、マークは取れたよ」と。

う〜ん、ペーパードライバーよ、心して本当の1年間を数えたまへ……。

 

それにしても、日々は刻々と過ぎているのですね。

すっかり年寄の域で思いを馳せたりするわけです。

 

わたしにとっては今はまだ近しい次男の病気も、遠い昔になる日は、そのうちやって来るということでしょう。
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師走はさすがに寒く、スズメたちも体を丸くして寒さに耐えていました。

自然に暮らす生き物たちは、自力で寒さを凌いでいるんですね。

ますますインフルになった自分が情けなや。
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そうこうしている内に、世間は令和2年に突入。

 

あけました。

おめでとうございます。

 

車のリア席から見えた福岡タワーです。

外に出て狙って撮れなかったので残念。

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元旦の夜に、次男が帰ってきました。

家族揃って、令和の2年目スタートです。
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旦那の実家近くの神社に、まずはご挨拶。


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巫女さんたちも仕事終いでしょうか。

おつかれさまでした。

 

その後、わたしの実家へ。

長男と次男、そして二人の従兄弟である海洋系の学者をしている甥っ子、心理士の姪っ子と、従兄弟同士4人が集まりました。

 

中々忙しくて会えなかった4人は、私の父の死後、顔を合わせることも多くなりました。

これからも、こんな日が重なっていけばいいなと思うわけです。

 

そうして、令和2年のお正月も、時が過ぎていくと普段の日々へと移行していきました。

次男は帰京の飛行機のチケットが取れず、新幹線で東京へ。

前回の別れ際涙目だった長男も、イレギュラーながらの早朝の、家の中での兄弟の別れに、本人なりにちゃんと受け入れることができていました。

母よりも先に、もう弟は大丈夫だと認めているのかもしれません。

 

成長してるな。

子どもたちはね。

今年は、自分も育たないとな。

この年で、精神的に成長とは逆に難しい気もするけれど。

それに、贅肉…と言ったところで、もう洒落にもならん年になったから、そこはスルーで。

 

令和2年。

今年、我が家にとっても、みなさまにとっても、良き一年になります様に……(合掌)

 

「あ、それね、骨折れてるよ」に騒然!

 

おぉ!これは.......。

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外出先から帰ると、玄関門扉の上にモフモフの物体が......。

 

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あぁ、裏のお宅の住人さんですか。

あちらこちらで決闘を繰り広げている、血の気の多い裏の住人さんですが、最近なんだか大人しめです。

「やぁ、元気?」と聞くと

「にっ!」と答えてくれました。

 

さて、先日カモミールの会という、重い障害を抱える人たちを福祉の世界で支えている方達にお会いする機会を頂きました。

 

我が家からはちょっと遠かったのですが、当日は車が使えなかったので、電車に乗って現地へと向かうことにしました。

 

考えてみれば、東京にいた2ヶ月間は毎日地下鉄に乗っていました。

帰って来てからは、移動手段は主に車かバスとなっていたので、本当に久しぶりの電車でした。

しかもこの路線は8ヶ月ぶりくらいかな?

 

この鉄道会社の電車やバスは、時刻表や掲示板の表示が改良されて、大きな文字で情報も伝わりやすくなりました。

 

感音性難聴の友人が、ターミナルでバス発車の場所が変更になったことで、アナウンスが聞こえずに乗り損ねたことがあり、これでは困る人たちが自分以外にもたくさんいるはずだと、表示を見やすくして欲しいと直談判した成果です。

 

ありがたや。老眼の私にも分かりやすいよ。

グッジョブ!同級生!!

 

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会場に着いて、カモミールの会のメンバーさん達とお話をしていると、本当に、純粋に障害を持った人たちに寄り添いたいと考えている人達だと伝わりました。

こういう人達がいてくれることに、世の中捨てたもんじゃないなと、心底思えたりするわけです。

 

こんな出会いや体験から、重い障害を持った長男と暮らしていくための、勇気や力をもらえているんだとしみじみと感じるのです。

 

ところでその時、私の話した内容で、皆さん騒然となったのでした。

「えっ?えっ??病院は行ってないんですか??」

と、何度も聞かれたんですけどね。その内容は.......

 

それはまだ、長男が学齢期だった時のこと。

同じように重い障害をもった息子さんのいる友人と電話で話をしていました。

 

電話の数日前に、私の長男がパニックを起こして暴れてしまったこと。

格闘の最中に長男のかかとが、たまたま私のみぞおちにヒットしたこと。

それから呼吸するたびに、胸がきしんだように痛いこと。

 

いやぁ、不覚だった!

