宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

次男の帰省(11日間の家族日和)その2「角島」

9月5日

晴れ。

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次男は自称「晴れ男」

お陰様で空はすっかり晴れ渡って、日帰り旅行には最高の天気となった。

 

で、旦那提案の場所へ長距離ドライブと相成りました。

さて、その場所とは・・・「角島」

 

実は、長男の通う施設で、毎年一泊旅行なるものを敢行してくれるのだけれど、長男だけがこの場所は過去2度ほど訪れている。

ここは「死ぬまでに行きたい!世界の絶景3位」らしいぞ!

 

我が家では何処かに行こう!となっても、ディズニーランドに行きたいとか、USJに行きたいとか、何故か誰も言わない。

次男に至っては小さ頃から「どこに行きたい?」と聞くと「地層を見に行きたい」なんてことを言う子だった。

 

昔から家族のお出掛けは、山やら海やら、とうていキャラクターが居そうにない、その代わり神様でもいそうな場所ばかり。

いや、お会いしたことなんかござんせんが・・・。

だからといってアウトドア派でもなく、なんともゆる〜く車なんかで訪れて、ゆる〜く過ごして、風に吹かれて空を仰ぐ。

それだけ。

 

今回も同じ。

別にアトラクションがあるわけでもない、グルメ旅でもない、家族四人の時間をだらだらと過ごす旅。

日本海のこの海の色は、沖縄に行った時を思い出すほどの美しさ。

この海を絵にするには、使える絵の具はありますか? って聞きたい。

 

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その海の上に長く伸びている角島大橋を渡って、角島テラスにたどり着く。

ちょっと腹ごしらえ。サザエのつぼ焼き、イカめし、焼きカレー

長男はことごとく次男の食べているものが気になって、次男のものをニコニコと「あーあー!(ちょうだい!)」と言いながら食べてしまう。

次男は苦笑いしながらそれを見ている。で、母の焼きカレーのお裾分けを食べて、それでも満足げ。

それもいつもの光景。

だけど、久々の光景。

この兄弟の、もう毎日は見られない日常の光景。

 

この日は風に吹かれて・・・てなもんでもない、かなりの強風。

けれど、強風に吹かれて、海の青を目に映して、この兄弟達の風景をそれに重ねて、何とも言えない感情が湧いた。

 

この世で、君達に会えて良かった。

 

角島テラスを後に、その先にそびえ立つ灯台に立ち寄った。

ここは土木学会選奨土木遺産なんだそうだ。

つまり、灯台ってこんなんですよ〜・・・という資料みたいなものかな。

灯台の他にも、その歴史や灯台の成り立ちなんかを紹介する施設や、照射灯の建物なんかもあった。

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灯台は登ることが出来たので、半月板損傷のひざを押してひたすら登る、登る、登る。

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間もなく登頂! という頃、最後の階段辺りから誰かの悲鳴が聞こえた。

たどり着くと、とんでもない急な階段が現れた。

太い綱が一本ぶら下がっていて、これが命綱なんだと理解しつつ、取り敢えず悲鳴を漏らすのは我慢して頑張って登ってみた。

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そして、登り付いたてっぺんからの眼下には・・・。

 

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なんて表現したらいい? この海の色・・・。

反対側には、灯台が陰だけで存在感を示していた。

 

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強風で体を持って行かれそうになりながら、それでも気持ちのいい風と日差しを受けて、しっかり海の青さを目に焼付けた。

 

再び命綱をつかんで、やっぱり悲鳴は上げないように気を付けながら最初の階段を下りる。

命綱が必要な階段を抜けて、またぐるぐるとらせん階段を下りていった。

 

狭い階段を人とすれ違う時は、下りてくる人を優先するように張り紙がしてあった。

誰もがそれを守り、無言で通り過ぎることなく「有り難う」「すみません」などの、気持ちのいい声があちらこちらで聞こえて来た。

あの、命綱の必要な階段以外は・・・(笑)

 

外に出て別棟の資料館を巡り、灯台を後にした。

それからは、またまた行き当たりばったりで物事を決めながら車を走らせる。

 

旦那がナビを指さして、この辺り! と言う。

この辺りのどれ? と聞く。

ナビとスマホで情報収集しながら車を走らせ「ここ、よくない?」と車を停めた。

 

さてさて、この旅もいよいよ終盤です。

 

f:id:hisakokk:20180914020904j:plain  《つづく》

 

次男の帰省(11日間の家族日和)その1

9月に入って、ようやく次男が帰って来た!

