宇宙人と暮らせば

面白親父、自閉症男子、理系(宇宙系)男子と私の、周りとちょっと違う日々を綴ります。

半分ずっこ

※半分ずっこ……半分ずつのこと

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旦那爆睡中! そうなる前の、ちょっとした出来事のお話。

 

もう寝ている人も多いという時間に、相変らず元気な長男。

やたら笑顔でいるので、も〜、カワイイではないかぁ〜と、二人でニヤニヤして過ごしていました。

 

で、ふと見ると旦那が椅子に座ったまま即身仏状態。そのうち、こっくりこっくり船を漕ぎ出したので、あわてて「お〜い、お〜い!」と呼ぶも反応なし。

このままでは椅子から転げ落ちると思い、ビックリしない程度に再び「お〜い!」とボリュームアップ!

やっと目覚めました。

 

「転げ落ちちゃうよ! 布団の中でちゃんと寝て。」と言うと「いや、奥さん風呂に入るまでは寝れないでしょ。」

 

私は「あっ!」となって、慌ててお風呂でカラスの行水をしてきたんでした。

私がお風呂中に、旦那がまた船を漕いでいないことを祈りながら。

 

そうなんです。長男はちょっとしたスキにすぐいなくなってしまう。ちょっとしたスキに冷蔵庫の中の何かを捨ててしまう。

ちょっとしたスキに……何かをやらかす。

 

だから、長男が起きている間は、私か旦那のどちらかが必ず起きて長男を見ておかなければならないんです。

旦那は長男とお風呂に入るけれど、さすがに私も一緒は出来ないので、長男が起きている時は、私のお風呂の時間は旦那が長男と過ごしてくれます。

 

ふと見ると、勝手口のダイヤル錠も外れていました。

我が家にはダイヤル錠がいたるところに取り付けられていて、長男が中から一人で出て行ってしまわないようにしています。

その昔、いつの間にか家を飛び出していなくなって、都市高速を逆走していた長男。交通事故に遭ったり、一晩中探し回って散々見に行った公園にいたり、6キロ先で見つかったり、色んなことがあり過ぎて、せめて長男の命を守るために……ということでの対策がダイヤル錠でした。

 

親としては少々切ないんです。

ずっと昔、長男を保護した派出所の一人のおまわりさんが「今後、目は離さないで下さいね!」と冷たく言われたのは、今の今でも忘れません。

それでダイヤル錠が登場となしました。

でも、実際は優しいおまわりさんの方が多かったです。保護された回数も半端なかったですけどね。

 

というわけで、あわてて勝手口のダイヤル錠を締めてお風呂へ。旦那は私がお風呂から出てくるまでの間、瞼を吊り上げて踏ん張ってくれていました。

私のリビング登場で、それで今の爆睡です。

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旦那はここのところ、仕事の〆切に追われて睡眠時間が極端に短かったんです。そこんところ忘れてて申し訳なかったなぁ。

 

そういえば、旦那は今日の夕食で、普段は余り飲まないビールを堪能していました。今日はちょっとだけ、仕事にメドを立てられた日だったのでしょうか。

 

と、いうことは、もし今日の深夜に長男が見事にダイヤル錠をくぐり抜け、脱走に成功したとしたら……足の速い長男を追いかけるためには素面の私が車を運転して追跡することになります。

 

実際私達夫婦は、色んな不測の事態に備えて一緒にお酒を嗜むことをしません。

長男が産まれてからは、本当に片手で数えられるほどかも知れません。必ずどちらかが素面でいます。

 

でも、そのことをお泊まりに利用させてもらっている施設のスタッフさんにお話したら、ここに預けている間は命に関わる事態でない限り呼び出すことはないので、ゆっくり夫婦で飲んで下さいね……と言ってもらえたのは本当に嬉しかった。

 

結局、私達は長男のために、夫婦のどちらかが何かをしている時は、どちらかが長男と一緒に過ごし、半分ずっこのことをしながら今まで暮らしてきたんです。

 

どちらかが欠けたら、それは長男とは暮らせなくなると言っても、きっと言い過ぎじゃない気がしています。

 

と、そんなことを旦那爆睡中の横で書いている私。

あ、長男も今、眠ったようです。では、私も……笑

みなさん、おやすみなさい。

 

 

新年は二見ヶ浦行ってきました〜からの「お知らせです!」

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サボってました。散々サボってました!