避けきれずに打撲しちゃったよ!

そう言う私に、その友人はさらりとひとこと言ったんです。

 

「あ、それね、骨折れてるよ」

 

さらりと、本当にさらりと言ってのけたのでした。

そこでふと思い出したのです。

 

彼女の息子さんも、うちと同じようにパニックを起こすと、なかなかに壮絶な時間を親子でやり過ごす羽目になるのです。

 

そうでした。

彼女は一度、足首が紫に鬱血して、なんとか時間を作って病院に行ったのでした。

当時は今のように放課後等デイサービスなどなかったので、母親の自由になる時間なんて、子供が学校に行っているほんの数時間だけ。

本当にたかかが知れています。

 

自分のために病院で何時間も使うのは、なかなかできない時代でした。

けれど、これはまずい、流石にこれで文句言う人はいないだろうと病院に行ったところ、幸いと骨は折れてはいなかったようです。

 

けれど、医師から衝撃の言葉が。

 

「過去に3ヶ所ほど、折れたところを自分でつなげていますね」

 

つまり、過去は折れていたのに我慢して病院には行かず、本人も折れているとは思わずにそのまま放置していたのです。

そのために自然治癒したあとが、しっかりその時のレントゲンに写し出されていたわけです。

 

ただ、これは足首付近のレントゲン写真。

もしかしてその他にも......いや、それは考えないでおこう。

 

そうやって、自分で過去3度ほど自分で骨をつなげてしまったレジェンドが、先輩として私に教えてくれたのです。

そして私も多分、1度とはいえ、レジェンドの仲間入りしたのではないかと推察されます。

 

けれど、この呼吸の度の痛みは、日常生活の中でいつの間にか忘れ去っていました。

もしかして今レントゲンを撮ったら、骨をつなげたあとが写し出されるかも知れません。

 

そんな話を、彼女と同じように、メンバーの人達にさらりと話しました。

すると、皆さん「えっ?えっ??病院は行ってないんですか??」

と、何度も私に聞きました。

 

皆さんが騒然となっている間、私はその懐かしい話を思い出して、へへへと笑いました。

 

そうやって、このステキな人達との出会いを果たし、帰宅した後にベランダで視界に入るお宅の裏庭に、見慣れた方がのんびりとしているのを見かけました。

 

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あぁ、あんたか......

そんな視線を送ってくるのは、今度はお隣さんでした。
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 骨も自然につながるけれど、痛みも自然と忘れるものです。

人間は、うまくできているものなんですね。

 

 

 

 

散髪屋さんに困ったら〜ゆっくりさんのヘアサロンサーチ

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前回の散髪屋さんで書いたように「散髪はどこに行くか問題」は、障害を持っている子ども達にとって、そして探す側の親にとって、とんでもなく大きな問題です。

特に、まだ学校に行っている年齢であれば尚更です。

 

hisakokk.hatenablog.com

 

ウチの長男がそうだったように、最近は施設に訪問して髪を切ってくれる理美容師さん達も増えています。

でも、見渡すと老人施設がほとんどで、障害者施設がちらほらという感じでしょうか。

 

子どもの場合、学校に訪問したり、子どもの施設に訪問してもらえる理美容師さんがいるというのは、ほとんど聞こえてきません。

 

障害を持った子ども達は、感覚が過敏だったり、じっとしているのが苦手で座っていられなかったり、動いてしまったりしてしまいがちです。

恐怖心も強く持つ傾向にあるので、怖くて逃げてしまったり、興味あるものがあったら手を出してしまって怒られてしまったり、泣いてしまったり.......。

 

本当に、何かしら色々やってしまうんですよね。

 

これが本人が人を困らせようと思ってやっているわけではないと理解してもらえると有難いんですが、なかなかそんな理美容室は見つかりません。

 

お願いするのも、いろんな問題を起こすとを考えてしまって、それができないまま、結局母自作のど素人カットになってしまったりします。

 

中には、頑張って連れて行ってみたけれど、美容師さんに怒られたり、周りの冷たい視線に耐えかねて、すっかりトラウマになってしまったお母さんもいます。

 

