宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

父、事務所を引っ越す。そして息子の絵は2語文に!

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親子3人でさよならをして来ました。

コロナの波は働き方にも影響を及ぼしました。
長年事務所として使ってきたこの場所も、この日でお別れです。

作業場であり、セミナー会場であり、スタジオであり、宴会場でもあったこの部屋も、セミナーや飲み会はすっかりオンラインに場所を移したことで、ここまで広い部屋は必要ではないだろうという判断です。

 

スタジオも自宅でなんとかなりそうなので、とりあえずは荷物を自宅に運び出すため、業者さんにお願いして引越し決行となりました。

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事務所の前の道は狭いながら、車も人通りも多く賑やか。
雑多なショップや飲食店が軒を揃えていて面白い。
市内の中心にありながら道が入り込んでいて、歩いているだけでも楽しい場所です。

私も息子達も、度々訪れた場所。
少し寂しくもありますが、そんなことも吹っ飛ぶ、今度は我が家に運び込まれた荷物の、片付けという作業が待っています。

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最後に長男も事務所について来てもらい、この部屋とのお別れをしました。


実は休日に引越しを決行。
事務所にあったはずのものが、どんどん我が家に運び込まれるのを目の当たりにした長男は、説明はしておいたものの、なぜこんなことが起きているのか、今ひとつ理解が追いつかなかったようでパニックになってしまい、大泣きと父親と私に他害が出てしまいました。

 

引越しというイベントについて、重い自閉症の長男には説明も理解も難しい・・・やはりこうなったか。

 

ということで敢行した「ありがとう、さよなら」の儀式。

引越し後の荷物がすっかりなくなった部屋を、親子3人で掃除をして、この部屋に訪れることは、今後ないことを再度説明したのでした。

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「綺麗になったね。ありがとう」
と言うと、この笑み。

長男もどうやら解ってくれたようです。

 

そして記念に3人並んで、この部屋での最後の写真を撮りました。
長男もいつか、その写真を見て懐かしいと思う日が来るのでしょうか。

 

部屋を出て鍵を閉める時、部屋に再度向き直って「ありがとう、バイバイ」と言いました。

長男も、静かに手を振りました。

 

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さて、事務所には大きなホワイトボードがありました。
長男にとっては、以前は破壊対象でしかなかったホワイトボードです。
それが長男を囲んでいる支援者によって、すっかりコミュニケーションのツールに生まれ変わったのでした。

 

それはこちらで書いています↓

tetote-net.com

 

今回の引越しで、旦那はこれを処分するつもりのようでしたが、これを敢えてお持ち帰りしました。
そしてリビングの壁にどどーーーん!と立て掛けたんでした。

息子が破って剥がしてしまった壁紙も隠れてしまって、なかなかいい感じ。

 

さて、こちらに鎮座したホワイトボードには、私が最初に書き初めをしたのでした。
書いたのはコレ!

 

息子がよくカレンダーに書き込んでいる「H」
ディーラーに行きたいと意思表示してくるために書く「H」

 

それもこちらで書いてます↓

 

hisakokk.hatenablog.com

私が書いた後に旦那もすっ飛んできて「H」と書いてニヤニヤ。

 

それを見ていた長男。
いやいや、君たちの「H」は甘い、まだまだだのぅ・・・と、のっそりと歩いてきて、ふふふと笑いながら「H」と書いてくれたのでした。

 

と言うわけで、親子3人の「H」は完成!

これからこのホワイトボードでも、どんなコミュニケーションが交わされていくのか、ちょっと楽しみでもあるのです。

 

そして、そのコミュニケーションについての進化が見られました。
言葉を持たない長男が描いた絵。


なんと2語文になった!!


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「ディーラーに行って飲み物のみたーーーい!」

 

旦那、早速ディーラーに洗車の予約を入れたのでした。

引越しの片付けの手を少し止めて、息子の願いを叶えよう。

明日は晴れるよ!

 

旅に出ました!(一瞬の)

飛行機での旅ではありません。
福岡の上空は毎日こんなもんです。

さて・・・

「旅に出ます!」

「ん、ん?」

 

この、すっとんきょうな旦那と私の会話から始まった、私の旅(?!)のお話。

博多駅みどりの窓口は、いつも混み混み。

ということで、特急も停車しない駅を出発点にして、まずは切符を買うことにしました。
案の定、私の前にはひと組しかいないみどりの窓口

 

「往復券が欲しいんですけど」

「それなら2枚切符の方がお得ですよ」

 

ほんとやん!
片道にちょっと上乗せくらいで買えました。しかも席も指定可能。

とりあえず、まずはここから2駅先の博多駅へGO!

