昨年のお盆は父の初盆でした。いやぁ、しきたりの多い地区での初盆は、なかなか大変でありまして、認知症を患っている母の代わりに執り行った姉は、随分と疲弊してしまっていたのでした。
そして、今年の初盆というと、昨年の秋に亡くなった甥っ子の番になったのでした。
甥っ子は関東在住なので、完全に身内だけで済ませることができて、父の時のように姉が疲弊することもなく、心穏やかに冥福を祈ることができました。
もちろん、旦那は長男ということで、我が家のお盆も例年通りの通常運行。義母から習った通りに、3日間お膳を上げてお勤めも果たせたと思います。
ところで私は、姉、兄、私の三兄弟で、取り敢えず我が家の直系の血筋としては、父が亡くなった今は兄が跡取りということになります。
ところが、兄の子供は二人。長女と、長男である甥っ子です。
その甥っ子が亡くなったために、私の実家の血は、兄で途絶えることになるのです。
そもそも実家の名字は、実家のある県の中で1軒しかありません。
兄が実家に帰ってくることもないし、本籍も移しているので、母が亡くなれば、この名字はこの県から消え去ってしまうことは、昔からわかっていたことではありました。
ただ、父はまるで先を見越したかのように、私達子どもには
「何もこの家にこだわることはない、自分達の暮らしをしっかり立てていければ、何処にいてもいい。この家がなくなっても構わない』
と言っていました。
そんな今年の初盆は、私の大事な友達の親御さんも亡くなったり、お世話になった人達が多く、今年の草葉の陰は、私の大事な人達であふれています。
不謹慎ながらも……と前置きをして、私の幼なじみが語った言葉が
「若いときはご祝儀で破産しそうだったけど、この年になれば、お香典で破産しそうよね」
冗談のように二人で話しながら、お互い世代が移り変わっていくことを感じとっていました。
あと数十年もすれば、間違いなく自分達の番になるのです。
でも、私は長男を残して死ぬことは、まだ解決法が見つかっていないのでできません。
夜中に脱走をしてしまうので、親亡き後に預かってくれるところは見つからないだろうと、はっきり言われたことがあるのです。
例え、グループホームを建てることができたとしても、長男はその中に入ることができないかも知れないのです。
次男に長男を体ごと託すことはするつもりはありません。次男の人生を守るのも、親の責任だからです。
今の現実を鑑みると、長男は私達と暮らすということでしか解決法は見つかりません。つまり、長男よりも長生きするか、自分が死ぬときに一緒に連れて行くのか……。
この考えは時代遅れのようでいて、こんな家族はまだまだたくさんあるような気がします。
それで、幼なじみと親友の三人で、メッセンジャーでやりとりをしたとき、私が「120才まで生きる!」と書いたら、幼なじみと親友が、自分達も120才まで生きる! それに付き合うよ! と言ってくれたのでした。
それも現実的ではありません。でも、こんな話しができる場所があるのは救われます。
私が元気で120才まで生きて、長男と一緒に暮らし続けることの方が不可能なのか……私が死んでも、どこか笑顔で暮らしていける場所が見つかることのほうが不可能なのか……。
どちらであっても、将来の長男は幸せで、将来の次男も自分の道をしっかり歩めていますように……。
東京に滞在していた時、神社で手を合わせてそうお願いしてきました。