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9月1日

父の四十九日に、トンボ帰りの次男と私の実家で会ったけれど、ちゃんと家に帰って来たのはお正月以来。

ずっとずっと待ってたよね、長男君。

飛行機到着の夕方が待ち遠しいよね。

 

「弟が帰ってくるよ。お迎えに行こう!」

長男の顔は冷静そのもの、けれど分るよ。

時々やんわり口の両端が上がるんだよね。

 

なんだかね、そんな長男の表情がとっても好きで、毎回この瞬間は母もほんわか嬉しい。

 

ただ今回だって時間は少ない。

それに、なかなか帰らない次男を待つ人は長男だけじゃない。

子ども達にとってのおばあちゃん、そしていつも帰りを喜んでくれてた、次男の大学の先輩でもあるおじいちゃん。

 

空港から今日はそのまま、おばあちゃんと、姿はもう見ることの出来ないおじいちゃんの待つ私の実家へ。

到着はすっかり夜になっていたけれど、おばあちゃんの面倒を見てくれている私の姉が笑顔で迎えてくれた。

 

9月2日

実家に泊まって、昼過ぎまでまったリと過ごす。

ほぼ、おじいちゃんの写真の前で過ごした。

おじいちゃんの写真は相変らず笑っていて、旦那と長男と次男は、ちょこんと座って線香をあげたりしていた。

 

長男は、この家の冷蔵庫の虜で、何度も開けては様々なものを狙っている。

際限がないので「お腹こわすよ〜!」と、ある程度で周りから止められるけれど、冷蔵庫はそれでも何度も何度も長男を呼ぶらしい。

おじいちゃんの写真の前から冷蔵庫までの短い距離を、長男と移り変わり誰かがバタバタと動きまくる。

そんな中を、相変らず写真の中のおじいちゃんは笑って見ている。

 

実はこの日は先月から長男の短期入所が決まっていて、いつもお泊まりする施設に夕方6時までに到着するようにと実家を後にした。

お迎えは翌日の9時。

 

実は迷った。

本当は短期入所はキャンセルして、とにかく全て家族4人で過ごそうと思っていた。

でも、ふとあることを思いついた。

 

旦那は、本当は次男とギターやベースでセッションをしたかったんだ。

でも、次男は楽器には興味がなかった。青春は野球三昧。

今の次男はよくフェスやライブに出掛けているようだが、親子のセッションは結局実現できなかった。

だけど、もう一つ「親子でお酒を呑む」は出来る!

長男がいると出来ない、ちょっと騒がしい居酒屋で親子呑み。

長男には申し訳なかったけど、今回はおやじの小さな想いを叶えさせてもらった。

 

小さな酒場で次男と旦那がお酒を呑みながら、ご機嫌でたわいもない会話をしていた。

男達の会話は本当に味気ない。

でも、なんだかやたら会話以外で繫がっているようで、ちょっと悔しかったりする。

二人、お互いが気持ちで会話しているようで、私も次男にやたらと近況なんかを聞くのはやめておいた。

 

マグロ三昧の店で、すごく美味しい魚とお酒。

私はハンドルキーパーゆえにソフトドリンク。

こんな日が来るなんて。

こんな日が来るなんて。

 

父と息子の姿を見ながら、次男が大人になったんだと思いながら、すごく嬉しかった。

でも次は長男も交えて4人で、静かな個室のある居酒屋に行こう……そんなことを思いながら二人のやり取りを眺めていた。

 

夜も更けて、親子三人で、それでも明るい街中を駐車場まで歩いた。

何でもないことが嬉しい。

楽しい夜だった。

 

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9月3日 

旦那も私も仕事、長男は通所、次男は自分の用事を済ませる。

次男が帰って来てから、この日やっと4人が家の中で過ごす夜になった。

久し振りに4人揃った家の中で、ゆっくり過ぎていく時間。

何でもない時間を、ただただ一緒に過ごした。

 

9月4日

今日中に今の仕事に一段落付ける! 明日は丸一日4人で出掛ける!!