 

博多駅からはこちらに。

 

 

敢えて指定席にはせず。
車内アナウンス「指定席は満席でございます」

自由席はガラガラでございました。

 

まぁ色々と複雑な過程がありまして、西九州新幹線が開通したことで「リレーかもめ」という特急列車が誕生したのでした。
このリレーかもめ1本で懐かしい場所へ向かいます。

さて今回の旅、ことの発端と言いますと、旅館の息子さんにみそめられ、遠い遠い淡路島の地にお嫁に行った地元の友達が帰ってくるというので、その情報をくれた同じ地元の友達と「会おう!」と盛り上がってしまったことにありました・・・。

 

来年還暦を迎える人たちのLINEとは思えまい・・・。

 

そういえば、淡路島に嫁に行った友達の結婚式の思い出。

彼女のお父さんが
「おりゃぁ(俺は)悔しか!!」
と、可愛い娘が遠くに嫁にとられる悲哀を大声で叫んだのでした。

 

それに間髪を入れず、彼女の親戚が「もう諦めろ!」と、こだまを返したのが面白いやらほっこりするやら・・・。

私も幸せで寂しい、お父さんの気持ちが1ミリだけわかる気がしたのでした。

 

声をかけてくれた方の友達は、ゆったりとした喋り方と、怒ってモノ言う時もなんだか柔くて気迫がこもらない、ほんわかした温かさがあって、彼女といると居心地がいいのです。

そんな彼女達と会いにいくのです。

 

 

わくわくわく

 

 

 

少し前までは、自分のために遠出をするなんて考えられませんでした。

息子を置いて、丸一日たったひとりで自分の楽しみのために時間を使うことは、何だか悪のような気さえしていました。

やむを得ない理由がなければ、出ていくことは憚れました。

 

でも、この日はそんな思いも微塵も感じませんでした。

いつもなら移動は車。
どこに行くにも、息子の緊急時にはスッ飛んで行けるように。

 

でも、この日は旦那が息子の事業所にもお迎えに行って、夜私が帰ってくるまで息子を見ていてくれます。

 

わくわくわく

 

落ち合った駅は、私たち3人が高校時代を過ごした場所です。
当時はディーゼル車で、この駅に乗り降りしていたのでした。
でも、私たちが青春を過ごした時の駅舎は、すっかり跡形もなく変わってしまっていました。

 

さて、新駅舎になってから降り立ったのは初めてでしたが、あの二人は駅で出迎えると言っておきながら姿が見えません。

 

「どこや?」「どこや??」とLINEを飛ばし合いながら『在来線』と『新幹線+リレーかもめ』の改札口は、完全に別だということに気付き、やっと出会うことができました。

 

高校生の時、列車が到着するギリギリの時間にジャンケンをして、負けた人が全速力でポテトチップスを買いに行くという迷惑な遊びをしていたキオスクは姿を消し、何だか立派なショップとカフェが駅舎の中にありました。

 

そこを横切りながらも「うそぉ〜」「こんなんじゃなかったよ、武雄駅ぃぃぃ!」という言葉が口からこぼれるこぼれる・・・><

 

すっかりこの町自体変わってしまっていて、私たちの通った高校も建て替わり、たわいないお喋りをしていた喫茶店も、貸しコード店も、映画館も、色んな場所がなくなってしまっていました。

 

けれど昔のままの通り、通った古本屋、変わらない建物も見つけて、ちょっと嬉しくて、ノスタルジーにもかられてしまいました。

そして名物の楼門も、変わらずにそこにいてくれました。

 

さて、居心地のいい友達が予約してくれていたお店に到着。
いつもは満席、なかなか予約も難しい人気店らしく、それはこの後、納得や〜!と相成りました。

 

しかもこの日はラッキー日だったようです。

 

なんかいっぱい綺麗に盛り付けられていました。
全部食材の説明を聞いたけれど、なんか難しくてなんの記憶にも残らず。

でも、味は記憶にしっかりと残りました!

 

んまっ!(ほんと!)

 

3人とも別々のパスタを注文して・・・

シェアしまくる。

贅沢贅沢。

 

メインが豚肉なんだけど、還暦真近のおばちゃん達には有難いくらいに柔らかい。

 

んまっ!(ほんとほんと!)

待ってましたー! 2種のデザート!