久し振りの投稿です。みなさんに忘れられていないことを願いたい……。

でも、何となく訪問してくれてた人達もいらっしゃったみたいで……本当に感謝感謝です!

 

さて、もう2月になろうとしているのに、次男が帰ってきたお正月2日からのちょうど一週間、家族四人はこんな感じでした〜という、少々賞味期限切れ気味なお話。

すみません……ちょっとだけお付き合い下さい。

 

天気のいい日。お昼過ぎからのお出掛け。いつもこんなタイミング。

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行ってきました!! 糸島市二見ヶ浦

夕方近くになって、いい具合に空の色が染まっていました。

そして……

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美しくも有り難い光の筋が。

と、いうことで……。

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「どうか院試受かりますように……。」

いやいや、ここは違うね。

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お気づきと思いますが、ここは「縁結びの神様」です。
そして、父はもう海と岩と空に夢中。

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岩の手前は砂浜。

そこで長男が謎の絵を描きだしました。

そして次男にその絵を指さして

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長男「あ、あ、」

次男「ん?ん?」

未解決。

 

さて、今回のドライブは免許取り立ての次男の運転練習でもありました。

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次男に命預けた数時間、口数少ないドライブでした(笑)

 

ところで、今回のブログを書くまでの間(つまりはサボっていた間)もともとマルチタスクが出来ない私としては、ちょっと色々勉強をしたり、人との繫がりを広げたいと行動を起こしたり、考えたり悩んだり人に助けてもらったりしながら、自分のキャパで何とか頑張っていました。

で、ブログをサボっていた……のは、正直言い訳です。

 

そして、そんなこんなでひとつのサイトを立ち上げました。

良かったら、こちらも覗いてみて下さい。↓

 

てとて – 福祉の聞きたいと伝えたいをつなげるサイト

 

ここまでに協力をして下さったみなさん、これからするよと言って下さったみなさん、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、ワードプレスに四苦八苦していた私に、結局手を差し伸べてくれて、危うく仕事の締めきりにを過ぎそうになって、それでも「間に合ったから。よかよか!」と言ってくれた旦那に感謝。

 

まだ記事はスカスカ、これから充実させたいのですが、人脈も文才も少ない私に、今後どれだけ書き続けられて、どれだけ人と関われるかが勝負になってきます。

 

これからは立ち上げたサイトと、このブログを2〜3日おきに順繰りに書いていきたいと思います。

これからもよろしくお願いします(^人^)

 

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発達障害者自身の声を、親の立ち場でも考えた

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Twitterというものを始めた。
使い勝手が分からないまま、人のツイートばかりを見てたりする。

 

取り敢えず、発達障害の当事者のツイートを見始めたんだけど、これは親としての立ち場で見ていると、かなり精神に堪えるところがある。

 

ツイートには、まだまだこの世の中の理解が進まないことの怒りも多い。

当事者が語ってくれることは、親の言葉よりも、どんなことよりも断然説得力がある。

これからの理解と支援にもつながる。

世の中を変えることだってできるかも知れない。

 

ただ、障害者を生んだ親としては、これは結構キツい。

長男は言葉を持たないが、もし同じようにつぶやいたら泣いてしまうかも知れない。

申し訳ないという思いを、どんなに頑張っても消し去ることが難しいからだ。

 

親にしてみれば、子どもが小さい頃から、こんな子どもに産んだのはあなただと言われ続ける。

こんな子では周りが迷惑とか、子ども自身がかわいそうとか散々言われる。

子どもを育てる上で、困難が付いて回るから母親が立派な教師になって育てなさいと言われる。

まともに生まれればよかったのにと言われた時は、まともって何だ?と、頭の中でぐるぐる回った。

 

私は、普通にお母さんをしたかっただけなんだ。

 

毎日散歩をしたらお喋りできるようになった子がテレビに出てたから、あなたも毎日お散歩をさせなさい。

この療育をしたら知能が伸びるから、お母さんが素晴らしい先生になりなさい。

障害を持ったのは母親の作る食べ物のせいだから、お母さんがしっかり食事の管理をしなさい。

キレートをすれば、自閉症は治るから治療しなさい。

障害を持っていても、お母さんの育て方次第で良くなる、障害が重いのはお母さんの育て方のせい。

 

数えきれない先生達がいて、お母さん次第と言われ続けて、だんだん、どこをどう頑張ればいいのか解らなくなってしまう。

 

果ては・・・

兄弟児がいれば、親の方が早く死ぬんだから兄弟児に面倒を見させなさい。

兄弟児が将来は一緒に暮らさなければ、誰が面倒を見るの?