 

旦那が宣言した。

 

ということで、この日はとにかく次男の買い物に付き合う。

親戚周りをするつもりでもあったけど、それは次回に回して、帰京前に済ませたい買い物に時間を使った。

 

とにかく、明日のため。

 

家族揃って遠出したのは、昨年の5月に行った門司港。それも数時間の滞在。

その前というと、もう三年半も前に行った湯布院だから、次男が東京に行ってしまってからは、日帰りでさえ旅行と呼べる所には行けていない。

 

長男の施設にも翌日の通所を休むことを伝え、明日はお出掛けだよ! と長男にも伝えた。

長男はすぐに理解したようで、穏やかな表情で過ごして、ちゃんと早く寝てくれた。

 

とにかく、明日のため。

 

翌日は空も晴れて、本当に思い出にも残る日帰りの旅が待っていた。

 

                               《つづく》

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今も役に立っている20年以上も前の親訓練(ペアレントトレーニング)

今は親訓練という言葉はよく聞かれるようになったけれど、20年以上も前の長男の未就学時には、そんなに聞かれる言葉ではなかった。

 

言葉のままの意味で、親が訓練を受けるということなのだけれど、発達障害に見られる生活の困難や問題行動について、様々なことを専門家や先輩の親達から学び、子供を育てる上での精神的な体力を付けることが目的になる。

 

今は様々な所で実施されていて、親自身が子供と向き合う自信をつけるための研究や療育を行う体制も整って来た。

 

 

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ある時、1枚のプリントを何処かで手に入れた。何処でだったか全く覚えていないけど(笑)

それが親訓練の案内だった。

もう今から20年以上も前のこと。実は、今の親訓練とはちょっと違う角度からの突っ込みだった。

 

けれど、これが今なお役に立っている訓練だった。

さて、その訓練とはどんなものか。今とは何処が違っていたのか。

 

今は、専門家や先輩親達が問題行動の対応などについて、基礎的なことから実践までを教えてくれる。

例えば、トイレが自立していない場合、まずトイレットトレーニングをどう行っていくか、また、先輩達の成功例や失敗談を聞けるなど盛りだくさんのようだ。

 

けれど、私が教わったのはたった一つだけ。

 

それをサポートしてくれた機関は、実は全国でも有名な国立の精神医療センターだ。

訓練の対応は専門家のみ。

私が学んでいる間、長男は別部屋で別の専門家と遊んでいた。

多分、長男は長男で分析されていただろうということは容易に想像できる。

 

ところで親達は、そこで問題行動に対しての対策を教わったわけではない。

出来るようになって欲しいことに、プログラムを使って子供を訓練することを指導されるわけでもない。

親が家庭での療育の先生になることを教わるわけでもない。

そのたった一つのことは……

 

「記録をつける」

 

それを毎週1回、3ヶ月間通って習得した。

 

どんな記録を付けたのかというと、私の場合は「道具を使って食べる」という内容。

当時、長男は箸はおろかスプーンで食べることも出来なかった。

もちろんこの記録を取ろうと決めたのは私。

どんな取り方をするのかは、いくつもの記入の仕方やグラフの作り方のマニュアルプリントを見ながら、それにオリジナリティも加えて親自身が工夫をすることが求められた。

 

家での記録はなるべく負担の少ない朝ご飯に、スプーンを使えた回数をカウントする。

記録を付けて週ごとにグラフに書き起こす。

時々、センター内でも食事の様子をビデオに撮る。

 

言ってしまえばそれだけなのだけれど、これがなかなか深かった。

 

記録を付けていくと数字が目に見える。増えてくれば嬉しいが、減ったり伸びて来ないと、なぜそうなのか考えざるを得ない。

けれど考えるだけでは解決しないので、長男の行動を観察する。

それで、どんな時に減ったのか、どうしたら増えたのか、それらも記録に付け始める。

とにかく観察する。とにかく向き合う。その結果をカウントする。

 

