宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

今更だけど、なぜこのブログを立ち上げたかという理由を言わせて下さい。

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何を今更な話しですが、備忘録ということもあるけれど、もう少し違う理由もあって、やっぱり言っちゃいたくなりました。

 

そもそも障害を持った子供と、その家族の奮戦記のブログはいっぱいあるし、私のブログなんかより遥かにいい記事ばかり。

 

実際、私のこのブログは弱小ブログでアクセスも少ないし、最近やっと1日に50アクセスを超えるようになって、たまに100を超える位。

1万PVとか、なにそれ? 的な、全く想像のつかない雲の上のことです(笑)

 

文章の先生達はだれもが、人に共感を持ってもらえる役に立つコンテンツを書くように! と話されるけれど、このブログはただただ

 

わかってほしい

 

という、独りよがりな理由しかありません。

 

障害者がいることが大変とか、障害の特性を解ってほしいとかそんなことではなく、わかってほしいことは、

 

障害者のいる家庭は

大変で不幸というのは思い込みです

 

ということ。

 

出生前診断で障害が判ると、9割がその子との出会いを諦めるという事実。

なぜ諦めるのか、それは正直すぐに想像できることなんだろうとは思う。

育てることが不安だという理由も分る。

 

なぜ不安なのか、なぜ大変で不幸と思い込むのか……。

 

不幸とは、実はその障害者自身が作るのではなく、その家族を取り巻く人々が作るもの。

さらにその家族を幸福にするのも、取り巻く人々が大きく関係している。

 

けれど、案外それを誰も気付いていない。

 

そういえば、次男が書いた人権の作文にあった一文が秀逸だった。

 

 

「大丈夫、みんなで育てよう! とだれもが言えたら、どんな赤ちゃんも生まれてくることができる」

 

 

こんな環境で生まれて来れたら、本当にどんな赤ちゃんでも幸せに育つだろうな。

 

 

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けれど実際は、例えば24時間テレビみたいに涙と感動の場面があって、TV見ながら涙を流し、素晴らしいと言いつつも、でも、こんな子供は家にいたら困るよね……なんて言われていることもあるだろう。

 

それに、このブログはきれいごとと思われているかも知れない。

もっと大変だろう、もっと困っているだろうと思われるかも知れない。

 

でも、これが本当の日常です。

長男がいない方が幸せだなんて、このブログを読んでも思う人はいるのだろうか。

 

確かに大変なことはいっぱいある。

パニックに付き合う時はこちらも覚悟がいる。

小さい頃は脱走の常習犯だったし、他害も自傷も破壊もあった。

 

トイレのトレーニングもバカみたいに長い間やってきたし、色んなことを教えるのに、長男は次男の何倍もの時間が掛かった。

 

でも、それを不幸とは思わなかったし、教える工夫に凝ってみたり、考える時間も案外楽しかったりした。

 

子供と向き合うということは、健常と言われる子供に接することと、何も変わらないと教えてくれたのが次男だった。

長男のために考えたことや作ったツールは、しっかりと次男にも役に立ったし、トイレだって、信号の見方だって、教えることに関しては二人の間に何ら違いはなかった。

 

私は実際、二人の子供と出会えたことを本当に感謝しているし、来世でも会いたいと思う。

 

けれど「来世でも会いたい」と言うと、ほとんどギョッとされたり、凄いね、偉いねと欲しくもない言葉が返ってくる。

 

実際、妊娠に気付かずに風邪薬を飲んで、障害児が生まれるからと周りに説得されて子供を諦めたという人も何人か知っているし、肢体に障害を持って生まれた赤ちゃんが、生きるために頑張っている時に、その親戚が言った一言は

「どうせ障害が残るんだから、生きていても仕方がない」

という言葉だった。

赤ちゃんが亡くなった時も「良かった」と、ほっとしていたのを見て、怒りは湧かずに、ただひたすらに悲しかったことを覚えている。

 

それに私はこうも言いたい。

 

ダウンちゃんと会うことを諦めた人は、すごく損をしています。

なぜダウンちゃんが天使だと言われているのか、それは出会いを果たして、一緒に過ごさなければ解りません。

チャンスを逃して、本当に本当に、すごく損をしています!

 

でも、これもきれいごとと思われてしまうのでしょう。

 

けれど、障害者がいなくても生活が困難な家庭なんてごまんとあるし、健常な子供だって、悲しいかな恥だと思われている子だっている。

障害でパニックで壁に穴開けたって話しもあれば、健常と言われていても思春期に壁に穴開ける子だっているわけだしね。

 

障害者がいない世の中になったら、みんな幸せな人しかいなくなるって、誰が言えるの?

