宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

次男のいない誕生日が当たり前になる

次男、今月の26日で23回目の誕生日でした。

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次男がまだ家にいた頃、誕生日はプレゼントも用意はしていたけれど、何より家族でケーキを囲んで「はっぴば〜すで〜♪」と歌うだけの、シンプルな時間を共有することが一番だったような気がします。

次男がどう考えていたかはわからないけれど。

 

次男の好きなチョコレートのホールケーキを買って、電気も消して、みんなで手拍子しながらベタに誕生日の歌を歌って、そしてなぜかロウソクの火を長男が吹き消して

 

もう今はそれも思い出でしかないのだけれど、今の次男も、祝ってくれる人が変わっただけでいい時間を過ごせているようです。

まぁ、母としては安心です。

友達に祝ってもらう方が、今の次男にとっては一番嬉しいんじゃないかな。

家からは随分離れているけれど、頑張ってくれていることが一番だし、友達が一緒にいてくれることは、親にとっては本当に有り難いことです。

 

そういえば、最近は身を守れる位には走れるようにもなってきたようです。

安堵しました〜。

 

昔は次男の生まれた夏は、なるべく家族の思い出を増やしたいと旦那は思っていたようです。

いつも、言葉にはしないくせに、自分の頭の中で、みんなで何処に行くかのプランをこっそり考えていました。

そして「○○行こ〜〜〜〜!!」

と言ってくるのです。それでも、プランの完全版スケジュールは、当日に説明したりしなかったり……。

 

でも、我が家ではあまりスケジュールにこだわりません。

自閉症の長男でも、何とも柔軟に育ったのは、我が家のそんな緩いところにあったのかもしれません。

 

だから、スケジュールは旦那の頭の中だけで回って、あとは何となくみんなの動きから、その後の行動が変わってしまったりします。

でも、それを楽しんでいると言ってもいいかもしれません。

 

子ども達が小さい頃は特に、海にはよく遊びに行きました。

私は、男ども三人の体力に付いていけないことしばし。でも、よく4人で笑っていたものです。

 

なんせ、旦那と次男のアホなお笑いセンスは似ていて、一緒に笑いをとることに一生懸命。

長男は、それをクールに受け止めて、私はその三人のやりとりを横目で見るという感じかな。

 

海で私が写メろうとすると、この親子はこんな感じ↓

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当然だけど、家族で海でたくさん遊んだ思い出の記憶は、次男はまだ小さい時の姿です。

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長男とは、旦那と私と三人で今も海に行って、海岸の散歩や潮風を楽しんで来ます。

ただ、昔のようには、海の中に入ることもなくなりました。

 

けれど、年に1回位は長いドライブは実現させていて、今も旦那の頭の中には、みんなで何処に行くかのプランがいくつかあるらしいのです。

 

今後はますます大学生活も忙しくなるし、東京の友達との充実した日々もあるだろうし。

旦那のプランが、どのくらい実現するかどうかはわからないけれど、その中のいくつかは叶うといいね。

 

まだ夏休みに帰郷していない次男を、長男もカレンダーを見ながら待っているようです。

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9月に2週間ほど帰れるかどうかということなので、旦那のスケジュールプランがどう動くのか……。

まぁ、ちょっと待ってみることにしましょう。

この先、それもなくなるかも知れないしね。

そもそも、もう次男のいない誕生日も当たり前になってしまったわけだし。

いまのうち、いまのうち……。

 




 

長男の名前は今も轟いていた!