もの凄く向き合った。もの凄く考えた。そして、もの凄く長男と色んなことを分かち合った。

問題行動だけでなく、それまでは目にフィルターがかかっていたのかと思わせるほど、良い行動もたくさん見え始めた。

行動だけではなくて、表情も、声も、手足の動きも、言葉を持たない長男と向き合って、そのメッセージを読み解こうとした。

 

そうしているうちに5本の指で食べていた長男は、3ヶ月後、完璧ではないけれど、道具を使って食べることを覚えた。

 

センターでのビデオ撮りでは、その中に映っていた私の対応も表情も、回を重ねるごとに変わっていったはずだ。

それは、長男と向き合った結果としての変化だったと思う。

やり方の良し悪しは、全部長男が教えてくれた。

 

専門家達は最後の最後まで、記録を取るための親の行動や分析の仕方に口を出さなかった。

こんな時はどんな対応をしてとか、本当に一言もなかった。

むしろ、お母さん達は凄い! としか言わなかった。

母達は、子供は褒められれば嬉しいということを、実際に身を以て教えられていたんだと思う。

 

そして気付けば「記録を取る」ということが、子供と向き合い、体験から得られた母なりの工夫、しっくりくる瞬間の体験、何より親子共々の笑顔の獲得に繫がった。

問題行動の理由を記録から読み取り、どうすれば良いか考える力、出来るようになって欲しいことに手順を考え出す力の大事さを教えて貰った。

 

それは、ああしろ、こうしろの人の言葉に頼らない、親としての自立の訓練だったと思う。

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そして、今も記録は付け続けている。

今は睡眠時間、様々な要求、問題行動が出た時の記録で、今お世話になっているクリニックのカウンセラーが分析を加えてくれる。

その上で、台風が来ると調子が崩れやすいこともわかり、ある程度こちらも覚悟が出来るようになった。

他にも言葉のチョイスや苦手なことも分析できるので、対策は取りやすい。

 

カウンセラーは、通所している福祉施設とも繫がってもらっているので、施設に訪問してもらったり、分析内容を共有してもらっていて、長男にとっても大きなメリットになっていると思う。

 

結局、親訓練とは「子供と向き合う方法」だったと思う。

あのたった3ヶ月間は、その後から現在に至る20年を超える生活を支えることになる、本当に貴重な経験だったと思う。

あの時プリントを見つけて、参加を即決した自分にGood job!を送りたいくらいだ(笑)

 

あちらこちらの草葉の陰から

 

今日からお盆

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例年、この3日間は仏様に「おさんどん」して仕えます。

嫁ぎ先が真言宗なので、嫁はその習わしを覚えさせられる訳です。

 

息子の就学問題からこちらに越して来て、義両親が亡くなってからは、大きな仏壇でゆるりとして頂いていたご先祖様達も、「仕方ないので」とこちらの狭い手作り仏壇に越して来て頂いて、ギューギューで入居頂いている。

 

 

ところで、今年は初の盆期間中旦那不在である。

同業者さんからのお呼ばれで、只今東京の空の下。

 

nimoca持って行くの忘れたーー!

と蒼白ぎみなメッセージが届き、その後

Suica買ったー!!

と脳天気なメッセージが届いた。

その後のメッセージから見えたのは、色々それで清算して、キャーキャー喜んでいるおじさんの姿。

東京の大学に行って、東京で就職して、東京でCDのメジャーデビューも果たしたんでしょうに、すっかりお上りさんと化している様子。

 

ちなみに現在、次男は自動車学校の合宿中で東京不在。

前回もだったけど、今回も……この親子は、よくすれ違いますな(笑)

 

そして、留守を預かることになった長男と私。

長男と2人きりということは、ただいま現在もそうだけど、うかつに息子から離れられないということだ。

視野は広く持ちつつパソコンの前に座る。

この間にも、何度も私は立ったり座ったりしている。

 

という事で、今年の3日間のおさんどんは、かなりな手抜きになる予感。

ご先祖様、ごめんなさい。

我が家には我が家の事情が(笑)