 

たくさんの小鉢で出てくるから・・・という理由らしいけれど、そんなお店のインスタはコチラ↓

「ワイン食堂cobacini」

https://www.instagram.com/cobacini/

 

幸せな胃袋と一緒に会話も弾む弾む。
昔話も記憶の底から滝のように流れ出て、ランドセルを背負っていた頃から制服を着ていた頃のエピソードまで出るわ出るわ・・・。

 

老化してる脳が、今まさに活性化してるよね!

そんな会話の中から、現在の私たちの地元の話にも及びました。

 

何やら地元も道路拡張がされるとか、温泉付き高級旅館ができるとか、変わりつつある町の様子を教えてもらったのでした。

 

さっぱりそんなことになっているとは知らなかったので、想像できないなぁなんて言っていると、「じゃあ!」ってことでこの二人に拉致された私は、友達の車で地元の町まで足を運んだ、いや連れ去られたのでした。

 

変わりゆく場所を車の中で教えてもらいながら、時は経ったのだと実感もせざるを得ないわけです。

変わってしまうと寂しくもあり、でも変わらなければ時代遅れなんて思ったり、人間なんて勝手なものです。

 

そうして行き着いた先は、今回帰省してきた友達の実家。
彼女のお母さんが、懐かしい顔で出迎えてくれました。

 

昔のまま、相変わらずに勝手口から勝手にキッチンに上がり込み、あれを食べな、これも食べな、と昔と同じようにお母さんにもてなしてもらい、子供の頃の自分がそこにいるような気さえしたのでした。

 

笑った笑った。

嬉しかった嬉しかった。

 

懐かしかった懐かしかった。

 

そして温かかった。

 

そんな旅の終わりを迎えるために、地元の駅まで送ってもらった私は、今回思い切って電車に乗る決心をして良かったと思いました。

 

地元の駅は、駅舎は建て替えられたもののプラットホームは昔のまま。
古き良き時代、朝ギリギリに走り込んで列車に飛び乗ると、すっかり顔を覚えてくれていた車掌さんもいて「今日も間に合った!良かったな」と言ってくれてたっけ。

 

考えてみると、迷惑を掛けっぱなしだった高校時代。
大人達に見守られながら過ごせた事も、今なら解ります。

この町を離れるために2枚切符のもう一枚を使って特急列車に乗り、やっぱり満席の指定席ではなく、席が結構空いている自由席に落ち着いたのでした。

 

この山は高校の近くにある、この町のシンボル的な山。
毎日この山を見ながら通学していたんだった。

列車の窓から不思議な光が筋を立てていました。

 

旅も終焉が近づくと、居心地のいい友達からラインが。

「うちに帰るまでが遠足です。気をつけて帰ってね〜」

 

そうか。

 

遠足だったか・・・。

 

旅と言い切っていたけれど、日帰りだったしな。

夜も20時超えての帰宅。
旦那と長男は待っていてくれました。


帰宅した私に旦那いわく
「即席でできるトルコライスの素、買ってるよ。ご飯は炊いてる」

 

旅のトドメは晩御飯作りでした。
まぁ、旦那は仕事の締切を山のように抱えて、仕事をしながら長男を見ていてくれたのでね。

 

こうして私の旅、いや、遠足は幕を閉じたのでした。

 

袋の裏を凝視しながら作るもイマイチ上手くいかず。
でもまぁ、家族三人で食べる晩御飯は、何はともあれ

うまっ(笑)

罪作りな梅雨の時期に、長男が見せた成長

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梅雨の合間の雲から覗く月。

今年も七夕は雨でした。

 

梅雨の時期というのは、割と体調も気持ちも空と同じように、重くてスッキリしません。

 

私達でさえ、も〜、なんなん?毎日毎日……と愚痴をこぼしたくなる最中に、長男も、自分の頭をポンポンと軽く叩いては「あー、あー」と訴えてきます。

 

「そうか、君もね。」

言葉を持たない長男の頭を撫でながら、頭が重いのか、痛いのか、私も長男を慮りながら返事をします。

 

それができなくて、どう訴えればいいかを知らなくて、泣いて大暴れしていた少し前までのことを思えば、何とか気持ちを伝えて、周りの共感を得る方法を知った今、本当にすごい成長を果たしたのだと思ったりするのです。

 

さて、そんな罪作りな梅雨の最中の出来事。

 

長男、突然「書くよ〜〜〜」とマジックを手に取り、ブンブン振ってニンマリな表情。

ん?何事?と思って動向を伺っていると、長男はズンズンとカレンダーに突進して「H」と迷いもなく書いたのでした。

 

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おぉ! これは!!