 

少なくとも我が家は

不幸じゃないし、案外世間に馴染んで暮らしていますよ。

 

 

 

読んで下さって、有難うございました。

 

 

 

次男の帰省(11日間の家族日和)その4〜それから帰京まで

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9月6日

 

次男、いつも帰省は誰にも言わずに帰ってくるようだけれど、どこからかやはり情報とは漏れるもの(笑)

「捕まったので夜は友達と会ってきます」

 

結構なことですよ。父も母も、もうこの年になると友達にもなかなか会えない。

買える時に買う! 食べられる時に食べる! 会える時に会う!

旦那はよく、そう言っている。

その通りだと思う。

 

次男から後で聞いた話。

みんなで飲みに行ったんだけど、その中の友達の彼女がバイトしている、おしゃれなお店に行ったらしい。

おしゃれな雰囲気を味わいながら、さらに美味しいワインをいただけるお店だとか。

 

しかし、メニューを広げたところで発覚したらしいのだが、全員がワインが苦手だった。

何しに行ったんかい?(笑)

 

 

9月7日

 

私は仕事に出掛けた。

次男、この日は旦那が主催する映像の講座に潜入!

と言っても、超少人数でみっちり勉強会。

そこに若いママさん達もいて、やたら『カワイイ!』とちやほやされたらしい。

 

そう言えば、次男は小さい頃から大学に入るちょっと前まで、人から「お母さんキラー」と呼ばれていた。

なんでや?(実母の私、理解不能

 

 

9月8日

 

久し振りに、友達と野球観戦に出掛けた次男。

この日は大量点で大勝利の日だったから、見てて気持ちよかったろう。

 

で、私こんなことを思い出す・・・

次男は小学校の時はソフトボール、中学高校と野球部だった。

ソフトボールでは最初なかなかポジションも決まらず、そのままずっと補欠かと思っていたけど、監督からキャッチャーをやってみないかと言われて、何とそれが当たった。

 

それからずっとキャッチャーだった。

野球教室からスカウトも来た。

イップスにもなったが、なんと自力で立ち直った。

小学校でも、中学校でも、強豪校にのし上がっていき、無名だった中学校が13連勝を納め、県大会の決勝のジャッジミスで優勝を逃した。

そのジヤッジミスの瞬間を、旦那がカメラに納めている。

 

高校では監督との相性が合わなかった。

仲間達に「誰よりも理不尽な仕打ちをされ続けていた」と、いまだ言われているそうだ。

顔面に鍵を投げつけられ、ケガをしてそれが膿んで大変だった時、その頃から少し精神的にまずい状態になった。

けれど、仲間達が良かった。

チームプレイだから抗議することも出来なかった。

 

それでもイップスも乗り越えた子だから、結果それも乗り越えた。

最後まで酷い対応をされたが、次男が学んだこと、それは

 

「あんな指導をするような大人に、自分がならなければそれでいい」

 

この日観戦した試合は、何も考えずに楽しめたようだ。

高校野球で地獄を見た次男が言う。

「野球は楽しいスポーツなんだよ!」

 

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9月9日

 

自動車保険の切り替えに行くぞ〜」

ってことで、久々の4人揃ってのディーラー訪問。

長男ご満悦。

次男、溶けている・・・。

のんびりし過ぎでしょう(笑)

いつ来ても、いいディーラーさんです。感謝。

 

障害者のいる家族にも優しいデーラーさんのお話はこちら

 

hisakokk.hatenablog.com

 

 

9月10日

 

実は次男、夏休みを利用して自動車学校に行ったんだけど、今は大学の生協が自動車学校の案内もしてくれるようで・・・。

時代は変わったな・・・(笑)

 

ということで、地元にて本試験に挑んで来た。

「写真が酷い!」

とLINEが来たので、合格だとすぐ理解して

「母の(写真)は すなかけばばあだよ

と返しておいた。

 

この日の夜、かなり遅れての次男の誕生日ケーキを食べた。

ロウソクの火は、やっぱり長男が吹き消した。

次男は笑っていた。

 

9月11日(帰京)

 

次男の帰京の日は、必ずやるルーティンがある。

それをしないと、次男がまた家に帰ってくると思って長男が待ってしまう。

言葉だけで「弟は東京に行ったよ。」と言っても納得しない。

カレンダーの前に私を連れて行き、弟はいつ帰るのかと散々全ての日にちを指さしながら聞いてくる。

それが本当にしつこい位に、何度も何度も。

 