 

 

旧暦の7月にやって来る実家のお盆は、父の初盆で大盛況だったこともあり、3日間ろくにご飯も食べていない。

けれど、この3日間はどうだろう。

長男次第で、精進料理とお供え物のおこぼれで暮らすか、あるいは長男の執拗なストーカーから、親子のみならず仏様達までもが貧相な食事に甘んじるか。

 

でも、精進料理の食材が調理されないまま残っていくのは、ちょっと負けた気もするので、長男には出来る手伝いはしてもらって、残りは丑三つ時あたりに料理しようかとも考える。

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例年ならお盆期間にお墓にもお参りに行く所だが、今年はそんな理由から11日のお墓参りとなった。

急な石段は息は上がらないのだけれど、半月板をやってしまってからは、なかなか大変。

それでも、重い水桶を持つのは長男の仕事と決まっているので助かる。

親子三人、お墓を去る前に例年のように携帯のカメラにタイマー掛けて集合写真。

まだお盆期間ではないので、人もまばらで静かだった。

 

ちなみに墓前にて「今年のお盆は多分手抜きです」と忘れずに言い訳もして来た。

 

「何ね、あんた! ちゃんとせぇじゃー!」

注:何ですか、あなた! ちゃんとしなさい!

 

「もう、しょうがなかねぇ、そがんしんしゃい!」

注:もう、しょうがないね、そうしていいよ

 

草葉の陰から、義母の声が聞こえそうだった。

義母が緩和病棟に入って暫くした時、いつまでもこの状況が続くならと、旦那と本気で我が家に連れて来る話しをしていたが、どうしても叶わなかった。

そんな義母の話しは未だに尽きない。なにせ武勇伝と天然が多過ぎて、話題に事欠かない人だ。

 

ばあちゃん、今年は手抜きです。

と言われながらも、多分あっちの草葉の陰、こっちの草葉の陰から覗いているはず。

アクティブだったし、あの性格だから、多数あるあちこちの草葉の陰から、あの手この手で私に突っ込んで来そうな気もする。

 

それを見つけたい気もするが、見つけたくない気もする。

だって今、お盆ですからね。オカルトはご勘弁(笑)

 

 

パソコンのお引っ越し

やっとやっと念願だった、パソコンを机ごと動かした!

と言っても、同じ部屋で数メートルの移動。

それに附随して、他の家具もちょっとだけ移動。

大変だったけど、これでパソコン作業できるわ〜……ということでふと見てみると、キーボードがほこりだらけ……そりゃそうですよね〜……なかなか触れなかったしぃ(言い訳)

 

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なにせうちの長男、今まであったパソコンの机の前に座り込んで動かない。

そこは長男が住み決めしていて、お気に入りというか、自分の場所として認識している所。実に自閉ちゃんらしい行動。多分、そこが落ち着くんだろう。

けれど、チョット前まで私がパソコンでの作業がある時は「どいて〜!」と言うと移動してくれていた。

でも、ここのところ全く動かない。何を言われても修行僧のように動かない。

ちょっとこちらが強引に出ようものなら、キッと三角の目で睨み返される。

息子にとって広さ1畳ほどのこの場所は、お気に入りから聖地のように変わったか??

 

それにしても困った。

パソコンでの作業が出来ない!

仕方がないので、スマホevernoteに書き込みをして、長男が寝ている隙に、こそこそとパソコンのワードなどに移し替えていた。

ちなみに長男、寝るのもパソコンの机の前です。

 

う〜ん……と思っていた所に、ふと気付いた。

長男動かさずしてテーブル動かす! 解決じゃん!!