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数日前、放課後等デイサービスの私の職場のスタッフから「講習会の講師の方から、先生のお名前が出てましたよ」と言われて「はい?」となった私。

よくよく話を聞いて納得。「息子さんのことを、よくご存知でした」だそうな。

私の名前は、長男の延長線上に出てきたわけですね。

 

それもそのはず。講師の方は現役のヘルパーさんで、今も長男が行動援護(重度の障害児・者の移動支援)でお世話になっている方でした。

 

そのまた数日後に、タイミングよくその方との行動援護が入っていたので、職場のスタッフが講習会でお世話になったそうで、有難うございました! と伝えると、そのヘルパーさんが

「いやぁ、そこでもヒロキ君の話しをするとは。でも、最近もよくヒロキ君の名前を聞くんですよね」

と一言。

えぇっ、最近おとなしくしてるんで、鳴りを潜めていたつもりが、未だに名前は轟いたままなんですね! やはりと言えばやはりなんだけど……(笑)

 

苦笑の私に

「今回の講習会でも、ヒロキ君にモデルとして参加して頂こうかという話しが出てたみたいですよ」

 

なるほど〜。そういえば、何度かそんな講習会のモデルとして依頼を受けたことがありました。

講習を受ける人達に対して、講師がモデルとなった子どもに実際に支援を行なって見せた上で、さらに講習を受ける側が、モデルに対してアプローチを行なったり、グループでディスカッションする、実践型の講習会です。

 

結局、モデルは別の子になったようですが、未だに長男の名前が、この市内の障害者福祉の世界で轟いていることに「長男、恐るべし!」と笑ってしまう母なのでした。

 

けれど、よくよく考えると、長男に対してそれだけの人達が関わってくれて、支援をしてくれていること……たくさんの人達が、長男のために考えを巡らしてくれていること……難しい障害がある長男を、それだけ理解をしようとしてくれて、実際に向き合ってもらっていること……。

それが、長男の名前があちらこちらで聞かれることにつながっているんだなぁ、と、しみじみと思ったのでした。

 

長男を忘れられたところに追いやることはなく、長男をいつも真ん中に置こうと頑張って下さる方々に、本当に感謝します。

 

辛い思いもたくさんしたけれど、世間の色んな人達にも、長男のやらかしでたくさん謝って来たけれど、それ以上に長男がいなければ、こんなにも人に感謝することもなかっただろうなぁ。

 

そういえば、職場のスタッフはこんなことも言っていました。

「息子さん、行動援護では何時間も歩くそうですね! 元気なんですねぇ!」

 

昔は更に走ってたけどね。

走っても歩いても、何時間も一緒に付き合ってくれるヘルパーさんや事業所のスタッフさん達には頭が下がります。

 

不思議なことに、長男を支援してくれる人達の多くは俊足でした! 

何処へ走って飛んでいってしまうかわからない長男を追いかけたり、そんなことを何年も繰り返して、今は楽しみながら歩く長男を守りながら歩いて下さっているんです。

 

 

人の繫がりはすごい。人の繫がりは暖かい。

長男の周りは、そんな人達でいっぱい。

 

けれど、一般的にも障害者の福祉業界では、どんどん人が減っている現状があります。

その歯止めをかけるには、どうしたらいいんだろう。長男の周りも、その波は止められない傾向にあります。

 

感謝の先に、これからもずっと関わってもらえるかどうかの不安と、それでも生活のために辞めるスタッフを引き止められない現実と、親にできることはないのかというジレンマとが入り交じります。

 

ただただ願うことしかできません。

人と心で関わることを生業にしている人達が、自分自身も安定した暮らしをしていける、そんな日々が実現しますように……。

そして、長男もまた、人を好きなまま、この先もずっと人と関わり続けていけますように……。

 

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120才まで生きたい

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昨年のお盆は父の初盆でした。いやぁ、しきたりの多い地区での初盆は、なかなか大変でありまして、認知症を患っている母の代わりに執り行った姉は、随分と疲弊してしまっていたのでした。

 

そして、今年の初盆というと、昨年の秋に亡くなった甥っ子の番になったのでした。

甥っ子は関東在住なので、完全に身内だけで済ませることができて、父の時のように姉が疲弊することもなく、心穏やかに冥福を祈ることができました。

 