長男に愛されてるね、次男君。

 

それを避けるために、何より次男の帰京を納得して、ゆったりと待てるように、今回もそのルーティンをすることにした。

 

その前に、取り敢えず長男を朝施設に送り届け、その後、親子三人で買い物をする。

イヤホンが壊れているということで、ビックカメラにも寄った。

そこで試聴しまくる次男。

時間が掛かりそうなので、私と旦那、その側にあるエレピの試弾を始めた。

 

どの鍵盤がしっくり来るかとか、音の感じとか試しながら、遂には二人並んで2台のエレピで即興のセッションを始めた。

目立たないように小さな音で弾いて、時々お客さんや店員さんが振り返っていたけど、買うのはイヤホンです(笑)

 

買い物も済んで時間が来ると、三人で施設まで長男のお迎えに行った。

帰宅すると、長男の目の前で次男が帰り支度を始める。

そして、次男は東京に行くよと伝えて空港へ向かった。

 

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空港で家族4人食事をして一息ついたら、4人でゲートに向かった。

そこでいつものように兄弟、ちょっとだけギュッとして、弟は手を振ってゲートの中に入っていった。

 

それをじっと見る長男。

後ろ髪を引かれるようにして先に進む次男。

 

この瞬間に、長男は理解して、納得しているように思う。

この瞬間がなければ、また長男は次男の帰宅を明日も待つだろう。

 

11日間、長男は4人分の食器を用意してくれていた。

そして、翌日用意してくれた食器は3人分だった。

 

次男の帰省シリーズは、これでおしまい。

 

次男の帰省(11日間の家族日和)その3「北浦街道ほうほく」からの「川棚温泉」

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灯台をあとにして、のどが渇いたという父息子の願いを叶えるために、

道の駅「北浦街道ほうほく」

立ち寄った。

そこのキャラクター、ほっくんがみょうにカワイイ。

ほっくん誕生(デザインモチーフ)については奥が深いので、見てみたい方は

ココをクリック↓

 http://www.hokkun.jp/profile.html

 

さて、店内に入ってみようとすると、長男が道の駅出入り口の手前で捕われ状態。

「あー!あー!」

とソフトクリームのオブジェに釘付け。

あぁ、はいはい、そうでしょそうでしょ、そりゃ捕われるよね・・・

と4人分購入。

そして、ますますのどが渇くという連鎖にはまる。

 

今度こそと自販機に向かっていると、なぜか私以外の三人が甘栗屋さんで捕まった。

試食の栗をもらって、それを食べた旦那と次男がさらに

「あーーーっっっ、唾液が取られる!」

と悶絶していた。

 

そこの三人、それは私が甘栗が大好きと知っていてのろうぜきかっ!

 

さて、ようやく自販機にたどり着いて、のどの乾きを潤すということを、やっとやっと叶えたのでした。

そもそも、道の駅に着いたら先に飲めばいいって話しなだけですよ(笑)

でも旦那はこういう時、よくこう言う。

成り行き!

 

あぁ、この旅そのものだ(笑)

 

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さて、お土産も買ったし、喉も潤したので、旅の終盤はどう過ごしましょう。

ちなみに旦那は、連日ほぼ徹夜の仕事明けなので「お父さんエネルギー」が切れる前に帰宅すべきだな・・・とは思っていた。

 

道の駅をあとに、再び気ままに車を走らせる。

旦那がナビを指さして、この辺り! と言う。

この辺りのどれ? と聞く。

ナビとスマホで情報収集しながら車を走らせ「ここ、よくない?」と車を停めた。

 

停めた場所は温泉施設の駐車場。

スマホで調べると口コミは結構いいし、ここに決定!

というわけで訪れたのは

 

川棚温泉元湯 ぴーすふる青竜泉」

 

川棚温泉というと、九州では結構CMが流れている温泉宿が有名だけど、その大きな温泉宿の近くにある小さな温泉施設。

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何も用意していない完全ビジターなので、ロビーでタオルとシャンブー、コンディショナー、ボディーソープなどを購入し、いざ入浴へ!