ウチの長男のように、同じ障害を持った子どものパパが美容師だったり、たまたま大決心して飛び込んだ理容室が、理解あるところだったらいいんですが、現実はなかなかそうはいかないものです。

 

ウチはラッキーだったということですね。

 

結局、誰もがありがちなのは、頑張ってお母さんが切ることですが、切るのが母なら、子どもは情け容赦なく動き回ってしまって、もぅ、お母さんはグランド10周を小刻みに、全速力ダッシュしているみたいなもんです。

 

一昔前ですが、障害を持っている年頃の女の子に、坊主頭の子はとても多く見かけました。

同じ年の女の子なら、おしゃれして髪も楽しむ頃です。

 

結局、連れていける美容室もないし、訪問理美容師なんていなかったし、家でバリカンで切ってしまうしかなかったのです。

切ないのですが、事実です。

中にはバリカンの音が苦手で、男の子でも長髪の子もいました。

 

けれど、それは昔のこと.....でもありません。今だって、見かけることはあるのです。

 

それくらい「散髪はどこに行くか問題」は深刻なのです。

 

けれど、もしかしたら、諦めないですむかもしれない......ということがわかったら、嬉しくないですか?

ちょっと、希望の光もさしてきそうな......♪

そんな子どもとお母さんのための、ヘアサロンのマッチングサイトのお知らせです。

 

このサイトを立ち上げた方は、発達障害の甥っ子さん、姪っ子さん、そして子ども達のお母さんが彼女の妹さんであることから、この「散髪はどこに行くか問題」の大きさに気づかれたのです。

 

こんな嬉しいサイトと、優しい理美容室があることを知って頂きたくて、ここにサイトを載せています。

 

お母さんたちが安心するだけでなく、子ども達の「髪を切る」という経験、子ども達と「髪を切ってくれる」人との交流が実現できること、さらには「髪を切ることでさえも悩んで、頑張っているお母さん達」のことを、もっともっと知ってもらえたら嬉しいです。

 

ゆっくり発達をしていく発達障害の子ども達を、ゆっくりさんと呼ぶ優しいサイトです。

 

www.yukkurisan.jp

 今後も、この活動は広がっていきます。

賛同される理美容師さん達が全国に増えていきますように。

そして、このサイトで人との出会いを果たせる子ども達が、これからもたくさん増えていきますように。

 

このサイトについては、私の別のブログサイト「てとてhttp://tetote-net.com/」でも近々紹介したいと思います。

 

 

長男と町の散髪屋さん

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長男の髪はすごく多い。

わたしと旦那のどちらに似ても、すごく多いしくせっ毛。

それでも、私たちの域を超えるほどの多さとくせの強さ。

 

小さい頃は、最初はわたしが長男の髪を切っていましたが、だんだんわたしも力量の限界を感じて、同じ就学前通所施設に通っていた男の子の、美容師のパパに切ってもらっていました。

 

けれど、今の地域に引っ越してきてから"散髪はどこに行くか問題"にさしかかり、云々考えてました。

 

そして、たどり着いた答えが、地域の理容室に連れて行ってみる、できるかどうか試して、無理だったらまた考える......というものでした。

 

町内にはいくつかの理容室と美容室がありますが、敢えて長男がよく脱走する時の通過点にある、年配のご夫婦が経営されている小さな理容室にお願いしてみました。

 

思惑としては、小さい理容室ならお客さんもたくさん部屋の中にはいないだろう、何かあっても、親がすぐ止められる範囲の部屋の広さだろう、地域の人なので、他の地域よりも解ってくれるのではないか......ということ。

 

そして、もし長男が家から脱走して走り去っていたら、声を掛けたり、教えてもらえるかもしれないということ。

地域に、一人でも解ってくれる人がいてくれたら......そんな思いからでした。

 

その理容室では、ご夫婦の奥さんが担当して下さいました。

ちゃんとどうすればいいか話を聞いて下さって、ドライヤーへのこだわりも理解していただき、何かあったら親が止めに入ることも承知して下さいました。

 

時々、旦那さんは自分の畑で採れたと野菜も下さいました。

 

長男はというと、毎回何事もなくそこで散髪ができていて、一度も問題になる行動を起こすこともありませんでした。

安心して任せている風で、この人たちは味方だと思っていたのだろうと思います。

 

そして昨日、いつものように旦那が長男を散髪に連れて行ってみると、なんと奥さんは入院中ということがわかりました。

 