もちろん、旦那は長男ということで、我が家のお盆も例年通りの通常運行。義母から習った通りに、3日間お膳を上げてお勤めも果たせたと思います。

 

ところで私は、姉、兄、私の三兄弟で、取り敢えず我が家の直系の血筋としては、父が亡くなった今は兄が跡取りということになります。

ところが、兄の子供は二人。長女と、長男である甥っ子です。

その甥っ子が亡くなったために、私の実家の血は、兄で途絶えることになるのです。

 

そもそも実家の名字は、実家のある県の中で1軒しかありません。

兄が実家に帰ってくることもないし、本籍も移しているので、母が亡くなれば、この名字はこの県から消え去ってしまうことは、昔からわかっていたことではありました。

 

ただ、父はまるで先を見越したかのように、私達子どもには

「何もこの家にこだわることはない、自分達の暮らしをしっかり立てていければ、何処にいてもいい。この家がなくなっても構わない』

と言っていました。

 

そんな今年の初盆は、私の大事な友達の親御さんも亡くなったり、お世話になった人達が多く、今年の草葉の陰は、私の大事な人達であふれています。

 

不謹慎ながらも……と前置きをして、私の幼なじみが語った言葉が

「若いときはご祝儀で破産しそうだったけど、この年になれば、お香典で破産しそうよね」

冗談のように二人で話しながら、お互い世代が移り変わっていくことを感じとっていました。

 

あと数十年もすれば、間違いなく自分達の番になるのです。

でも、私は長男を残して死ぬことは、まだ解決法が見つかっていないのでできません。

夜中に脱走をしてしまうので、親亡き後に預かってくれるところは見つからないだろうと、はっきり言われたことがあるのです。

 

例え、グループホームを建てることができたとしても、長男はその中に入ることができないかも知れないのです。

次男に長男を体ごと託すことはするつもりはありません。次男の人生を守るのも、親の責任だからです。

 

今の現実を鑑みると、長男は私達と暮らすということでしか解決法は見つかりません。つまり、長男よりも長生きするか、自分が死ぬときに一緒に連れて行くのか……。

 

この考えは時代遅れのようでいて、こんな家族はまだまだたくさんあるような気がします。

 

それで、幼なじみと親友の三人で、メッセンジャーでやりとりをしたとき、私が「120才まで生きる!」と書いたら、幼なじみと親友が、自分達も120才まで生きる! それに付き合うよ! と言ってくれたのでした。

 

それも現実的ではありません。でも、こんな話しができる場所があるのは救われます。

 

私が元気で120才まで生きて、長男と一緒に暮らし続けることの方が不可能なのか……私が死んでも、どこか笑顔で暮らしていける場所が見つかることのほうが不可能なのか……。

 

どちらであっても、将来の長男は幸せで、将来の次男も自分の道をしっかり歩めていますように……。

東京に滞在していた時、神社で手を合わせてそうお願いしてきました。

 

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さよなら東京。母は帰りも珍道中!

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というわけで、次男と東京最後の夕食を済ませて、次男のマンションに戻りました。

もともと1週間分しか用意していなかった荷物が、季節をまたいで滞在したおかげで、スーツケースはパンパン。

翌日は早朝に起きて、敢えての成田から、LCCの飛行機で福岡に戻ることにしました。

 

翌朝、これまた東京最後の朝食を済ませ、キッチンもしっかり片付けて、いよいよパンパンのスーツケースをゴロゴロと引きながらマンションを後にしました。

 

思えばこのスーツケースをゴロゴロ引きながら、空港から直行した病院まで、田舎ものの母は迷い迷って、病院最寄駅から6〜7分のところを、40分も掛けてたどり着いたのでした。

 

到着して最初に目にした次男の姿に、40分歩き回った疲れなどブッ飛んで、次男の先行きを案じる方が優ってしまいました。

 

1週間と思って上京してから2ヶ月、あの日ベッドで寝たきりだった次男が、歩いて駅まで見送りに付いてきてくれました。

 