 

はい、解決しましたとも。

ただ、時間は掛かってしまった。

テーブルの上には、まずメインである旦那からのお下がりである、古いパソコン。

その他にも色んなものが乗っていて、収納ケースやプリンター、次男の地球儀から次男の小学校時代の作品のタマネギまで。

 

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旦那は忙しくて、なかなかテーブル移動にお付き合いできる時間が取れず、だからといって私一人で動かすのはちょっと自信がない。

旦那「パソコンも家具も動かしていいよ〜(なんか人ごと)」

私、これは一人でやれと言われたと理解する。

私「動かすのにパソコンの色んな線、全部外しちゃってもいいの?」

旦那「別に大丈夫だけど?」

私「パソコンとかド素人だから、私が動かして何があるかわからないよ?」

旦那……苦笑い。

私「一人で頑張るよ!」

と言いながらも「腱鞘炎が〜、半月板が〜!」と自分の傷を並べて旦那の様子見。

 

旦那、折れました。

というか、動かした後のレイアウトを考えてくれていたようで、最初から時間を作るつもりだったのだと思います。

現実、さあ! いよいよ動かすよ! という時は、ほとんど旦那がやってくれました。

その時は長男も興味津々、作業をずっと眺めていました。

 

それにしてもここまでの間、お互い本当に、口にする時は物事をストレートに言わない。

こういう時によく思うのだけれど、私達夫婦のやりとりは、人が見ると結構面倒くさいと思われる気がする。

 

長男の修行僧(のように動かない)は7月には始まっていて、けれど父の初盆(旧暦)をしなきゃいけなかったことや、旦那が忙しかったことで、この机の引っ越しは8月をとうに過ぎてからと相成りました。

思い立ってから1ヶ月以上……いやぁ〜時間が掛かった!

 

ちなみに、旦那が自分用に新しいパソコンを買って、今使っているパソコンを更に私に回して、新しいお下がり(ややこしい)を頂けるはずが、次男の自動車学校の費用に化けました。

 

あぁ、それにしてもほこりだらけ……これから掃除します(反省)

 

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誕生日のケーキと見えないロウソク

あんたはネコかっっっ!!!

 

いや、息子の話しです。

(↓こっちは実家のリアルネコ)

 

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ネコって何かしようと思ってると邪魔しに来ませんか?

新聞(うちは取ってないけど)読んでると正にその上に、ピンポイントで乗ってくる。

パソコンのキーボードを叩こうとすると、遠慮なくキーボードの上に乗ってくる……。

 

ここ数日の間、ずっとその状態な長男。

 

私がパソコンの前に座ると

頭さすって〜♪

 

2行ほど書き込むと

腕をカキカキして〜♪

 

更に1行書くと

手の平コチョコチョして〜♪

 

ネコかっっっ!

 

というか、これ書いている今もですがな。

 

 

天候を憂いていた今日この頃。

台風は来るわ、大雨が降ってスマホのアラートは鳴るわ……。

気圧の関係もあって、長男がパニックや発作を起こさないか心配な矢先の、実際はこのネコ化。

 

これも、この天候のせいでしょうかね……。

いや、旦那に言わせると多分違うな。

旦那が仕事を始めると、狙ったようにやって来て

「外に行こうよ〜!」「(破って遊ぶための)紙ちょうだい〜!」

と連発していて

「仕事させて〜!」

と、よく旦那の心からの雄叫びが聞こえてくる。

で……

 

「イオンに行ってきます!」

旦那、根負けで長男の手を取ってお出掛けしてくれる。

 

「作業が遅れて、収入に響きます(泣)」

と言いつつ、手を繋いでお出掛けしてくれる。

 

旦那よ、今日も有り難う。

その間、長男がいると、これまたなかなか出来ない掃除に取り掛かる私。

 

そんな週末が多い我が家。

ほとんどの時間を長男に使うことが珍しくない我が家。

そこんとこ、長男は解ってないな。なんせ、ネコ同類だからね。

 

で、そんな最中な先日の話し。

旦那の誕生日を迎えました。

次男が家に居た頃は、家族全員の誕生日で、しっかりとホールのケーキを買ってお祝いしていた。

誕生日だからプレゼントを奮発したり、ちょっと贅沢に外食なんてことはしない。

家族揃っていつものようにご飯食べたら、いつものように長男がワクワクしながら、ちゃんと人数分のお皿とフォークとコップを持って来てくれる。

みんなに「ありがとぉ〜!」と言われて、満面の笑顔で長男が癒しの時間をくれる。

それが恒例。

 