脱衣所に入ると、そこは下関の川棚という町の、小さなコミュニティーの場所だった。

 

脱衣所のロッカーは誰も使っていないし、みんな棚の籠に着替えもバックも置きっ放し。

風呂場では湯船周りのシャワーひとつごとに、利用者さん達のお風呂セットがひとつずつ置かれている状態。

シャワーの場所はあいているのに、まるで場所取りしているかのような。

 

どうしようと思ったけど、仕方ないので、あいてるってことで知らん顔してシャワーを使ったけれど、結局誰一人気にしていない。

お年を召されている方達も、お互いに○○ちゃん! と呼び合っていて、その○○ちゃんだらけの中には、おばあちゃんに連れられた小さな男の子と、小さなそのお姉ちゃんもいた。

 

男の子は湯船に行くのが嫌でごねていた。それを周りがおいでおいでしている。

ちょっと困った顔のお姉ちゃんを周りがフォローしだして、お姉ちゃんも大きくなったね、背が伸びたね、一緒に入ろう・・・などの声が飛び交う。

この姉弟達は、この大人達の中で守られながら育っていくんだろうな。

 

気付けば、多分よそ者は私1人のようだった。

平日の夕方だからそうだったのかも知れないけれど、間違いなくこの温泉施設は「地元民の、地元民による、地元民のための温泉」だ。

 

けれど、ちっとも居心地は悪くなかった。

むしろそんなやりとりの中で、それが人のぬくもりからか、そこが湯船の中だからなのか、何だかほっこりとして癒されて、本当に気持ちよかった。

 

気持ちがいいついでにロビーに出ると、まだ男どもが出て来ていないことをいいことに、マッサージチェアに座ってさらに至福の時を過ごしていた。

きっと長男も喜んで温泉を楽しんでいるだろう。

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実は長男は、調子を崩したり少し気持ちがざわついている時は、かなりの頻度で自傷が出現する。

自分の指で体中の皮膚を掘ってしまうのだが、本当にビジュアルがバイオレンス状態になってしまう。

 

最近は調子も悪くないし、ましてや大好きな弟とこうして過ごしているので、自傷の症状は出ていない。

けれど、体は自傷の痕だらけだ。

何も知らない人が見たら、虐待を思われても不思議ではない。

 

けれど、旦那はそんな長男を平気で温泉にでも何にでも連れて行く。

何も悪いことはしていないし、長男のやりたいことが普通に誰にでも出来ることなら、自分が何と思われても長男にもさせてあげるべきだと思っている人だ。

それは本当に旦那のすごいところだと思う。

 

そうしているうちに父息子三人、のれんをくぐって出て来ると、ニヤニヤと機械の椅子に座っている私を見つけて、小さく「おっ!」と声を出して2度見していた(笑)

後で聞くと、私は相当なニヤけっぷりだったようだ。

マッサージなんて誰もしてくれないから、機械の椅子でも嬉しかったんですよ!

 

実は角島は夕日が絶景として有名らしい。

でも、お父さんエネルギーもあとわずか・・・というわけで、家路へ。

 

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途中、関門橋辺りで夕日が拝めないかと思っていたけれど、時間的にも方角的にも難しくて諦めた。

しばらく関門橋のたもとで橋と行き交う船を眺め、休憩をしてから再び車へ。

 

高速を下りて見慣れた道を行き、晩ご飯は地元のソウルフードのうどんに次男が反応したことで、迷わずいつものうどん屋さんへ。

そうして、今回の旅は終焉を迎えた。

 

実は川棚と言うと「瓦そば」が有名なのだけれど、誰も食べるとは言わなかった。

実際食べようと思えば機会はあった。だって、角島テラスのメニュー表には、しっかりと「瓦そば」と書かれていたから。

 

これをしなきゃ、あれを食べなきゃという考えもなく、今回もただ海に出会い、風に吹かれ、気まぐれに進路を決めて過ごした旅でした。

 

次男の滞在期間はもうちょっとなので、この家族日和はもう少し続きます。

長いお話を最後まで読んで下さって有難うございました。

次回もちょっとだけ、お付き合いいただけたら嬉しいです。

 

《つづく》

 

 

次男の帰省(11日間の家族日和)その2「角島」

9月5日

晴れ。

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次男は自称「晴れ男」

お陰様で空はすっかり晴れ渡って、日帰り旅行には最高の天気となった。

 

で、旦那提案の場所へ長距離ドライブと相成りました。

さて、その場所とは・・・「角島」

 

実は、長男の通う施設で、毎年一泊旅行なるものを敢行してくれるのだけれど、長男だけがこの場所は過去2度ほど訪れている。

ここは「死ぬまでに行きたい!世界の絶景3位」らしいぞ!

