サプライズのない我が家で、長男31年目の誕生日。
ケーキを買って、誕生日の歌を歌って、おめでとうと拍手する。
31年間やってきた、たったこれだけの時間。
それでも、我が家にとっては大事な時間です。
大嵐の日に壮絶な時間を生き抜いて世に生まれたものの、一瞬天国に戻ってしまい、忘れ物を取りにいったのかと思いきや、言葉やいろんなものを神様にお返しして、そしてまた、この世に舞い戻ってきた長男。
お返ししたものは戻っては来なかったけれど、あれからそのまま生き抜いて、31年目を迎えることができました。
今年の誕生日当日、旦那はバンドの練習に行って1日不在。
そういえばあの嵐の誕生の日も、旦那はバンドで興行しておったのでした。
私と長男がカオスな中に生きるか死ぬかで戦っていた時、子供の頃から車酔いがひどかった旦那は、揺れまくる船の中で演奏するという別のカオスを味わっていたのでした。
そんなこんなで私と長男のカオスがひと区切りついた頃、旦那のカオスも終わりを告げ、夜も遅い時間であったため、旦那は長男誕生の様子を知らぬまま、翌朝の対面と相成りました。
正直旦那不在での初めての出産は不安だらけでした。
でもいざお産が始まるとそれどころではなくなり、無事に生まれてほしいとか元気で生まれてほしいとか、そんなことどうでもよいくらいに余裕もなく、ひたすらこれ、いつまで続くんじゃ〜〜〜という思いだけだったような気がします。
そもそも、そのカオスすらあまり覚えておらんのです。
なんせ、我ながら情けないことに気絶していたようでして。
今考えると、旦那にもし出産に立ち会ってもらっていたら、血が超苦手な旦那なので、こちらでもカオスだっただろうと思うわけです。
今となっては笑える話です。
裏返せば、出産も初体験となれば不安であっても仕方ないのです。
でも、これが二人目となると違ってました。
母は強いのですよ!(笑)
ちなみに次男出産の時は、旦那は付き添ってくれました。
ただ血が超苦手というところは克服しておらず、一緒に分娩室に入ることはできませんでした。
私自身も、その頃には旦那不在でもぜんぜんひとりで産んじゃうよっ!という感じの、すっかりお母ちゃんになていました。
なんてったって、既に大変な最重度自閉症の長男を4年も育てていて、臨月であろうが長男を追いかけまわし、長男を小脇に抱えて荷物を持って移動し、お腹の中の次男に常に
「しっかり子宮につかまって頑張ってついてくるんだよ!」
と言って聞かせていました。
次男はそれを頑張って守り、そして今があります。
出産の兆候があって夜中に病院に行き、15分もすると3分おきに陣痛が来始めました。
看護師さんが慌ただしく書類を持ってきて、記入事項を質問するので、答えるより書いた方がマシ!と思った私は、「ペン貸してください!」と驚愕の表情の看護師さんの隣で、陣痛と闘いながら自ら書類に記入をしました。
それから15分、つまり30分で次男は生まれてきました。
カオスどころか、夜中に叩き起こされてやってきた先生の目が土偶のように腫れていて、内心ウケるくらいの余裕もありました。
後で聞いたのですが、私のお産の真っ最中、旦那は心配で分娩室のドアにベタっと張り付いており、駆けつけた私の母は、無事に産まれるようにと般若心経を唱えだしたと。
今度こそ私が普通にお産をしている間に、ドアの向こうは長男の時とは違うカオスだったようで。
それにしても、産院でお経はやめてほしい・・・
まるで天国と地獄のような出産の経験でしたが、今もこの話は不謹慎かもしれませんが、笑って話すわけです。
ただ、笑い話にするには正直、少しの時間は必要でした。
長男の誕生の壮絶さは、しばらくは辛い記憶でしたし、追い打ちをかけたのは、長男と次男の間の子供がお腹の中で亡くなったことでした。
今も亡くなった子がいてくれたらと思うことはあります。
忘れたことはないし、でも兄弟を見守ってくれていると思っています。
日々の生活も、重い障害を抱えて生き辛いであろう長男と、その長男を幼いながらに支えようとする次男を育てながら、辛かったことも長い時間を経て、笑い飛ばそうとする力を子供達にもらったのだと思います。
長男が生まれて31年目。
旦那は夜、帰る途中でケーキを買って来てくれました。
長男もおっさんになりました(笑)
それでも、父と母にとっては可愛い可愛い息子です。
長男の通う事業所では、毎年誕生日に本人のリクエストに応えてのメニューが用意されます。
長男は話せないので、親が「うどん」か「いも天」と伝えていました。
それからずっと長男の誕生日には毎年、うどんといも天、両方を出してくれます。
しかも大好きなプリン付き!幸せだっただろうね。
今年は長男の誕生日が事業所の休みの日曜日にあたり、金曜日のお昼に出してお祝いしてくれました。
「よかったね!美味しかった?」と聞くと、満面の笑み。
お祝いをもらった長男、長男の笑顔をもらった旦那と私。
大きなサプライズはなくても、いろんな「おめでとう」が散りばめられた誕生日でした。
大嵐の31年前から命は繋がって、今日も生きています。
ちなみに、その3日前は結婚記念日でした。
毎年いつの間にか過ぎ去っている結婚記念日。
今年は珍しく旦那が覚えていました。私はというと、例年通り・・・記憶の彼方。
旦那が、せめてケーキくらい・・・と言ってシャトレーゼへ。
大きなアップルパイに惹かれて、ケーキと言いつつどうせ三日後もケーキだし、パイも良いではないか〜ということで購入。
食後に長男がイソイソと食べる準備を手伝ってくれました。
「これじゃただの食後のデザートじゃん!」と突っ込みながらの穏やかな32年目。
さて、来年のこの日は覚えているのだろうか・・・。
そして、食後のデザートにありつけるのだろうか。(自信ない・・・)