いつも使っていた駅ではなく、成田への乗り継ぎを考えて、少し遠いもう1つの最寄駅へ向かい、到着すると「じゃあね、気を付けながら頑張るんだよ」とだけ言い残して、改札に向かいました。

 

ところが我ながらおかしなことに、改札出口側から入ろうとして、正に改札を出ようとする団体にひんしゅくを買ってしまいました。

 

慌てて入り口に移動したのですが、その時ふと振り向いたら、向こうに向かって歩く団体の流れの中に、一人こちらを向いて立っている次男の姿が見えました。

 

その時、今日までずっと私が心配し続けた次男が、今度は私を心配そうに見ているのです。

 

そうして次男はその団体に紛れて姿が見えなくなり、私は構内に入る流れに流されて、それが東京での、次男の闘病を見守るだけの日々に、区切りをつけた瞬間でもありました。

 

結局私は、次男の心配通りにお上りさんであることは間違いなく、改札口の失態から次は降りる駅を間違え、おかげで時間が押したので、結局、最初は予定にしていなかったスカイライナーを利用することにしました。

 

都会は電車を間違えても、数分でまた電車が来るので、降りる駅を間違えても、田舎のように深刻なことにはまずなりません。

けれど、スカイライナーの特急券の購入がイマイチわからず、係の方に親切に教えて頂きました。

 

旦那いわく、きっと1日にそんな人、一人はいるよね……。

この日はそれが、私だったわけです。

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無事成田に着くと、今度は第三ターミナルまで670メートルほどの距離を歩き、ようやく到着すると、今度は自動チェックイン機が見当たらないという事態に。

 

入り口の所のインフォメーションに尋ねると「さぁ〜、どこでしょうか……あの団体の辺りに行ってみればわかるのでは?」

と指をさしながら言われて、ちょっとだけ口が開きました。

 

とはいえ、色々言ってもいられないので、お礼を言って団体の側に行ってみると、その人垣に紛れたように、ちょっと想像を超えた場所にあったので、福岡や羽田のチェックイン機を思い出し、恐るべし、成田空港……と思ったんでした。

 

しかもチェックイン機に入力すると、チケットは発券口から出てきているのに、モニターには「発券できません」と表示されて、どっちじゃーっっっ! とパニクっていると、すぐ後ろの係員さんが「お客様、これで大丈夫です」と言ってくれたので、何とかそこもクリアとなりました。

 

それにしても、心臓に悪い……。

 

荷物を預けるため、順番を待ってカウンターに行き、スーツケースを計りに乗せると9Kgと表示されました。

係の人が「それも」と指差すので、肩に掛けているバッグもなんだ……とスーツケースの上に乗せると、何と13Kg。

私、4Kgも肩に掛けておりました。驚き。

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保安検査場も無事に通り抜け、その先でお土産を買い、ざっくりと「←国内線」「国際線→」とデカデカと書いてある壁の「←国内線」に沿って歩き、ようやくゲートラウンジに到着しました。

 

けれど、大きなガラスの壁から、飛行機らしき物が見えない。

んん???と思ってガラスの壁に近づくと、いました!

小さくて可愛い飛行機が。

しかも、小学生の時以来のタラップでの搭乗。

 

実はLCCは初めて乗ったのですが、確かに狭いし音がなかなか賑やか。

でも、私的には大して気にはなりませんでした。

 

私の隣は、まだ就学前くらいの小さな男の子とお母さんでした。

「当機は間もなく離陸します」と言われて、思いの外長い滑走時間に、男の子が「……飛ばないねぇ?」とお母さんに聞いていたのが、ちょっと可笑しかった。

 

このまま、目的地まで滑走のままで到着するんじゃないかって位走って、無事空に飛び立った時は、男の子は既に飽きていて「飛んだね」と何とも薄い反応に、また笑ってしまいました。

 