次男が大学へ行ってしまって最初にやって来た私の誕生日には、お皿を4枚用意していた。

弟いないよ、と言われてハッとした長男。ちょっと寂しげだった。

次の旦那の誕生日には、言われなくても3枚用意した。

今度はそれを聞いて、次男の方が「寂しい」と言った。

 

そして、今回の旦那の誕生日も、3枚のお皿と、3本のフォークと、3つのコップ。

 

少しずつ慣れて来た様で慣れてないのか、4つじゃないのはやはり寂しい。

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そして、今回はホールではなくて、ショートケーキを3つ。

しかも、旦那自ら自分の誕生日のために買って来た。

シンプルなチーズケーキに、今回はロウソクはナシ。

 

誕生日といえば必ずロウソクに火をつけて

はっぴば〜すでぃとぅ〜ゆ〜♪

と歌うのが恒例。

 

でも、今回は火をつけるはずのロウソクはなしで、はっぴば〜すでぃとぅ〜ゆ〜♪

と歌うと、長男はいつものように手拍子をして頭をリズムに合わせて小刻みに動かした。

歌い終わると、長男は口をすぼめて、ケーキに

ふ〜っっっ

と息をかけた。

 

その瞬間、時間が止まったようになって、立っていない、見えないロウソクが確かにケーキの上にあって、火が消えるのが見えた。

 

私と旦那は「あっ!」と小さく言うと長男を見た。

そして、旦那が「ありがとぉ〜!」と嬉しそうに言うと、長男はいつものように満面の笑みで返してくれた。

 

そして、いつもなら人数分に切って渡すはずのケーキは、最初から皿に乗せられているので、瞬殺で食べてしまった。

更に、ケーキが平らげられて、きれいになったお皿をこちらに寄せて来て「少し頂戴!」と要求してくる(笑)

 

たった数十分しかない、イベントとも言えないこの誕生日の時間を、こうして毎年重ねて来たけど、これもずっと続いていくだろうな。

というより、これからもずっと続いていきますように……。

 

次男は今年も自分の誕生日には帰れないから、お皿が4枚用意出来る日はちょっとお預け。

それがちょっと寂しい……。

ついに会えなかったガラス屋の棟梁

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この週末は私の父の百日法要ということで、長男にももれなく参加してもらった。

ちゃんと、お勤めをしてくれました。

お経の合間に、実に上手く喉をならしてみたり、ウヒッなんて言ってみたり、私も可笑しくて笑いをこらえていたけど、見ると旦那の肩もゆれてて、やっぱり笑いをこらえていたみたいで。

 

じいちゃん、喜んでいたよ。たぶん……いや、絶対に。

だって、長男の合いの手の度に、じいちゃんの笑顔が浮かんだからね。

 

さて、そんな週末の金曜日には、仕事場で関わる子供達も、特別支援学校の宿泊学習なんてものがあって、いわゆる公共の宿泊施設に一泊する学校恒例行事を終えて、疲れてデイにやって来たんでした。

懐かしいことに、我が家の長男もその昔、その恒例行事に参加したことはあったわけだ。

デイで、疲れたであろう子供達を迎えながら、あのことを思い出していた。

 

あのこと……。

 

当時、破壊行動がえげつなかった時代、なかなか学校の先生達も長男に上手く対応出来なかったあの頃。

親としても覚悟を持って、宿泊学習も学校に預けた。

でも、やっぱりというか、当然のように長男はやらかした。

 

後日、先生から電話をするように言われて、宿泊施設に電話をした。

電話の呼び出しコールを聞きながら、ドキドキして相手が出るのを待つことも、何度もあったことなのに、やっぱり慣れるものではない。

 

やらかしは、ふたつもあった。

ベットのマットを破って、窓のガラスを割ったと。

 

多分、親だったら止められた。

けれど、先生も長男とベッタリというわけにもいかなかったろうから、仕方ないだろうし、宿泊施設の職員さんから神妙に話しを聞いた。

 

マットは何とかなりそうなので仕方ないです、こっちは弁償してもらわなくても結構です(超〜上から目線)

しかし、窓ガラスは弁償してください。このままにしてても困りますからね。

 