肺癌だそうで、暫くは散髪のお仕事ができないとのこと。それを聞いて、わたしもショックでした。必ず治して、また長男の髪を切っていただきたいと、心から願います。

 

地域の中に、長男の味方になって下さる方達がいて、長男だけではなく、その方達も元気でいて欲しいと思った出来事でした。

 

結局、散髪に困った長男ですが、今通っている通所施設に来られる訪問理容の方が、長男のために施設に来て下さるそうで、本当に助かりました。

 

明後日切っていただけるそうです。

スッキリした後は、今月末に行われる、長男が楽しみにしている施設での少人数で行く一泊旅行です。

髪が多すぎて、シャンプーの時になかなか濡れない長男の髪を洗うのも、少しだけ楽になるかもしれません。

 

旅行まえに散髪が間に合って、本当によかった♪

長男はきっと、今日もカレンダーを指差して旅行の日を確認するでしょう。

 

その前に、カレンダーに"散髪"と書いて「髪を切るよ」と教えようと思います。

 

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たぶん、サギに遭っていると思われた話し

これはまだ、次男が急性期病院に入院していた時のお話。

 

いつものように理学療法士さんが病室にリハビリにやってきて、次男の足を持ち上げた瞬間に一言。

 

「あれ?底が上がったんじゃない?」

 

さすがプロ! 

最悪の状況を抜けたことを瞬時に正確に判断されて、その後すぐに検査、医師からも、これからは回復に向かうと告げられました。

 

それからは早かった。

若いし、やっと少し無理してもよくなったから、回復期病院にて本格的にリハビリしましょうと。

 

次男が入院している間、1日も欠かさず病院に通いました。毎日毎日、何をするわけでもなく、何ができるわけでもなく、それでも通い続ける以外、することがありませんでした。

 

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病院の10階から眺める景色は


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病院を出る頃はすっかりこんな風。


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大学が多いこの地区の地下鉄は、サラリーマンより学生たちの利用が多いので、遅い時間に地下に潜ると、誰もいないなんてこともありました。


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稀に、長い長い地下鉄のエスカレーターにも、誰も乗っていないなんてこともありました。

 

そうやって私が通った急性期の病院から、次男は離れることになったのですが、どちらかというとバタバタと決まったので、それから退院の準備に追われることになりました。


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退院まであと3日という日、支払いについて病院に聞くと、とりあえず治療費の見込み金額を明日、渡しますとのこと。

 

翌日病室に行くと、次男が蒼白な顔で1枚のメモを渡してきました。見るとその金額が書かれていて、覚悟はしていましたが、やはりすごい数字が書かれていました。

 

でも、高度医療であるし、部屋代が田舎ではありえない金額。納得せざる得ない金額と次男の申し訳ないの台詞に、命を助けてもらう治療に必要だったお金だから、これくらいは行くでしょ!と答えました。いや、実際そうも思いました。

 

ギランバレー症候群は近年になって、希少な病気でありながら臨床例がたくさん集まったことで、治療法が確立されて治る人が多くなった病気です。

 だから難病指定から外れて、特定疾患という扱いになったので、治療費の補助はなくなったそうです。つまり、全額負担ということです。保険を使っても、高額医療費を使っても、いろんな制度を駆使しても、やっぱり笑いしか出ないほどの高額であることには違いありません。

 

考えようによっては、治療が確立される前の、治療費補助が受けられた時代よりも、補助がなくても治る確率は高く、死亡率が下がった今の時代の方がずっといい!と思うわけです。

 

それに、病院には本当に良くしてもらったので当然のことです。

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というわけでその翌日、退院は明日......という日を迎えて、お金をかき集めて一旦郵便局に集約、それから見込み金額分を下ろしに行きました。

前日に看護師さんに聞いたら、明日あたり用意して頂けてたらいいと思います......と言われたので、そりゃぁ慌てて用意しちゃうわけです。

 

正直、カードが使えるはずだ、大きな大学病院だから、絶対使えるはずだ......と思いつつ、前日に「カード使えますか?」と聞くのを忘れてしまったので

「おしっ!確実な現金払いで行くぞっ!!」

と、妙なテンションになってしまっていました。

 

郵便局に行くと、申し込みの紙に引き出し金額を記入して、窓口に出ました。すると、郵便局員さんは少し慌てた様子で、窓口の中でも一番端っこの方に私を呼びました。

 