 

だけど・・・

散歩させても喋りません(散歩はそもそも日課だった)

療育は確かに大事、でもうちの場合、就学前通園事業で出されていた、家でやる山のような枚数の紙の宿題は大泣きして出来なかった(甘い!と怒られた)←母親先生失格

食べ物は気を付けている方だと思うが、よく言われている食事法は極端なことが多く、実際に実践したら疲れてしまうことが多い。

キレートは、自閉症の子どもさんを持つお医者さんが完全否定していた。実はそれで死者も出ているとも聞いた。

確かに育てたのは母親。でも、環境の全てを母親が作れるわけではない。学校の時間だって施設で過ごす時間だってある。

 

否定するわけではなく、それらが合うお子さんもいるだろう。

でも、全部が全部そうではない。

障害名が同じだから、同じように発達していくことはない。

 

独立出来ない、支援の手が常に必要な重度の障害者に対してだって、兄弟児が見なければならないなんて義務はない。

でも、兄弟児達もそれなりに色んなことを抱えて育つ。

次男も周りに散々「お兄ちゃんはあなたが見なさい」と言われて、笑顔で「分かっているよ」と答える。

 

次男は小さい頃からの夢に、いつのまにか努力して随分近づいていた。

親が全く知らないところで、悩みながらも必死に夢に向かって頑張っていた。

自分がやりたい研究を、大学でも出来るところまで頑張った。

旦那も私も、次男に自分の人生を歩くようにと言い続けている。

夢が叶うように、ただただ見守ることが、親が出来る唯一のことだ。

 

私の周りにも、障害者の兄弟とともに自分の人生を歩いている人を知っている。

結婚もせず、兄弟のためだけに。

 

障害者のいる家庭が不幸かと問われれば、親の立ち場なら「違う」と答える。

きれいごとではなく、本当に来世でだって、この子達と再会したいと心から思う。

でも、本人は何と答えるのかは自信がない。

 

それに、ずっと言われて来たことは正直忘れられるものではない。

 

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当事者のTwitterには、発達障害だから特殊の才能を持っているという、成功例を全ての発達障害に当てはめるのはやめてほしいという内容も多かった。

 

母親だって言われるのだよ。

絵を教えなさいとか、歌が好きだし、あなたは音楽の先生なんだからピアノを教えなさいとか……障害が才能なら、発達障害の画家やピアニストなんてごまんといる。

子どもの才能を見つけて、それを伸ばした人を私は尊敬している。

けれど、みんながそれを出来るわけではない。それは人による。

親が頑張れば何かの花が咲くというのは、親達を追いつめることだって多い。

 

 

私はただお母さんをしたかっただけだし、それは今でも同じだ。

一緒にいると、最初の頃は息切れもしていたけれど、今は楽しくてしょうがない。

それは、自分のことしか考えてないだけだと言った人もいたけれど。

 

けれど、だからこそそのために専門家がいるんだと私は思っている。

親が専門家になることも、それはケースバイケースだと思う。

私は、母親は先生ではなく、母親でいいと思う。

子ども自身の歩みを応援しながら、一緒に泣いて笑って、喜び合えればそれでいいと思う。

 

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今日のテレビで、発達障害のテーマの特集をやっていた。

障害とは、その特性によって本人が困ることが多い時に言う。

困らなければ障害とは言わない。

そして、障害とは周りが作り出しているのかも知れない。

 

長男がまだ子どもの頃、こんな事を言ってくれるテレビや周りの人達はいなかったな。

 

やはり親なんかよりも、当事者の声は強い。

絵を描けなくなった1年間

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この兄弟達は、今も絵を描くことが好きなようだ。

兄は4分の一世紀を生き、弟は5分の一世紀を過ぎても、絵を描くことのとの楽しさは持ち続けていてくれることが、母としてはちょっと嬉しかったりする。

 

2人とも小さい頃からよく絵を描いた。

弟は発達心理学のテンプレートの上を、上手に歩いていった気がする。

絵を描くのも、発達段階に合わせたようにどんどん描けるようになった。

しかし、驚いたのは長男だ。

紙に色を塗りつぶして楽しんでいる姿ばかり見ていたので、目に見えるものを描けるなどとは思っていなかった。

けれど、小学部6年生になって、学校で小学部1年のとき以来のPEP-Rという発達診断テストをした時のこと。

わたしは姿を隠してこっそり、その様子を見ていた。

 