そう言われて、本当に申し訳ありませんと、ひたすら謝るしかなかった。

しょっ中こうして謝るのだけれど、謝ることも何度やっても慣れるものではない。

 

どうすればよいですか? と聞くと、職員さんは、あるガラス屋さんを指定して、そこは市内の学校や公共施設と契約しているところだから、そこに連絡をするようにと言った。

その割ったガラスはおいくらくらいですか? と聞くと、サラッと2万5千円ってところだと言われた。

 

毎度毎度気が重いわけだけど、そのガラス屋さんに電話をした。

やっぱりドキドキして、相手が出るのを待つことは慣れるものではない。

 

本当に……何度もあるのに、それなのに慣れないことだらけだ。

 

そうして受話器の向こうで電話を取ったのは、なんだか柔らかくて優しい声のおじさんだった。

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あの、宿泊施設のガラスを割ってしまいまして……と一通り話すと、そのおじさんはその柔らかい声でこう言ってくれた。

「お母さんも大変やなぁ、学校での出来事やったのになぁ。大丈夫、ちゃんとやっとくから、心配せんでいいよ」

 

話ししながら、この人はいち社員さんではないな、ガラス屋の棟梁さんだな……と思った。

施設の職員さんとの余りの対応の差に、ちょっと気が抜けて泣きそうになった。

 

お金をお支払いしますから、いくら位用意しておけばいいですか? 2万5千円位と聞きましたが……と言うと、棟梁は2万5千円? と言って、はははと笑った。

 

「あの施設のガラスやろ? えらい上等なんやなぁ。いいよ、9千8百円のを入れとくから。それで十分やからね」

 

それを聞いて、更に気が抜けた。

いいんですか? だいじょうぶですか?? と、不覚にもプロに聞いてしまった。

棟梁は、またはははと笑って、大丈夫だと言った。

 

棟梁曰く、支払いは学校に預けておけば、しょっ中学校回りしてるから大丈夫だと言ってくれた。

しかし、実はそのガラス屋さんと学校はかなり遠い。

つまり、ウチもそのガラス屋さんからは遠いことに気を遣ってくれたんだと思った。

 

でも、数日後に予約を入れている長男の掛かり付けのクリニックに、母親カウンセリングに行くことになっていて、そこからなら車で10分程と近かったので、その日にお金は持っていけますと伝えた。

棟梁はまた柔らかい声で、無理しなくていい、来れたらでいいよと言った。

またその日は不在しているので、ウチの嫁に渡しといて……との返事だった。

 

施設の職員さんには何度も「すみません」と繰り返したが、棟梁には何度も「有難うございます」と繰り返した。

同じ息子のやらかしに対しての台詞なんだけれど、こんなにも気持ちが違うものなんだな。

 

人の声と言葉は、こんなにも相手の心を、暗くも明るくもするものなんだね。

 

ナビを頼りにガラス屋さんに行くと、そこは普通の家に広いガレージがあり、そこが作業場であり、倉庫になっていた。

ガレージの横のインターホンを押すと、優しそうな棟梁の奥さんが出てきて、やっぱり柔らかい声で

「ちゃんとお話は聞いていますよ、わざわざここまで大変だったでしょう」

と笑顔で迎えて下さった。

 

領収書には、ちゃんと9,800円と書かれていた。

それを見て、心がまた暖かくなった。

2万5千円が9千8百円になったからではなくて、あの棟梁とのやり取りを思い出したから。

奥さんにあの時のやり取りと、本当に嬉しかったことを伝えると、奥さんは

「お手伝いできて良かった。お母さんも頑張ってね」

と言ってくれて、ガラス店の名前入りのタオルを、使ってねと差し出してくれた。

 

長男がガラスを割らなければ会えなかった奥さん、会いたかったけど会えなかった棟梁。

その後、幸か不幸か奥さんとは2度と、棟梁とはついに会えてはいない。

 

長男のやらかしは時々、私の打ち拉がれたはずの気持ちにこうして、暖かいものを流し入れるようなことを起こしたりする。

ちょっと卑怯だよね(笑)

お陰で泣いたり笑ったり、君と一緒の人生は忙しいよ。