 

我が家では何処かに行こう!となっても、ディズニーランドに行きたいとか、USJに行きたいとか、何故か誰も言わない。

次男に至っては小さ頃から「どこに行きたい?」と聞くと「地層を見に行きたい」なんてことを言う子だった。

 

昔から家族のお出掛けは、山やら海やら、とうていキャラクターが居そうにない、その代わり神様でもいそうな場所ばかり。

いや、お会いしたことなんかござんせんが・・・。

だからといってアウトドア派でもなく、なんともゆる〜く車なんかで訪れて、ゆる〜く過ごして、風に吹かれて空を仰ぐ。

それだけ。

 

今回も同じ。

別にアトラクションがあるわけでもない、グルメ旅でもない、家族四人の時間をだらだらと過ごす旅。

日本海のこの海の色は、沖縄に行った時を思い出すほどの美しさ。

この海を絵にするには、使える絵の具はありますか? って聞きたい。

 

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その海の上に長く伸びている角島大橋を渡って、角島テラスにたどり着く。

ちょっと腹ごしらえ。サザエのつぼ焼き、イカめし、焼きカレー

長男はことごとく次男の食べているものが気になって、次男のものをニコニコと「あーあー!(ちょうだい!)」と言いながら食べてしまう。

次男は苦笑いしながらそれを見ている。で、母の焼きカレーのお裾分けを食べて、それでも満足げ。

それもいつもの光景。

だけど、久々の光景。

この兄弟の、もう毎日は見られない日常の光景。

 

この日は風に吹かれて・・・てなもんでもない、かなりの強風。

けれど、強風に吹かれて、海の青を目に映して、この兄弟達の風景をそれに重ねて、何とも言えない感情が湧いた。

 

この世で、君達に会えて良かった。

 

角島テラスを後に、その先にそびえ立つ灯台に立ち寄った。

ここは土木学会選奨土木遺産なんだそうだ。

つまり、灯台ってこんなんですよ〜・・・という資料みたいなものかな。

灯台の他にも、その歴史や灯台の成り立ちなんかを紹介する施設や、照射灯の建物なんかもあった。

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灯台は登ることが出来たので、半月板損傷のひざを押してひたすら登る、登る、登る。

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間もなく登頂! という頃、最後の階段辺りから誰かの悲鳴が聞こえた。

たどり着くと、とんでもない急な階段が現れた。

太い綱が一本ぶら下がっていて、これが命綱なんだと理解しつつ、取り敢えず悲鳴を漏らすのは我慢して頑張って登ってみた。

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そして、登り付いたてっぺんからの眼下には・・・。

 

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なんて表現したらいい? この海の色・・・。

反対側には、灯台が陰だけで存在感を示していた。

 

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強風で体を持って行かれそうになりながら、それでも気持ちのいい風と日差しを受けて、しっかり海の青さを目に焼付けた。

 

再び命綱をつかんで、やっぱり悲鳴は上げないように気を付けながら最初の階段を下りる。

命綱が必要な階段を抜けて、またぐるぐるとらせん階段を下りていった。

 

狭い階段を人とすれ違う時は、下りてくる人を優先するように張り紙がしてあった。

誰もがそれを守り、無言で通り過ぎることなく「有り難う」「すみません」などの、気持ちのいい声があちらこちらで聞こえて来た。

あの、命綱の必要な階段以外は・・・(笑)

 

外に出て別棟の資料館を巡り、灯台を後にした。

それからは、またまた行き当たりばったりで物事を決めながら車を走らせる。

 

旦那がナビを指さして、この辺り! と言う。

この辺りのどれ? と聞く。

ナビとスマホで情報収集しながら車を走らせ「ここ、よくない?」と車を停めた。

 

さてさて、この旅もいよいよ終盤です。

 

f:id:hisakokk:20180914020904j:plain  《つづく》

 

次男の帰省(11日間の家族日和)その1

9月に入って、ようやく次男が帰って来た!