先生はまっさらな紙を1枚差し出して

「お父さんを描いて」

と言った。

 

まさか描けないでしょう、言っちゃ何だけど、色を紙一面にしか塗れない人ですぜ……。

でも、このわたしの思い込みが見事にくつがえされる瞬間を目の当たりにした。

 

長男は黙って紙を受け取ると、えんぴつを何の迷いもなく動かして、顔から描き始めた。

目も鼻も口も、眉毛も、そして耳も……その次は首が描かれた。

その瞬間に、もうその絵が頭足人(幼児期に描く絵の特長で、顔から足が生えたもの。まだ身体の特徴がしっかり入っていない時代に描かれる絵)ではないと悟った。

首の下はちゃんと胴体も、手も足もあった。

最後に髪の毛が描かれ、思わずわたしはそこから飛び出したくなった。

検査をしていた先生は、隠れているわたしに目をやり、かすかに口の両方の端を上げた。

 

うかつだった。

信じてなかった。

申し訳なかった……。

 

母失格だよぉーーー!

 

そう思いながら、でも嬉しくて、何だかそのシーンが今もとんでもなく記憶に焼き付いている。

字が書けたとか、喋れたとか、計算できたとか、全くそんなレベルではないことなんだけど、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 

長男は今も色んな人達に支えられて、思いもしなかった可能性を見せつけてくれる。

それを助けてくれる人達が周りにいることは、本当に本当に有り難いことだ。

 

けれど、長男のその実力を誰も知らない頃、長男が全く絵を描けなくなった1年程の期間があった。

 

 

小学部3年生の夏休みだった。

当時の夏休みは今のように放課後等デイサービスなどなかった時代なので、丸一日、しかも40日以上を母親と過ごすことになる。

そんな中に、社会福祉事業団が運営する「フレンドホーム」で、シュタイナーの絵画教室の募集があり、長い時間をぐだぐだ過ごすよりも……と行ってみることにした。

 

そこでは指導員さんも絵の先生も優しく、長男の好きなように描かせてくれて、粘土も好きに作らせてくれた。

長男はとても喜び、どんどん作品を作っては「うん」とうなずいて先生の所に完成品を持って行った。

小学部に入学して間もなく、担任の先生に「終りを知らないので、本人は辛いと思います。最初に終りを教えるところからします」と言われたのに、自分で完成を確認して「うん」とうなずいて、ニコニコと持って行く姿を見ながら、本当に彼の成長を感じた。

 

4年生になった夏休み、また同じ教室の募集があった。

また長男のあの姿を見たくて、早速申し込みをした。

行ってみると、優しい先生と優しい指導員さん、そして、絵の先生をしてらっしゃるという男性がボランティアで来ていらっしゃった。

その方は、ご自分の息子さんが障害を持っていらして、不幸にも二十歳で亡くなられたそうだった。

だから、同じように障害を持った子ども達と絵で関わりたいと、ボランティアに来て下さっていた。

辛い過去があるのに、同じような子どもに向き合うなんて、立派な方だなと思った。

 

その男性は、長男が紙一面に筆を大きく動かして、絵の具をどんどん重ねて色をぬる姿をじっと見ていらした。

しばらくして、その男性はわたしの目の前に立ち、こう言った。

 

「こんな色を塗りつぶすだけ、しかも奇麗でもない色ばかり」

 

わたしは「えっ?」

と思った。長男は確かに色を塗りつぶしてばかりだけど、どんな色を重ねても、不思議なことに深い藍色になっていた。

それを長男は嬉しそうにぬって、うなずいて先生に持って行くのに、なぜ?

 

続けて男性はわたしに

「こんな色しかぬれないのは、あなたの育て方が間違えているからです。あなたはこの子に、言葉掛けもしないような親でしょう?」

 

は? 我が家の暮らしを目の前で見たとでも?