局員さん「あの、何に使われます?」

私「病院代です。息子が入院してまして......」

局員さん「え?あの、どこの病院ですか?」

私「日本医科大です」

局員さん「失礼ですが、あの......すごい大金ですが、大変な病気だったんですか?」

私「はい、ギランバレー症候群です。退院なので、とりあえず支払いを病院でしてきます」

局員さん「あぁ、病院に......そうだったんですか。大変でしたね。少々お待ちください」

 

郵便局員さんは、現金を用意して私の目の前で袋に入れてくれました。そしてそれを私に手渡すと

 

局員さん「ひったくりとか結構ありますから、バックに入れてしっかり持って下さいね」

私「はい!わかりました」

局員さん「大金ですから、しっかり持って下さいね」

私「はい!わかりました」

局員さん「いや、本当にひったくり、多いんですよ。気をつけて下さいね」

私「はい!わかりました」

 

余程頼りなく見えたのでしょうか……。

多分、このくだりを5回くらいしたと思います。


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その時は、私自身も大金を下ろしているという、心なしかの緊張もあったかもしれなくて、この会話について特別なことを思うところは何もなく、親切な郵便局員さんとしか思わなかったのですが......

 

今時、治療費の、しかも高額医療費を現金で支払う人など、都会にはいないのかもしれません。それをわざわざ郵便局に下ろしに来たわけです。

正直、おばあちゃんには少し早いのですが、中年も通り越したくらいの年齢でもあります。

 

多分、サギにあってるんじゃないかと心配されたんだと......。だいぶ後になって気づきました......鈍っ。

 

息子の代理人が家に取りに来るとか、どこかで待ち合わせて誰かに渡すとかではなく、病院に直接と聞いて安心されたのでしょう。

 

それにしても、優しい郵便局員さんでした。退院ということは治ったんですね、と言われたので、転院しますと答えたら、大変ですね、親子で頑張って下さいね!と励まされました。

 

郵便局員さん、ほんの数分の間に、あれもこれもと心配してくださって、ありがとうございました!


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そしてその後、しっかりバックを持って、すご〜く周りに気をつけて、ちょっと緊張しながら病院に到着。支払いについて聞くと、退院当日(つまりさらに翌日)の正午くらいにお願いします!と言われた私。

え?じゃ、カード払いできますか?って今日聞けたじゃん!えぇ〜〜〜〜っっっ!

 

ということで、すごすごと大金をお持ち帰りした私。

翌日の転院の日。

しっかりバックを持って、すご〜く周りに気をつけて、ちょっと緊張しながら再びお金を持って行きました。

そしてバタバタと転院準備をして、お世話になったスタッフさんたちに挨拶を済ませ、次男が最後の昼食中にようやく、お支払いとあいなりました。

 

支払いは窓口でと思っていましたが、結構人がいたので、ここでなぜか訳の分からないチャレンジ精神が顔を出しました。

「人生初、病院で自動支払機!」

はい、田舎者ですから、それがどんなものか知りませんでした。

 

支払機の前に立つと、機械の案内に従って入力して「現金をお入れ下さい」と機械なのに流暢に言われて、ここでまた緊張してしまいました。

 

どこ? どこに入れるの??

と探すと、受け皿のようなものが。

「入れる」......じゃなくて「置く」じゃん!

と、これまた緊張時の謎の突っ込み思考が駆け巡る中、その皿に札束を乗せてみました。

 

すると分厚い札束が、たった3回の「カシャッ、カシャッ、カシャッ」という機械音とともに、あっという間に吸い込まれていき、それを私は唖然として見つめてしまいました。

 

と同時に、その横の細い穴から、診療明細が出るわ出るわ......私が慌ててアワアワとそれを落とさないように両手で受け止めていると、視界の片隅に見えたおじさんが、その紙の量を見て唖然と立ち尽くしていました。

 

今思い出しても、面白い光景だったろうなと、客観的に見たい現場だったなと思えるのは、今が完全に余裕のある状態になったからなのでしょうね。

 

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治療費の、二日間に渡る私のてんやわんやな支払い劇。

今となっては、なんであんなことしたんだろうとか、もっと効率よく動けばよかったのにとか、転院の決まり方が急だったから仕方なかったのかなとか、いろんなことを思い出したり反省したり。

 

次男のマンションと病院を、ただひたすら行ったり来たりするだけの日々でしたが、それでもいろんなドラマはあったんだと。

 

今にしてみれば、そう思うのであります......。

 


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