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9月1日

父の四十九日に、トンボ帰りの次男と私の実家で会ったけれど、ちゃんと家に帰って来たのはお正月以来。

ずっとずっと待ってたよね、長男君。

飛行機到着の夕方が待ち遠しいよね。

 

「弟が帰ってくるよ。お迎えに行こう!」

長男の顔は冷静そのもの、けれど分るよ。

時々やんわり口の両端が上がるんだよね。

 

なんだかね、そんな長男の表情がとっても好きで、毎回この瞬間は母もほんわか嬉しい。

 

ただ今回だって時間は少ない。

それに、なかなか帰らない次男を待つ人は長男だけじゃない。

子ども達にとってのおばあちゃん、そしていつも帰りを喜んでくれてた、次男の大学の先輩でもあるおじいちゃん。

 

空港から今日はそのまま、おばあちゃんと、姿はもう見ることの出来ないおじいちゃんの待つ私の実家へ。

到着はすっかり夜になっていたけれど、おばあちゃんの面倒を見てくれている私の姉が笑顔で迎えてくれた。

 

9月2日

実家に泊まって、昼過ぎまでまったリと過ごす。

ほぼ、おじいちゃんの写真の前で過ごした。

おじいちゃんの写真は相変らず笑っていて、旦那と長男と次男は、ちょこんと座って線香をあげたりしていた。

 

長男は、この家の冷蔵庫の虜で、何度も開けては様々なものを狙っている。

際限がないので「お腹こわすよ〜!」と、ある程度で周りから止められるけれど、冷蔵庫はそれでも何度も何度も長男を呼ぶらしい。

おじいちゃんの写真の前から冷蔵庫までの短い距離を、長男と移り変わり誰かがバタバタと動きまくる。

そんな中を、相変らず写真の中のおじいちゃんは笑って見ている。

 

実はこの日は先月から長男の短期入所が決まっていて、いつもお泊まりする施設に夕方6時までに到着するようにと実家を後にした。

お迎えは翌日の9時。

 

実は迷った。

本当は短期入所はキャンセルして、とにかく全て家族4人で過ごそうと思っていた。

でも、ふとあることを思いついた。

 

旦那は、本当は次男とギターやベースでセッションをしたかったんだ。

でも、次男は楽器には興味がなかった。青春は野球三昧。

今の次男はよくフェスやライブに出掛けているようだが、親子のセッションは結局実現できなかった。

だけど、もう一つ「親子でお酒を呑む」は出来る!

長男がいると出来ない、ちょっと騒がしい居酒屋で親子呑み。

長男には申し訳なかったけど、今回はおやじの小さな想いを叶えさせてもらった。

 

小さな酒場で次男と旦那がお酒を呑みながら、ご機嫌でたわいもない会話をしていた。

男達の会話は本当に味気ない。

でも、なんだかやたら会話以外で繫がっているようで、ちょっと悔しかったりする。

二人、お互いが気持ちで会話しているようで、私も次男にやたらと近況なんかを聞くのはやめておいた。

 

マグロ三昧の店で、すごく美味しい魚とお酒。

私はハンドルキーパーゆえにソフトドリンク。

こんな日が来るなんて。

こんな日が来るなんて。

 

父と息子の姿を見ながら、次男が大人になったんだと思いながら、すごく嬉しかった。

でも次は長男も交えて4人で、静かな個室のある居酒屋に行こう……そんなことを思いながら二人のやり取りを眺めていた。

 

夜も更けて、親子三人で、それでも明るい街中を駐車場まで歩いた。

何でもないことが嬉しい。

楽しい夜だった。

 

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9月3日 

旦那も私も仕事、長男は通所、次男は自分の用事を済ませる。

次男が帰って来てから、この日やっと4人が家の中で過ごす夜になった。

久し振りに4人揃った家の中で、ゆっくり過ぎていく時間。

何でもない時間を、ただただ一緒に過ごした。

 

9月4日

今日中に今の仕事に一段落付ける! 明日は丸一日4人で出掛ける!!

 

旦那が宣言した。

 

ということで、この日はとにかく次男の買い物に付き合う。

親戚周りをするつもりでもあったけど、それは次回に回して、帰京前に済ませたい買い物に時間を使った。

 

とにかく、明日のため。

 

家族揃って遠出したのは、昨年の5月に行った門司港。それも数時間の滞在。

その前というと、もう三年半も前に行った湯布院だから、次男が東京に行ってしまってからは、日帰りでさえ旅行と呼べる所には行けていない。

 

長男の施設にも翌日の通所を休むことを伝え、明日はお出掛けだよ! と長男にも伝えた。

長男はすぐに理解したようで、穏やかな表情で過ごして、ちゃんと早く寝てくれた。

 

とにかく、明日のため。

 

翌日は空も晴れて、本当に思い出にも残る日帰りの旅が待っていた。

 

                               《つづく》

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今も役に立っている20年以上も前の親訓練(ペアレントトレーニング)

今は親訓練という言葉はよく聞かれるようになったけれど、20年以上も前の長男の未就学時には、そんなに聞かれる言葉ではなかった。

 