 

あぜんとしていると、男性は長男の目の前に座ると、ピンクと水色と黄色の何ともパステルな、確かに絶対に長男が手に取らない色の絵の具を3つだけ並べ、長男のチョイスした絵の具を排除した。

そして長男に紙を渡すと、ハイ、描いて!と三色で少しぬった所で紙を変えられ、新しい紙にまた、ハイ、描いて!と同じことを要求した。

そして「明るい色とは、こんな色なんだよ!」と言った。

長男はそれに数回は付き合ったけれど、遂には泣き出して画板を男性に投げつけた。

 

すみません!とわたしが謝ると、男性は

「ほら、あなたの子どもへの対応がこんな性格にしてしまうんですよ!しっかりしなさい!!」

そう長男を指さして、他の親子がいたからか小さな声ではあったけれど、強い口調で言った。

その瞬間、長男が怯えていると察して、わたしは長男の手を引いて外に出た。

 

もう、その場にはいられなかった。誰も擁護してもくれず、長男はわたしが守るしかないとも思った。

 

次は教室最後の日だったけど、もう来れないと指導員さんには伝えた。

来週は男性は来ないから、良かったら息子さんを連れて来て下さいと言われ、迷ったけれど、長男がトラウマを抱えることが嫌で、良い終わり方をさせたいと思い、連れて行くことにした。

 

結局男性はやっぱり来ていて、顔を合わせてしまったので、せめて最後は事情を乗り越えて来て下さったんだし……と「お疲れ様でした」と一言だけ挨拶した。

すると横目で見られて「お母さん、言葉掛けですよ!」と返された。

 

正直悔しかった。自分がなじられるよりも、長男を否定された気がして。

良い終わり方なんかできなかった。

その直後からだった。

 

長男は、全く絵を描かなくなった。

 

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けれど、どうすることもできないまま1年が過ぎた頃、また長男は無言で絵を描きだした。

その時、わたしの目からは涙があふれた。

やっぱり色を塗りつぶすだけ。だけど、それでいい。

それでいいんだよ!

 

私は

確かに良い母親なんかじゃない。言葉掛けなんて、ある人に言わせれば「整理して言わなきゃ混乱するでしょう!」と言われた程。

兄弟で歌も歌い、絵も音楽も好きでいてくれる。

どんな絵でも、どんな歌でも、それでいい!

 

そうしてあの日、「お父さん」の絵を描いた。

 

それから、長男の絵は好きなものをひたすら描きまくるものに変わった。

ドラーヤー、階段、ビル、家、室外機、扇風機、観覧車、ブランコ、うんてい、車、店舗のロゴ……どんどん増えだした。

それでいい、それがいい、母はぜんぶ好きだよ!

 

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ちなみに次男が小学校低学年の時に描いた絵。

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お肉が「はじめ人間ギャートルズ」だよ(笑)

 

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なんだ、この催促のしかたは……。

旦那が苦笑いしながら財布の中身を確認していた(笑)

 

絵は、今も2人ともよく描いている。

それでいい。

母は君達の絵がぜんぶ好きだから。

住みやすいこの町で、長男の昔に出会った

空も、空気も、木々も、匂いまでもすっかり秋ですね。

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今日の仕事中の話し。

昔の長男に出会いました。

実際は全くの別人ですけどね。

 

私は放課後等デイで働いています。

利用者である児童一人を車で学校にお迎えに行って、ちょうど施設に到着した時のことでした。

 

大きなカワイイ犬を連れた年配の男性と、多分近くに住んでいるであろう若いお母さん、そして子供達数人が、施設の駐車場に立っていました。

私の車が入ってくると、何やら指を差して明らかに私に何か言いたげな風。

 

私は施設に何か用があるのかと、迎えに行った子と一緒に車を降りて「どうされたんですか?」と聞きました。

 

すると、若いお母さんが一人の小学校低〜中学年くらいの男の子の肩に手を置いて

「この子、ここに通ってきてる子ですか?」

と。

 

違いますよ、と答えながら、ああ、なるほど……うちの長男と同じたたずまいであることに、すぐ理解出来ました。

 

「どこから来たか、わからないんですね。」

と聞くと、若いお母さんは

「そうなんです。ここの近くで一人ウロウロしてて、車にひかれそうになったり危なくて……。ここに通ってる子かも知れないと思って連れて来てみました」

 

男性も「靴も履かずに靴下だけで、大丈夫かなって心配で……」

あぁ、優しいなぁ。

でも、どう見ても自閉ちゃんのこの子、靴を履くのは嫌だったかもね。

 

男性と若いお母さんと私、そして子供達と私と一緒に車で来た子、さらにおとなしくて大きなカワイイ犬も交えて、その男の子を囲みました。

 

私は男の子に「お家わかる?」と聞くと「わかるよ!」との返事。

一応言葉は話せることがわかりました。

ただ、家の場所の説明は出来ないし、言葉は行き違いが多いので、コミュニケーションの道具にはまだなり得ていない感じでした。

 

ここんところは全く話せない長男とは違います。

でも、これからやるべきことは長男と一緒!