長男と付き合ってくれている人たちは、すぐに判るコレ。

 

この「H」は、実は長男がよく絵を描くときに見られるホンダのロゴ。

つまり長男は「ディーラーに行きたーーーい!」と、こうして伝えてきたわけです。

 

そう。長男は行きつけディーラーがお気に入り。

優しい人たちはやっぱり好き♪

ジュースもくれるから、めっちゃ好き♬

 

これは以前も書きました。

 

hisakokk.hatenablog.com

 

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ん?待て待て、これは、まさしく今日の日付!

迷わずこのスペースに、ちゃちゃっと書いたではないかっ!

 

月のスケジュールをカレンダーで確認するようになった長男は、いつどんなことが待っているのか、人とのやり取りで確認することが、すっかりルーティンになっています。

 

ここで大事なポイントは、人とのやり取りが好き!というところ。

 

いつもは私とのやり取りの中で「今日はココ、このイベントまで……1、2、3」とカレンダーを指差しながら一緒に日にちを数え、楽しみにしていてくれる訳です。

 

でも、今回は「今日はココ」なんて言ってない。

 

ん?まさか??

君は実は、今日は何日とか理解しちゃってるんではないの??

 

ちなみにそんな疑念を抱きつつ、後日「今日はどこ〜?」と聞いてみると、ふふんと笑ってカレンダーから離れる長男。

 

もやるわぁ〜、でもなんか面白いわぁ〜。

 

という訳で、ピンポイントで今日という日に「ディーラーに行きたい!」と意思表示をした長男。

 

そうかそうか。
君の思いは叶えたい!

 

で、ディーラーさんに「洗車したいです!」と電話をしてみました。

 

ところがこの日、お客さんいっぱい過ぎて座る場所の確保も難しそうとのこと。

実はサービスの良さと人の良さで、人気店なのであります。

 

しかし、実は定期点検の時期が来ておったのでした。

それで早速予約を入れ、長男に交渉。

 

今日は人がいっぱいで行けないみたい。

でもね、来月8日に行けるよ!楽しみにしていよう!

 

えー?!っという顔をしつつも、取り敢えず受け入れてくれた長男にマジックを渡し、私は「8日ど〜こだ?」と聞いて試すことも忘れて(不覚!)8日を指差し「書いてね!」と。

 

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で、カレンダーを一日一日、8日を目指して指差し数えました。

これだけ待ったら行こう!

 

自分の想いを伝えようとすることも、それがすぐに叶えられなくて待つことも、君の成長で、君が頑張って学んできたからなんだよね。

 

さて、そうやって数えて待った点検日は、いよいよ明日です。

なのに梅雨は罪作り。明日の予報も大雨とな。

 

でも、長男の心の天気は「晴れ」になるのかも。

きっとね。

 

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8ヶ月を経て新入り登場!

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ちょいと前のお話ではありますが、我が家のトイレ事情のお話し。

今回、2代目が壊れて8ヶ月目にして、3代目がお目見えとなりました。

 

ひたすら仕事の合間にパソコンと睨めっこして、なんとか低予算で済まされないか頑張っていた旦那の想いが届き、やっと見つけたこの3代目。

やんわりとお伝えするためですので、なんかこの言い方はある筋の推しの方々に怒られそうではありますが、ご容赦ください。

 

3代目とは、この方のことであります↓

 

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3代目がやってくるまで、実は8ヶ月もの間、バケツを使って風呂から水を汲み上げ、人力で流しておりました。
その理由は、ある時水洗レバーが完全に折れて使い物にならなくなり、いっさい水で中を流してはくれなくなったからです。

 

1代目はこの家に引っ越して来た時、すでに割れている部分があり、2代目に交換する必要がありました。。

 

2代目は、本当に頑張ってくれて、長男の自己主張に付き合ってくれました。
個室が故、思いが吹き出すのか、探究心が増すのか、その主張は結局破壊に繋がってしまうことがほとんどでした。

 

便座には謎の長男の歯型が放射状につけられていたり、便座をもぎり取ろうとして、すんでのところで止められて曲がってしまったり、それでも2代目は、それを静かに受け止めていたのでした。

 

ちなみに今の施設でも便座を剥ぎ取り、小脇に抱えてトイレから出てきたなんて前科もあります。
それを、できたスタッフさん達は爆笑しながら話してくれて、親としては深刻に「大変申し訳ありませんでした」なんてならずに済んで、気持ちがすごく楽でした。

 

昔利用していた施設であれば、長男が何かを破壊した時、施設の方から深刻な顔をして報告をされ、謝罪や修理の費用について話し合うなんてことは山のようにありました。

 