到着は佐賀国際空港です。

旦那と長男が、ドライブがてら福岡から迎えに来てくれました。

ロビーのソファーに座っていると、そこに二人がやってきて、長男が満面の笑みで迎えてくれました。

 

その瞬間、なんだか報われた気がして、力が抜けました。

長男の笑顔にまた会えたことが、本当に嬉しくて、長男をずっと守ってくれていた旦那にも、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

久しぶりの我が家は、やはり落ち着きました。

思ったほど散らかってもなく、旦那の頑張りがよく伝わりました。

 

実は私が病院で最初に次男の姿を見た時、この姿は旦那にも長男にも、しばらくの間は見せられないと思いました。

多分、ショックを受けるだろうと思ったから。

 

ビデオ電話ではなく、電話の声だけで状況を話したのですが、やはりそれだけでも、旦那は眠れなかったそうです。

案の定でした。

 

退院してから、やっとビデオ電話をしましたが、その時の長男の嬉しそうな顔は忘れられません。

兄弟で、何度も何度も手を振っていました。

 

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東京に行くにあたって、私は支援基幹センターに、もしもの時は長男をお願いしますと言って上京しました。

 

次男が高熱と呼吸困難に見舞われていた時、実は旦那は、イザとなった時は自分も東京に行くことを考えていたそうです。

でも、東京に行くために、長男をどこか施設に緊急で預けることは、一切考えなかったらしいのです。

 

長男と一緒に行くためには、飛行機ではリスクが高いと思い、本気で二人で車で来ようと思っていたというのです。

そのために、ルートや駐車場も検索していたと。

 

そうでした。うちはそうやって、いつも一緒にいることの方を選んで来ました。

 

そして、今度は夏休み、次男の帰りを待つ番です。

9月の2週間ほどの間、また家族が揃うことができます。

 

そうして私はまた、日常に戻り、今日に至っています。

 

 

リハビリ散歩〜あの日々を辿る

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実は、私が次男のマンションを離れて帰宅してから、かれこれ1ヶ月以上が過ぎました。

今回は、ちょっと思い出しながら書くリハビリ散歩。

なんでしょうね、なんかね、当時を思い出すと、私も結構精神的にキツかったように思うのですが、このリハビリのつもりの次男との散歩が、それを全部チャラにしてくれた気がするんです。

 

福岡に帰ってからは、自分が運営するサイトのために取材に出掛けたり、勉強会に行ったり、調べ物したり、色んなことをしていました。

本来の放課後等デイの仕事も復帰しましたが、まぁ〜時間の使い方がへたっぴ過ぎて、何でもかんでもゴテゴテですがな(汗)

 

それにしても、東京ほど人混みもない田舎の都会を歩きながら、時々あの散歩の日々を思い出したりするのです。

散歩をしながら、これからもこの子は何とかやっていけるだろうと、湧いてきた思いつきのような不思議な感情が、今は確信に近いものとなりました。

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東京の夕方は、九州よりも早くやってきます。

夕方の風を受けながら、次男のマンションからのんびりと、池袋の街まで歩きました。

この街は、旦那も長い間住んでいた場所です。

 

目的は買い物や食べ歩きなんてことではなく、ただひたすら歩くこと。

休憩場所にSEIBUデパートの屋上にある「睡蓮の庭」を選び、ここでものんびり過ごして来ました。

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そこはフードコートのようにもなっていて、バーベキューもできるので、次男がバーベキューの匂いにやられ始めた所で、睡蓮の庭を後にして下界へと降りました。

 

本当はバーベキューをしても良かったのですが、取り敢えず向かったのは、予々次男が情報をゲットしていた超人気店のカレー屋さん。

いえね、何となくそんな気はしてましたが……カレー屋さんは2時間以上待ち。人気店に、予約なしは通用しないよね。

はぃ。そんな気はしてました。

 