 

「警察に連絡しましょう。この子の親御さんも探されていると思うから」

私がそう言うと、若いお母さんが

「私が電話します。最初に見つけたので!」

若いお母さん、即行動してくれました。

 

案の定、警察に男の子のことは届けられていました。

「警察の人、すぐ来るそうです!」

 

すると、男の子は

「また警察〜? また警察〜?」

と繰り返して、よく警察に保護されていることが伺えました。

 

この後はもう安心だなと思い、施設の駐車場内での出来事だったので、私は送迎の仕事を完了させるため施設から別の職員を呼んで、その場を離れました。

 

そのやり取りの間にも、多分この男の子の親御さんは心配しているであろうに、私はずっと長男のことを思い出していて、懐かしい気持ちにさえなっていました。

 

何度も何度も脱走を繰り返して、何度も何度も警察に保護された長男。

長男ももし喋れたら、また警察〜? と言ったかも知れない。

長男は必ず裸足だったけど、この子は靴下を履いているから、まだ靴を履いていることに近いぞ! なんて思ったりもして。

 

長男もちょうどこの男の子と同じ位の時、一番脱走を繰り返していました。

割と最近まで脱走事件はあったけれど、昔程の頻度でもなく、外に行きたい時はきちんと訴えてくれることの方が多くなりました。

 

私は男の子のご両親に言いたい。

 

少しずつだけど、成長するよ。

少しずつだけど、ちゃんと周りのことも考えてくれるようになるよ。

 

何だか長男の昔に出会ったようでした。

それだけではなく、この男の子の将来だって分かるような気さえしました。

 

後から聞いたけれど、警察には男の子のご両親揃って、お迎えに来られたそうです。

うちもそうだった。旦那と私、揃って迎えに行ったものでした。

 

このご両親の今の気持ちも分かります。

そして、これから男の子が成長した時のご両親の気持ちも、きっと今とは違うものになっているはず。

 

親も最初は必死だけれど、視野が広がってくると少しずつ余裕も生まれる。

親だって成長する。だって、子どもが教えてくれる。

それが分かる。それが見える。

 

そう思いながら、心の中で男の子とご両親にエールを送りました。

 

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ところで、一人の職員がその若いお母さんと年配の男性のことを、私にこう話してくれました。

 

「手を差し伸べるべき子どもだと、すぐ判断出来たのはすごい!」

 

そう。表情を見ただけでは、困った顔ではないことが多いので、本当は困っているんだと気付いてあげることは難しかったりします。

 

「一緒に家を探したり、ここに通っている子どもかどうか確認するために連れて来たり、すごいですよね!」

 

変な子がいる、自分達の子供達は近寄らせないようにしなきゃ、なんて思う人も多いですからね。

 

「それはここの地域性ですね。」

 

そう、そうなんです!

 

「このエピソードは、何だか暖かくてほっこりしました」

 

私は、昔の長男を思い出して、不謹慎にも「ふふふ、君もか」なんて思ってしまいました。

 

この地域に、特別支援学校と普通小学校、中学校が並んで建っている。

その関係から、3つの学校間、そして子供達と地域住人の交流が育んで来たものは大きい。

だから、我が家もここに引っ越して来たました。

 

正直、長男のためと言うより、障害の理解が進んでいることで「次男がいじめに遭わないように」という思いの方が強かったのですが。

そして、その通りに思いは叶いました。

 

今は出来なくなったこともあるけれど、住民と学校の努力があった歴史を、絶対に忘れてはいけないと思っています。

 

 

hisakokk.hatenablog.com

 

ところで、もし「支援のいる子ども」とわかるような子が迷子になっていたら、一旦車などの危険なものから離し、保護した状態ですぐに警察に連絡して下さい。

 

また、飛び出しですぐ居なくなってしまうお子さんがお家にいる場合、すぐ見つけてもらうためには下着などに名字(出来ればフルネーム)を書いて下さい。

警察は下着などを見て、名前の確認をするそうです。

一度警察に保護されたら、どうやら警察間でデータベースを共有されるようなので、昔よりも発見もされやすくなっているようですよ。

 

 