言葉のままの意味で、親が訓練を受けるということなのだけれど、発達障害に見られる生活の困難や問題行動について、様々なことを専門家や先輩の親達から学び、子供を育てる上での精神的な体力を付けることが目的になる。

 

今は様々な所で実施されていて、親自身が子供と向き合う自信をつけるための研究や療育を行う体制も整って来た。

 

 

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ある時、1枚のプリントを何処かで手に入れた。何処でだったか全く覚えていないけど(笑)

それが親訓練の案内だった。

もう今から20年以上も前のこと。実は、今の親訓練とはちょっと違う角度からの突っ込みだった。

 

けれど、これが今なお役に立っている訓練だった。

さて、その訓練とはどんなものか。今とは何処が違っていたのか。

 

今は、専門家や先輩親達が問題行動の対応などについて、基礎的なことから実践までを教えてくれる。

例えば、トイレが自立していない場合、まずトイレットトレーニングをどう行っていくか、また、先輩達の成功例や失敗談を聞けるなど盛りだくさんのようだ。

 

けれど、私が教わったのはたった一つだけ。

 

それをサポートしてくれた機関は、実は全国でも有名な国立の精神医療センターだ。

訓練の対応は専門家のみ。

私が学んでいる間、長男は別部屋で別の専門家と遊んでいた。

多分、長男は長男で分析されていただろうということは容易に想像できる。

 

ところで親達は、そこで問題行動に対しての対策を教わったわけではない。

出来るようになって欲しいことに、プログラムを使って子供を訓練することを指導されるわけでもない。

親が家庭での療育の先生になることを教わるわけでもない。

そのたった一つのことは……

 

「記録をつける」

 

それを毎週1回、3ヶ月間通って習得した。

 

どんな記録を付けたのかというと、私の場合は「道具を使って食べる」という内容。

当時、長男は箸はおろかスプーンで食べることも出来なかった。

もちろんこの記録を取ろうと決めたのは私。

どんな取り方をするのかは、いくつもの記入の仕方やグラフの作り方のマニュアルプリントを見ながら、それにオリジナリティも加えて親自身が工夫をすることが求められた。

 

家での記録はなるべく負担の少ない朝ご飯に、スプーンを使えた回数をカウントする。

記録を付けて週ごとにグラフに書き起こす。

時々、センター内でも食事の様子をビデオに撮る。

 

言ってしまえばそれだけなのだけれど、これがなかなか深かった。

 

記録を付けていくと数字が目に見える。増えてくれば嬉しいが、減ったり伸びて来ないと、なぜそうなのか考えざるを得ない。

けれど考えるだけでは解決しないので、長男の行動を観察する。

それで、どんな時に減ったのか、どうしたら増えたのか、それらも記録に付け始める。

とにかく観察する。とにかく向き合う。その結果をカウントする。

 

もの凄く向き合った。もの凄く考えた。そして、もの凄く長男と色んなことを分かち合った。

問題行動だけでなく、それまでは目にフィルターがかかっていたのかと思わせるほど、良い行動もたくさん見え始めた。

行動だけではなくて、表情も、声も、手足の動きも、言葉を持たない長男と向き合って、そのメッセージを読み解こうとした。

 

そうしているうちに5本の指で食べていた長男は、3ヶ月後、完璧ではないけれど、道具を使って食べることを覚えた。

 

センターでのビデオ撮りでは、その中に映っていた私の対応も表情も、回を重ねるごとに変わっていったはずだ。

それは、長男と向き合った結果としての変化だったと思う。

やり方の良し悪しは、全部長男が教えてくれた。

 

専門家達は最後の最後まで、記録を取るための親の行動や分析の仕方に口を出さなかった。

こんな時はどんな対応をしてとか、本当に一言もなかった。

むしろ、お母さん達は凄い! としか言わなかった。

母達は、子供は褒められれば嬉しいということを、実際に身を以て教えられていたんだと思う。

 

そして気付けば「記録を取る」ということが、子供と向き合い、体験から得られた母なりの工夫、しっくりくる瞬間の体験、何より親子共々の笑顔の獲得に繫がった。

問題行動の理由を記録から読み取り、どうすれば良いか考える力、出来るようになって欲しいことに手順を考え出す力の大事さを教えて貰った。

 

それは、ああしろ、こうしろの人の言葉に頼らない、親としての自立の訓練だったと思う。

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そして、今も記録は付け続けている。

今は睡眠時間、様々な要求、問題行動が出た時の記録で、今お世話になっているクリニックのカウンセラーが分析を加えてくれる。

その上で、台風が来ると調子が崩れやすいこともわかり、ある程度こちらも覚悟が出来るようになった。

他にも言葉のチョイスや苦手なことも分析できるので、対策は取りやすい。

 