ということで、次男が福岡から友達がやって来ると、いつも連れて行くというリーズナブルな餃子屋さんに行くことに。

母としては、そっちの方が興味あり。

知っている高校時代の次男の友達の名前がポンポン出てくるので、ここで次男と彼らが、賑やかに食べている姿が想像できてしまいました。

そんな友達の話を聞きながら、ほうほう、へぇ〜、と話が弾みました。
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ほんとや。うまし。まんぞく。

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翌日、診断書のことでリハビリ病院に2人で行きました。

玄関口で、お隣のベッドだった方の奥さんとバッタリ。そこで話が弾む弾む(笑)

退院して数日しか経っていないのに、まるで同窓会のような会話になってしまったのが可笑しかった。

お互い、がんばろぅね〜! なんて声を掛け合い、その場から離れました。

 

この際だーっ!

ということで、その帰りに急性期でお世話になった病院にも立ち寄ることにしました。

診察してもらう訳ではないので、本当に立ち寄るだけという私の思い付きは、次男にとっては何とも……という感じだったかも知れないけれど、強行した私に、次男も笑って付き合ってくれました。
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特定疾患なので、追跡のために10月に再診することになっています。
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さて、来ただけでは次男にも申し訳ないので、1階のスタバにて一休み。

治療は辛かっただろうけれど、ここで出てきた思い出話には1つも「ツライ」というキーワードは出て来ませんでした。

次男らしいなぁ。

 

さて、病院の周りも少し歩いてみました。

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入院中に通りかかった、こんな風だったツタだらけの家。

それがこんな感じに。進化中でした。

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あれから更に、人の屋内侵入は許してくれそうにありません。
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人じゃない方がいらっしゃいませんように……。

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前に歩いた時に、つつじ祭りがあっていた、あの根津神社

もう夕方6時を回っていたので、神様も戸を閉めていらっしゃいました。
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「これさ、根って書いた時点で、しまった!大きく書き過ぎた‼︎  って、だんだん字が小さくなったパターンやん 」

……どこまで父親と言うこと似てるんじゃい。
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ピシャリと閉められた戸と門の前で、手を合わせて「お世話になりました」とお礼を申し上げて来ました。

ここの土地神様ですからね。

そのすぐ側で、懸命に治療していただいて、ここまで回復できました……と報告をしました。
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後楽園駅

毎日、ここから乗り換えをしていました。f:id:hisakokk:20190623022427j:image

バイトは、ドームを突っ切って歩いていくんだそうな。翌日は、ドームの周りものんびり歩いてみました。
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シビックセンター の展望台も、今回は今日が最後だと思いながら、長い時間、次男と都会を上から眺めました。

スカイツリーは、私が空港から病院に駆けつけたあの日も、そしてシビックセンター の展望台から眺めたこの日も、変わらずにどっしりと存在していました。

 

次男に何が食べたいのかを聞いたら、久しぶりに「お寿司」との返事。

池袋に移動して回るお寿司に行きましたが、行列ができていたので、予約票に名前を書いて、待ち時間の間再び、でも今度は夜の睡蓮の庭へ。
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無事にお寿司にもありつけました。

次男の嬉しそうな笑顔で、遂にファイナルです。

翌日は朝から、私は空港へと向かうことになります。

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リハビリ散歩〜皇居外苑と日比谷公園をぷら〜っと歩く

伸びきった髪を切りたいという次男の願いを叶えるべく、銀座に行って参りました。

貧乏苦学生ゆえ、安くなるクーポン券を使いながら、美容室を渡り歩いているようです。

 

お昼12時の予約で、1時間ほど母はスタバで過ごし、その後また落ち合って、昼食と致しました。

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やっとスッキリできました。
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お昼休みに重なる時間帯でもあるので、あちらこちらの店で行列ができている中、ゆっくりできそうな喫茶店なるものを見つけました。

お店自体には歴史があるようで、店内の全ては懐かしい昭和な香りがぷんぷん。次男よりも私の方が、その空気感を知っている分落ち着く感じです。
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いわゆる喫茶店のパスタです。

柔らかい麺が何とも……。でも、昔はこれがオシャレな食べ物だったんですよね。これぞ、ザ・喫茶店メニュー!