念願のレンジ購入

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東京に滞在していた間、次男のマンションを拠点にずっと動いていたけれど、本当にまさか行けるとは思っていなかったので、甥っ子の葬儀の間とはいえ、このことだけは、私にとっては大きな出来事だったと言えます。

 

たかが自分の子供の住まいを訪問するだけ。

色んな母達から「行ったことないの!?」

と驚愕さえされていたけれど、障害を持った家族がいると、むしろ行くことの方が難しい。

 

『緊急時は短期入所などのサービスを使える』

という行政の施策は、実際はマンパワーの不足と日程調整の難しさから、あってないものと同じ。

 

「甥の葬儀に行きたいので、数日間預かってほしい」

と言ったところで、そもそも一泊しか出来ない決まりだし、うちは恵まれている方でほぼ毎月短期入所を入れてもらえるけれど、それも前月の締め切り日(ほぼ月の半ば)までに予約をしなければ利用することは出来ないわけで。

 

母が認知症を発症して分ったことだけど、老人福祉のショートステイも同じらしい。

ただ、宿泊日数に関しては一泊のみということはなく、認知症の判定区分で決められた限度日数まで連泊が可能とのこと。

 

ということで、この私不在の4泊5日、旦那が覚悟を決めて長男を見てくれることになりました。

 

私にとって一人で飛行機に乗るのは22年振り、その緊張と長男を残す不安、目的が観光とか前向きな感情にあるものではなく、甥っ子の葬儀であることなど、出発前は何となくナーバスな感情がかなり心の深部を占めていた気がする。

 

何とか次男のマンションまで自力でたどり着くと、早速着替えて次男の授業が終わるのを待ち、次男到着で準備万端になったところで、更に40分近く地下鉄、電車を乗り継いで斎場に向かいました。

 

父の葬儀から8ヶ月。

田舎の葬儀は初盆まではとんでもなく面倒くさい。

しきたりしきたりで、母の認知機能では仕事が捌けないので、姉がご近所さんにことごとく聞きまくって執り行ったにも関わらず、あれがダメ、コレがダメ! とダメ出しの嵐。

しかも、供養や食事はご本尊さんを尻目に置いてご近所さんがメイン。

姉が謝りまくっていて、なんじゃこりゃ〜! と思ったんでした。

 

でも、都会の葬儀は、その真逆を行くもので、葬儀そのものも、火葬場でも、驚く程システマティックでした。

 

お通夜は、次々にお焼香が済んだらそのまま会場を後にする。

けれど、甥っ子は友達に本当に愛されていたんだな。

 

50人を越す程の友達が座を離れても、ロビーでずっと待っていてくれて、一通りの儀式が済んだら再度中に入ってくれて、甥っ子と別れを惜しんでくれました。

翌日も本当にたくさんの友達……。

 

有り難かった。

 

東京で葬儀に参列したことのある姉も兄も、こんな葬儀は見たことなかったと言っていました。

 

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さて、それからは次男の部屋をきれいにするという宿命を自ら負ってしまったので、次男が学校に行って不在の間、身を粉にして掃除しまくりましたよ。

次男が帰ってきて、ユニットバスを見た瞬間に言った一言。

「白い……」

 

そりゃそうだよ。

トイレもお風呂もうっすら茶色。

それに越して来たばかりの時、旦那が買ってきたのであろう茶色のお風呂マットが、茶色の草原のように毛羽立っていて、私は絶句したわけで。

 

狭いキッチンの導線を考えて、使いやすいように収納も工夫したし。

片道歩いて15分も掛けてダイソーまで行って収納グッズも買いまくったし、徒歩片道15分圏内なら色んな店に何度も通った。

コインランドリーも40分間その場所の主になってやった。

 

さて、次男がずっと欲しいと言っていたものを買ってあげると約束をしていたので、学校終りに池袋で待ち合わせをしました。

 

次男が欲しいもの、それは「電子レンジ」

 

入学準備で旦那が用意したものの中に、レンジはなかった。

「ボクが東京で学生してた頃を考えてみても、そんなん要らんと思う!」

というのが旦那の持論。

そりゃ昔はレンジなんてなかったし、冷凍食品とかもなかったし。

 

時代が違うでしょ! と言っても、いや、何とかなるもんだ。そんなもんは要らんっ!