あの時の精神状態は正直どん底でしんどかったのですが、今はそれがグッと少なくなっているのです。
長男の破壊歴が減少しているのも少しはあるものの、何より今のスタッフ達は柔らかい対応をしてくれます。

 

昔の定番は「息子さんが壊しました!」というセリフが迎えに行った時の最初の言葉でした。

でも今は「油断してました!すみません」「男性スタッフがいなくて、女性スタッフで外で見守っていたら、便座を小脇に抱えてトットットッと出てきちゃいまして・・・」

という話し方で、親を笑わせてくれます。

 

敢えて、このような対応をしてくれるのかもしれません。こちらも申し訳ない気持ちはありますが、また明日も、息子を元気に送り出して預けることができるのです。

 

ちょいと話はそれましたが、2代目の話に戻しましょう。


2代目は歯型や剥ぎ取り未遂の他に、止水栓をぶっちぎられた過去があります。
止水栓からは水がとうとうと流れ、あっという間に川となって廊下に水面ができ、その上をスリッパがザザーっと流されていくのを目の当たりにしました。

 

慌てて水の元栓を閉めて流水を止めたものの、そうなると水自体が使えないので生活できません。
旦那もなんとか仕事を終わらせて帰宅、しばらく止水栓と格闘し、なんと修理をしてしまいました。

 

旦那もこういうことが得意なので、障害が重く破壊魔の長男が我が家にやってきた理由のひとつになっているかもしれません。
世の中、ようできております(きっと)。

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あの日から随分経って、ついに2代目が自ら壊れてしまい、お風呂の水とバケツにお世話になる日が来ようとは。

しかも、3代目に出会うまでに8ヶ月も掛かってしまうなんて。

 

そうやって、3代目はやってきたのでした。
普通にレバーを回して水が流れた時は、「おぉーーー!」と声が上がりました。

そして業者の方が取り付け後に2代目をドナドナした時には、本当に「ご苦労様」という思いでした。

 

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そして今回、もうひとつの挑戦をしています。

 

破壊魔の長男なので、今までは敢えて便利なものは排除していましたが、満を持してこの方にも我が家にやって来てもらいました。

 

それはこの方↓


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まだ破壊されることなく、この状態を保っています(スゴいぞ!)。

 

長男よ、共生もまた大事なことです。
今回は可愛さ余って破壊した、なんてことがないように、ここにあるものを認めるということも学びながら生活してみよう。

 

いろんなことに成長をしながら頑張っている君なら、きっとできるよ、ね?


まぁ、もし破壊したらあのスタッフ達のように、笑い飛ばそうと思うけどね。

 

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母は一生分のありがとうを、ブラックホールの外に散りばめて逝った。

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私の母は厳しい人だった。
実際に母からは褒めてもらえたことなどほとんどなく、たとえば大学でトップの成績をとっても「お金がかかっているのだから、そのくらいできて当たり前だ」と言ってのけたくらいだ。

 

何か手伝っても「ありがとう」とは言われることはなく、むしろどこが出来ていないか指摘されて、やり直すように叱られることの方が多かった。

 

特に私の九つ上の姉にはさらに厳しかったようで、そのため姉は自立も早かったのか、私の母親のような役目もしていた。

 

そんな姉が関東から引き上げて来て、母の介護をずっと担ってくれていたが、認知症が進んで介護が厳しくなった母と、沼に入ったかのように徐々に戦いが激化していった。

 

母は睡眠障害により夜通し眠らない。しかも夜中に40回程もトイレに行き来して、姉は母のトイレの介助と、辺り撒き散らされた汚れの掃除を、外が白むまで続けるのが日課になっていたようだ。

 

さらには介護により姉自身も靭帯を損傷してしまい、ついに医師から自宅介護は厳しいと宣告され、そこからいろんなことが動き出した。

 

まずは睡眠調整のため、精神科へ入院したが、やむなく腸にゼリー状の異物が溜まったことで、外科のある病院へ転院。


この病気は3度目で、毎回名医が執刀してくれていたが、今回は一番厄介で腸の中にいくつもの袋ができてしまったため、ゼリー状の遺物は全て取っても袋は取ることができず、4度目もあり得るが手術は難しいだろうとのことだった。

 

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外科の退院が決まると、精神科から再び受け入れOKで出戻り転院となった。この頃から食事を摂れなくなって来て、点滴もだんだん血管に入らなくなってきた。

 