カウンセラーは、通所している福祉施設とも繫がってもらっているので、施設に訪問してもらったり、分析内容を共有してもらっていて、長男にとっても大きなメリットになっていると思う。

 

結局、親訓練とは「子供と向き合う方法」だったと思う。

あのたった3ヶ月間は、その後から現在に至る20年を超える生活を支えることになる、本当に貴重な経験だったと思う。

あの時プリントを見つけて、参加を即決した自分にGood job!を送りたいくらいだ(笑)

 

あちらこちらの草葉の陰から

 

今日からお盆

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例年、この3日間は仏様に「おさんどん」して仕えます。

嫁ぎ先が真言宗なので、嫁はその習わしを覚えさせられる訳です。

 

息子の就学問題からこちらに越して来て、義両親が亡くなってからは、大きな仏壇でゆるりとして頂いていたご先祖様達も、「仕方ないので」とこちらの狭い手作り仏壇に越して来て頂いて、ギューギューで入居頂いている。

 

 

ところで、今年は初の盆期間中旦那不在である。

同業者さんからのお呼ばれで、只今東京の空の下。

 

nimoca持って行くの忘れたーー!

と蒼白ぎみなメッセージが届き、その後

Suica買ったー!!

と脳天気なメッセージが届いた。

その後のメッセージから見えたのは、色々それで清算して、キャーキャー喜んでいるおじさんの姿。

東京の大学に行って、東京で就職して、東京でCDのメジャーデビューも果たしたんでしょうに、すっかりお上りさんと化している様子。

 

ちなみに現在、次男は自動車学校の合宿中で東京不在。

前回もだったけど、今回も……この親子は、よくすれ違いますな(笑)

 

そして、留守を預かることになった長男と私。

長男と2人きりということは、ただいま現在もそうだけど、うかつに息子から離れられないということだ。

視野は広く持ちつつパソコンの前に座る。

この間にも、何度も私は立ったり座ったりしている。

 

という事で、今年の3日間のおさんどんは、かなりな手抜きになる予感。

ご先祖様、ごめんなさい。

我が家には我が家の事情が(笑)

 

 

旧暦の7月にやって来る実家のお盆は、父の初盆で大盛況だったこともあり、3日間ろくにご飯も食べていない。

けれど、この3日間はどうだろう。

長男次第で、精進料理とお供え物のおこぼれで暮らすか、あるいは長男の執拗なストーカーから、親子のみならず仏様達までもが貧相な食事に甘んじるか。

 

でも、精進料理の食材が調理されないまま残っていくのは、ちょっと負けた気もするので、長男には出来る手伝いはしてもらって、残りは丑三つ時あたりに料理しようかとも考える。

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例年ならお盆期間にお墓にもお参りに行く所だが、今年はそんな理由から11日のお墓参りとなった。

急な石段は息は上がらないのだけれど、半月板をやってしまってからは、なかなか大変。

それでも、重い水桶を持つのは長男の仕事と決まっているので助かる。

親子三人、お墓を去る前に例年のように携帯のカメラにタイマー掛けて集合写真。

まだお盆期間ではないので、人もまばらで静かだった。

 

ちなみに墓前にて「今年のお盆は多分手抜きです」と忘れずに言い訳もして来た。

 

「何ね、あんた! ちゃんとせぇじゃー!」

注:何ですか、あなた! ちゃんとしなさい!

 

「もう、しょうがなかねぇ、そがんしんしゃい!」

注:もう、しょうがないね、そうしていいよ

 

草葉の陰から、義母の声が聞こえそうだった。

義母が緩和病棟に入って暫くした時、いつまでもこの状況が続くならと、旦那と本気で我が家に連れて来る話しをしていたが、どうしても叶わなかった。

そんな義母の話しは未だに尽きない。なにせ武勇伝と天然が多過ぎて、話題に事欠かない人だ。

 

ばあちゃん、今年は手抜きです。

と言われながらも、多分あっちの草葉の陰、こっちの草葉の陰から覗いているはず。

アクティブだったし、あの性格だから、多数あるあちこちの草葉の陰から、あの手この手で私に突っ込んで来そうな気もする。

 

それを見つけたい気もするが、見つけたくない気もする。

だって今、お盆ですからね。オカルトはご勘弁(笑)