懐かしき味でございました。

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食事を終えると、東京駅方面に向かって高架橋の横を歩きました。

電車を走らせる高架橋は、眼鏡橋と同じ形状のレンガ造りで、これを見た時、小さい頃住んでいた家の側の眼鏡橋を思い出しました。

そこで遊んでいた時の記憶が蘇るほどの、レンガの綺麗な配列と、いい感じに年季の入った赤茶色です。

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どんなに古くなっても、綺麗だと思えるものを作れる日本人は凄いなぁ。

この高架下を利用した店舗もたくさんあって、それを横目に東京駅へと進みます。
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東京駅構内の天井。

テレビでよく見ていたのはコレだったか〜。

 

東京駅というと、5年もの時間を掛けて復元工事が行われましたが、この歴史ある建物を保存するためには、関わった多くの人達の壮絶な苦労があったとも聞いています。

 

良いものは残す。

本当は新たに駅ビルを作った方が楽なはずなのに、先人の思いと歴史を引き継ぐための大事業でした。

そうやって残していくことが、人々の誇りにも繋がっていくのでしょう。

 

そういえば、東京駅の中にある干支が12支揃わない、という謎が最近解明されましたね。

残りは、私が高校時代に合宿などで皆と利用していた、武雄温泉の楼門にあったのには仰天しました。

東京駅の設計者は佐賀の唐津出身の方ですが、そんなミステリーの解答を、自分の出身地の佐賀に残すとは……。

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それにしてもこの建築物の美しさ。f:id:hisakokk:20190618202604j:image

辰野金吾さん、お見事です!

 

東京駅から少し歩いて、皇居外苑もちょっとだけ。

皇居外苑はとても広いので、今の次男では全ての踏破は難しい。

というわけで、二重橋から桜田門までを歩きました。
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二重橋

ぉお!これもよくテレビで見るぞ!(お上りさん全開)

そこから振り向くと……

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ビルと松の木の不思議なコントラスト。f:id:hisakokk:20190618202532j:image

桜田門

たくさんのランナーさん達が、ここをくぐって走っていました。

次男も今はまだ走れないけれど、気持ちは走ってる感じでくぐってみました。
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この門の重々しさと美しさ。

桜田門外の変が、正にここで起きたのだと思うと、えらい場所に立っているという実感が湧いてきました。
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お堀の向こうには、お国の大事を決める会議が行われる建物が見えました。

 

皇居外苑は、歴史探訪には興味深い場所です。

ご先祖である菊池武時が一緒に戦った、楠木正成の像もここにあります。

 

次男がしっかり歩けるようになって、また一緒に、まだ見ていない苑内を回りながら、のんびり散策する日がいつか来るでしょうか。


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皇居外苑を離れ、今度は日比谷公園を訪れてみました。

公園内に入ると、突如と存在感のあるオブジェのようなものが……。

近寄ると、大きな鐘でした。

何やら説明が書いてあるらしきプレートが……。


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英語で書いてあったので、次男が読み解いている間、母はその反対側に日本語訳のプレートを、既に見つけてしまっていました。

次男の和訳は、取り敢えず間違いはなかったようです。

 

この鐘は「自由の鐘」といい、アメリカ独立宣言の時に鳴らされた鐘のレプリカらしいです。

正午になると鐘の音が聞けるそうで、一度その音色も聞いてみたい。

 

そして、なんと公園内ではビールのイベントが催されていました。
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ビールとつまみの世界が、公園内に広がっていました。

あの店、この店の前で、呼び子のお兄さんお姉さんに声を掛けられ、ビールを勧められるのをかわしながら、まずは全店舗を一周。
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青い空が広がっていて気分も良かったので、財布の紐をちょこっと緩めて、イベント会場の椅子に座りました。
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ビール好きの人達が、色んな種類のビールで大盛り上がりでした。