精神科を退院した後の受け入れを許可してくれていた施設が、その後の返事がうやむやになり出したため、母のその後が宙に浮いた形で、姉はまた母の介護を覚悟していた。

 

その間、ケアマネージャーからの連絡も対応もなく、担当者会議もないままに、精神病院側からもどうして良いものかと何度も姉に連絡が来た。

結局病院と施設への連絡係のようなことを姉がしていたが、ようやく施設が「受け入れますよ」と言ってくれたため、施設への移動となった。

 

施設での看護と介護は、スタッフの皆さんは本当によくやってくださった。

そして、スタッフの皆さんからはこんな言葉をいただいた。

 

「お母様はとても優しく、いつも"ありがとう”と言ってくださるんですよ」

 

驚いたことに、姉や私にはほとんど言ってこなかった「ありがとう」という言葉を、母は惜しげもなく1日にも何度も言っているというのだ。
しかも優しく、当然出来ていないところの指摘などもしない。

 

そもそも母は、周りの人たちからは優しく笑顔の人と言われていた。でも子供の頃の私たちにとって、それは真逆のように思っていた。

 

姉と私は、お互い顔を見合わせて笑った。
そうか。
私たちには言わなかった一生分の「ありがとう」を、母は命のあるうちに周りの人たちに言い尽くしているんだと。

 

私たちはブラックホールで、ありがとうや褒める言葉が欲しかったけれど、そこに母の言葉が吸い込まれていくことはなく、むしろ今、その外側に散りばめているんだなと思った。

 

それで良い。母らしいと思う。

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そして、母がきっと一番会いたかったであろう兄が、やっと帰ってくることとなった。
その時は、すでに言葉を話す力もなくなっていた。

 

面会は二人ずつしか入室できないことになっていた。
先に、兄と姉が面会に向かった。

 

しばらくして戻ってきた兄は「俺のことは忘れていた」と言っていた。
しかし、再開したその時の写真を見ると、母の顔は何とも言えない今にも泣き出しそうな表情だった。

 

忘れていたかもしれない。けれど、大事な人と会っていることだけは解ったのだろう。
そして力のない手で、兄の手を握っていた。

 

次に姉の娘である姪と私が入室した。姪が実家の猫の写真を見せて笑いかけると反応していた。
私も父の若い頃の写真を見せると、母の顔がパッと明るくなった。

 

「これ、誰?」
母は頭を横に振る。でも笑っている。
父のことも忘れてしまったのかもしれない。でもやはり、父は母の好みの人だったようだ。

 

そして、母の最期の日。
姉と兄、姪と私の四人で午前と午後の2回の面会をした。
午前の反応は薄かったが、午後は目を開けて息で言葉を発しながら反応をしてくれていた。

 

この日の夜、私はどうしても長男のことで一度自分たちの家に帰らなければならず、旦那と長男と三人で一度帰宅した。
翌日午後に実家に戻るつもりだったが、帰宅と同時に姉から電話が来た。

 

急激に心臓が弱っているらしい。自分たちもすぐに病院に行く!

 

私は結局、翌日の用事はキャンセルして実家に折り返した。 運転は自分がするからと旦那が言ってくれて、そのまま親子三人で夜中の道に車を走らせた。

 

その時、私はもう間に合わないであろうことは覚悟していたが、私が実家に着いた直後に、母は久しぶりの我が家に帰って来た。

そして母は、仏壇の前に眠ったような姿で安置された。

 

姉たちは連絡を受けてすぐに病院に向かったようだ。母の顔を見ると眠っているようだったので、姉が「お母さん!」と声を掛けると、施設の看護師さんが、もう息をしていないと伝えて来たそうだった。

 

その後に医師から死亡と告げられ、呆気なく母は、たったひとり旅立っていった。

 

それからお通夜、葬儀、初七日も済んで、今後も七日ごとのお勤め、そして初盆から一周忌まではあっという間のような気がする。

姉と兄と私、久しぶりに揃ったが、母のお陰でたくさんの兄弟の話もできた。
母にとっては、これが一番の供養になるかもしれない。

 

三人で話す内容は、ちょっと母にとっては不本意かもしれないが、まぁそこは天国で笑いながら聞き流しておいてもらおう。

 

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生きて迎えた31年目と32年目

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サプライズのない我が家で、長男31年目の誕生日。
ケーキを買って、誕生日の歌を歌って、おめでとうと拍手する。

31年間やってきた、たったこれだけの時間。
それでも、我が家にとっては大事な時間です。

 