と言い切っていました。

 

でも、本当は買ってあげようと思っていたんだよね。

何となく分るんだけど。

いつもそう。

「要らん、要らん、要らん」と連呼しながら、ある日買って渡すという、筋金入りのめんどくささ。

ところが、買おうと思ってお金を用意した矢先に、それが別のモノに化けてしまっていたみたい。

実は、それが次男のものだった場合が多い。

そう次男にも言えばいいのに、あぁ、めんどくさい!

 

というわけで、次男と池袋のビックカメラへ。

無事、購入を果たしました。

次男、東京在住3年目にして念願のレンジ購入!

 

「これで時短できる、これで時短できるよぉぉ!」

と、まるで主婦のような台詞を次男の口から聞きながら、何だか今回の2つ目の大仕事を終えたような気分になった私でした。

 

よかった、よかった。

 

さて、その後は1時間以上も待って回る寿司を食べました。

二人だからと、カウンター席2つを予約したのが失敗だった。

よくよく考えてみると、カウンターで並んだ2つの席が同時に空く確率は、テーブル席がひとつ空くよりもずっと低いわけですね。

勉強になりました。

 

まぁ念願を果たしたわけだし、時間はあるし、待っている間丸椅子で話し込むのもなかなかな良い時間だったかな。

 

おりしも、この日は雑司ヶ谷鬼子母神堂御会式の日でした。

池袋に着いた瞬間から、大きな太鼓の音で何の賑わいだろうと思いましたが、思わぬ大祭も見ることが出来ました。

 

雑司ヶ谷鬼子母神堂御会式

http://www.visiting-japan.com/ja/articles/events/j13to-zoshigaya-kishimojin-oeshiki.htm

 

 

こうして東京滞在はあっという間に過ぎて行きましたが、私が羽田に向かう時も、次男は姉と合流する所まで付いてきてくれて、そこで別れました。

 

さて、私の不在の間、長男は旦那いわく「おりこうさん」で過ごせたらしいです。

旦那が数日間不在の時は、抗議からか必ず何かをやらかす長男。

私と2人で車に乗るとシートを破壊するスイッチが入るので、結局旦那の帰りまで家に缶詰なんだけど、旦那とはそんなこともないので、普通に施設にも通所出来て、家事を旦那がする以外は、あまり生活スタイルが変わらなかったことが良かったんだと思う。

 

そして、次男から喜びのLINEが……。

 

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それを見ての旦那の返信。

 

「この2年半があったからこその喜び!」

 

あぁ、めんどくさい…………。

 

 

それでも生きる。その先があるのなら。

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何だか自分でも浮世離れしたような、そんな数日間を過ごしました。

 

私は明日、東京に行きます。

 

次男が上京してから、一度も行ったことのなかった次男の住まいを訪ねます。

そもそも、長男が生まれてから私が家を5日間も空けるんて、今まで一度もありませんでした。

 

まさかこんな事で上京するとは夢にも思わなかった……。

 

 

明日から二日間、甥っ子の葬儀に参列してきます。

 

甥っ子は発病して2年間、良いのか悪いのか私の父、つまり甥っ子にとっての祖父に似てしまったために、一度も弱音を吐かず、大学に復学することを目標に頑張りました。

 

私は甥っ子の病気の発症で、恥ずかしながら骨肉腫が小児がんだということを初めて知りました。

 

最近では東京オリンピックに向けて、テレビでも骨肉腫を克服した若者が活躍している様を、CMで目にすることがありました。

 

そうなると信じていました。

一進一退を重ねながらも、あのCMの若者のような姿で立ち上がった姿を、ずっと思い描いていました。

でもそれは、なにより本人が一番願ったことです。

 

復学して学校に戻り、また勉強して友人達と過ごす……。

学生なら普通のこと。当たり前の日々。

 

けれど、それが病によって夢になり、夢を叶えようと頑張って、結局夢を叶えることができなかった。

 

理不尽な病と闘って、命のその先が消えてしまった人達のことを想うと、もし、理不尽な目に合って、自ら命を絶とうと思っている人がいたら、自分の命は、まだその先があることに気付いてほしい。

 

その先に、また生きる希望は必ずある。

命の先があるのだから、自分でその先を切ってしまってはダメだ。

 

だから、命の先がある人達は、みんなみんな生きて下さい。

その先は、命がある限り夢を叶えることができるのだから。

 

なんか、支離滅裂だ……。

今回はごめんなさい。

また数日後、元気で戻ってきます。

 

今回は長男のことを、旦那が見てくれると言ってくれました。

旦那にも感謝です。

 

 

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