見ると、そのほとんどは会社帰りやカップル、女子会のグループでした。

そんな中、ビールには手を出さずシラフのまま、つまみのソーセージとポテトを長い時間かけて堪能する、この中では珍しかったであろう親子の構図を貫きました。
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青い空と白い月。

ゆっくりとした時間も、またご馳走です。

 

帰り道で夕食リクエストを聞いたところ、煮魚が食べたいそうで。

母が腕を振るうのも、あと数日。

 

リハビリという名のお散歩してます

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病院で、リハビリで作ったドラえもんもドラミちゃんも、無事に次男の家の家族になりました。

さて、これからは復帰後の日常生活に、1日1日挑むことになります。

 

朝起きぬけにトイレに立った次男ですが、いつ倒れるかヒヤヒヤする程に、ヨロヨロというより、カクカクとした動きで歩いていました。

数歩でトイレにたどり着くので、こういう時は狭い部屋というのは好都合です。

 

起きてすぐは、筋肉が硬くて動かないため、時間を掛けてストレッチをする必要があります。

結構痛いらしく、入院中から、筋トレよりストレッチの方が汗をかくしキツいと言っていました。

これからも毎日、ベッドの上で、病院で教えてもらったストレッチで体をほぐすところから1日を始めることになります。

 

不便なことも、自分なりに工夫する方法も身につけていく時間が、しばらくは必要かも知れません。

ただ歩くだけでも、階段などは転ばないように、なるべく手すりの横を歩くとか、走れないので、信号がまだ青でも、間もなく点滅しそうなら一つ見送るとか、そんな小さなことが大切になってくると思います。

 

そして、それを学びつつ筋肉を付けるためにも、歩くことは必要になります。

あと少し、私がいる間はリハビリと称して、一緒に歩いてみることにしました。というか、次男が私の意向に合わせてくれているというのが本当かも知れません。

 

まずは退院して1日目は、近所を散歩してみました。

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護国寺

 

しばらく歩くと、立派な門構えのお寺がありました。ここは、猫が沢山いるお寺で有名らしいです。

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なるほど、中に入ってみると、我が物顔の猫たちがあちらこちらに。次男いわく、それでも今日はあまりいない、とのこと。

見るからに、みんなノラちゃん達です。でも、痩せている子たちはいないし、全く逃げる様子もないことから、ここでは生きていくには事欠かないのだろうと思いました。

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建造物も、色あせていても何だか美しい。扉は閉まっていて、御本尊さんとはお会いすることが出来ませんでしたが、屋根の下の門番さんたちには会えました。

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肉球がある〜。
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レトロな電灯が、あちらこちらに下がっていました。かわいい♪

我が家にこんなかわいい電灯を下げたら……と想像したら、長男が一瞬で引き落として爆笑している姿が思い浮かびました。

ダメじゃ……ここで目で見て堪能するに留めておこう。
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ここには、一言地蔵尊という方がいらっしゃって、一言だけ願いを叶えて下さるとか。

扉を開けて、お線香があったので隣にあるマッチを開けると、そこにあった2つとも空でした。結構沢山の方がお参りに来られるのかな?

子どもたちが幸せであるように、お願いをして来ました。

 

他にも大きな大仏さま、六地蔵さま、身代わり地蔵さま、たくさんの石仏さまたちがいらっしゃって、ちょっと写真を撮るのは申し訳ない気がして、撮影は控えました。

 

本堂の他にも、説明板を読むと、とても価値のある建造物がたくさん。

割と近いので、帰る前にもう一度行けたらと思います。

 

さて、翌日は「髪を切りに行きたい」という次男にのこのこ付いて行って、皇居や日比谷公園辺りを散策しました。

それはまた、次回。

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↑次男が髪を切っている間は、スタバでまったり。