大嵐の日に壮絶な時間を生き抜いて世に生まれたものの、一瞬天国に戻ってしまい、忘れ物を取りにいったのかと思いきや、言葉やいろんなものを神様にお返しして、そしてまた、この世に舞い戻ってきた長男。

 

お返ししたものは戻っては来なかったけれど、あれからそのまま生き抜いて、31年目を迎えることができました。

 

今年の誕生日当日、旦那はバンドの練習に行って1日不在。
そういえばあの嵐の誕生の日も、旦那はバンドで興行しておったのでした。

 

私と長男がカオスな中に生きるか死ぬかで戦っていた時、子供の頃から車酔いがひどかった旦那は、揺れまくる船の中で演奏するという別のカオスを味わっていたのでした。

そんなこんなで私と長男のカオスがひと区切りついた頃、旦那のカオスも終わりを告げ、夜も遅い時間であったため、旦那は長男誕生の様子を知らぬまま、翌朝の対面と相成りました。

 

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正直旦那不在での初めての出産は不安だらけでした。
でもいざお産が始まるとそれどころではなくなり、無事に生まれてほしいとか元気で生まれてほしいとか、そんなことどうでもよいくらいに余裕もなく、ひたすらこれ、いつまで続くんじゃ〜〜〜という思いだけだったような気がします。

 

そもそも、そのカオスすらあまり覚えておらんのです。
なんせ、我ながら情けないことに気絶していたようでして。

今考えると、旦那にもし出産に立ち会ってもらっていたら、血が超苦手な旦那なので、こちらでもカオスだっただろうと思うわけです。
今となっては笑える話です。

 

裏返せば、出産も初体験となれば不安であっても仕方ないのです。
でも、これが二人目となると違ってました。

母は強いのですよ!(笑)


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ちなみに次男出産の時は、旦那は付き添ってくれました。
ただ血が超苦手というところは克服しておらず、一緒に分娩室に入ることはできませんでした。

 

私自身も、その頃には旦那不在でもぜんぜんひとりで産んじゃうよっ!という感じの、すっかりお母ちゃんになていました。


なんてったって、既に大変な最重度自閉症の長男を4年も育てていて、臨月であろうが長男を追いかけまわし、長男を小脇に抱えて荷物を持って移動し、お腹の中の次男に常に

「しっかり子宮につかまって頑張ってついてくるんだよ!」

と言って聞かせていました。
次男はそれを頑張って守り、そして今があります。

 

出産の兆候があって夜中に病院に行き、15分もすると3分おきに陣痛が来始めました。

看護師さんが慌ただしく書類を持ってきて、記入事項を質問するので、答えるより書いた方がマシ!と思った私は、「ペン貸してください!」と驚愕の表情の看護師さんの隣で、陣痛と闘いながら自ら書類に記入をしました。

 

それから15分、つまり30分で次男は生まれてきました。
カオスどころか、夜中に叩き起こされてやってきた先生の目が土偶のように腫れていて、内心ウケるくらいの余裕もありました。

 

後で聞いたのですが、私のお産の真っ最中、旦那は心配で分娩室のドアにベタっと張り付いており、駆けつけた私の母は、無事に産まれるようにと般若心経を唱えだしたと。

今度こそ私が普通にお産をしている間に、ドアの向こうは長男の時とは違うカオスだったようで。

 

それにしても、産院でお経はやめてほしい・・・

 

まるで天国と地獄のような出産の経験でしたが、今もこの話は不謹慎かもしれませんが、笑って話すわけです。

ただ、笑い話にするには正直、少しの時間は必要でした。
長男の誕生の壮絶さは、しばらくは辛い記憶でしたし、追い打ちをかけたのは、長男と次男の間の子供がお腹の中で亡くなったことでした。

 

今も亡くなった子がいてくれたらと思うことはあります。
忘れたことはないし、でも兄弟を見守ってくれていると思っています。

 

日々の生活も、重い障害を抱えて生き辛いであろう長男と、その長男を幼いながらに支えようとする次男を育てながら、辛かったことも長い時間を経て、笑い飛ばそうとする力を子供達にもらったのだと思います。

 

長男が生まれて31年目。

旦那は夜、帰る途中でケーキを買って来てくれました。


長男もおっさんになりました(笑)
それでも、父と母にとっては可愛い可愛い息子です。

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長男の通う事業所では、毎年誕生日に本人のリクエストに応えてのメニューが用意されます。
長男は話せないので、親が「うどん」か「いも天」と伝えていました。

 

それからずっと長男の誕生日には毎年、うどんといも天、両方を出してくれます。
しかも大好きなプリン付き!幸せだっただろうね。

 

今年は長男の誕生日が事業所の休みの日曜日にあたり、金曜日のお昼に出してお祝いしてくれました。
「よかったね!美味しかった?」と聞くと、満面の笑み。
お祝いをもらった長男、長男の笑顔をもらった旦那と私。

 

大きなサプライズはなくても、いろんな「おめでとう」が散りばめられた誕生日でした。
大嵐の31年前から命は繋がって、今日も生きています。


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ちなみに、その3日前は結婚記念日でした。
毎年いつの間にか過ぎ去っている結婚記念日。

今年は珍しく旦那が覚えていました。私はというと、例年通り・・・記憶の彼方。

 

旦那が、せめてケーキくらい・・・と言ってシャトレーゼへ。
大きなアップルパイに惹かれて、ケーキと言いつつどうせ三日後もケーキだし、パイも良いではないか〜ということで購入。

 

食後に長男がイソイソと食べる準備を手伝ってくれました。
「これじゃただの食後のデザートじゃん!」と突っ込みながらの穏やかな32年目。

 

さて、来年のこの日は覚えているのだろうか・・・。
そして、食後のデザートにありつけるのだろうか。(自信ない・・・)

次男と芋けんぴが並んだ日

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春の空らしく柔らかい光が届くこの頃、花粉に悩まされる私のスマホに「最強運の持ち主誕生日ランキング」なるものが流れてきたので眺めてみる。

 

結果子供たちは最強運はないということらしいが、いやいや、彼らはなかなかの最強運の持ち主である。

だって、生まれてそうそう一度天国に行って、もう一度地上に戻ってきた長男と、大学生活も4年目に差し掛かる頃に難病にかかり、数ヶ月後に復活を果たした次男なんだから。

 

二人とも生死をかけて戦った頃は、世間は桜と新緑の美しい頃だったんだよ。

 

そんな命を取り戻して舞い戻ってきた長男は、次男のことが大好き。

ツンデレ兄とそれに寄り添う弟の姿は、知っている人たちの間では有名ではあるけれど、その光景も、弟の就職から今となってはなかなか見られなくなってしまった。

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さて、そんな次男大好きツンデレ長男が、先日珍しくて面白い姿を見せてくれたと、長男が通う福祉事業所のスタッフさんから聞かせてもらった。

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最近、長男は仕事をめちゃくちゃ頑張っていて、その報酬として近くのスーパーに行き、大好物の「芋けんぴ」を買うことがある。

事業所に戻ったら、大きなボウルに芋けんぴの袋を開けて、豪快に食べるのが至福の時間となっているらしい。

 

そして、またある日「芋けんぴ」獲得のために仕事を頑張り抜いた長男は意気揚々とスーパーに行き、芋けんぴを探した。

ところが、ない、ない、ない・・・

その日はスーパーの「芋けんぴ」売り切れの日だったそうで。
すると長男の目からは涙が溢れ、シクシクと泣き出したと・・・。

 

え?そんな姿、見たことないぞ?
シクシク???

 

いや、そういえば一度だけ見たことがある。
それは、次男が難病のギランバレー症候群を乗り越えて初めての帰省。
そしてまた帰京する時、次男を見送る長男の姿がそれだった。

彼は確かに、本当に悲しそうにシクシクと泣いたんだった。

その時、最重度の知的障害のある兄が、弟のことを想って泣いたことに気付かされたんだった。

 

あれ?

 

その話をスタッフさんから聞いて、私は旦那に

「次男と芋けんぴが並んだぞ」

 

と言ったのでした。

旦那爆笑。

 

長男は、悲しい時は耳をつんざくような奇声を発したり、ウォーウォーと吠えるような野太い声を出したり、それと同時に泣きながら私たちに全身全霊でぶつかりながら訴えてくることがほとんど。

そんな時は、親も怪我がつきものであったりもする。

 

弟の時も驚いたけれど、こうして吹き出していた感情を自分の中に納めて、静かに泣くことができるようになったんだね。

 

なんとそれを、芋けんぴが教えてくれました。

 

さて、そんな長男のお話をスタッフさんから聞いたその日、我が家の晩御飯は芋天となりました。

次男大好きツンデレの、芋大好き長男は、その食事に満面の笑みで挑んでくれたのでした。

 

それからというもの、時と場合ではあるものの、悲しみを「シクシク」と泣きながら自分の中で収めようとする姿が見られるようになりました。

 

君の感じる悲しみも、君を成長させるひとつの感情だったんだね。

そのことは、忘れないでおこうと思う。

 

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